この記事は【誰ソ彼ノ淵】を考察する2人のPのうち「オルP」によって執筆されています。ネタバレを含むのでご注意ください。
ここでは前回に引き続き「誰ソ彼ノ淵」の要素について考察を行っていきます。
今回は島編です。
そっちじゃねえよ!
だいたい最初から肉の話してんだろうが!
あと若い人このネタわかんねえよ
「誰ソ彼ノ淵」は孤島サスペンスホラーというテーマで作られています。
というわけで今回はこのテーマについて考察を行っていきたいと思いますよ。
テーマ:孤島サスペンスホラー
まずはテーマそのものについて。
サスペンスホラーで物語を作る場合、もっとも重要なポイントがあります。
トリック?動機?怪人?初めに殺される無駄にイチャついてるカップル?
それとも犯人に秘められた悲しい過去でしょうか?
あるいはそれらを引き寄せる主人公の異常な死神力でしょうか?
もちろんそれも大事です。
しかしそれ以上に大事なものがあります。それは
国家権力の介入の阻止です。
ちょっとまって!警察が主役のなんて〇棒とか〇捜研の〇とか太陽に〇えろ!
とかいくらでもありすぎて泣いてる
っていう人、いると思います。
それはサスペンスです。
「誰ソ彼ノ淵」はサスペンスホラーです。
そもそもサスペンスとは『ある状況に対して不安や緊張を抱いた不安定な心理、またそのような心理状態が続く様を描いた作品』(Wikipedia引用)のことです。
つまり恋はスリルショックサスペンス殺人がおこる物語のことではありません。
なので広義的には
かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ヤングジャンプにて大好評連載中!アニメ3期心待ちにしています
はサスペンスホラー(特訓前会長)です。
一番好きなのはみそ。
ホラーというのはそもそもサスペンスの1ジャンル、ということになります。
ですので、国家権力の介入の阻止というのはホラーを成立させる要件、ということになります。
そこで最も多く使われる手段がクローズドサークルです。
クローズドサークルとは『何らかの事情で外界との往来が断たれた状況、あるいはそうした状況下でおこる事件を扱った作品を指す』(wikiった)ミステリ用語です。
具体的には
・猛烈な吹雪で外に出られない
・電話線が切られている
・あの橋はこの村に入る唯一の道なんだ
・実は外の世界は滅んでいた
・実は劇中劇だった
・学園生活部
・異世界転生
などの状況が挙げられます。
近年では心理的に外界と通信をとれない状況を心理的クローズドサークルなどということもあります。
孤島というのはもっとも代表的なクローズドサークルであるといえます。
なぜ「誰ソ彼ノ淵」は孤島を舞台としたのか?
孤島がクローズドサークルであることはわかりました。
しかしそれだけでは「あの島が」物語の舞台である必然性を説明するには少し物足りません。
アカネちゃんたちは当初自然学校に向かっていたのですから、その自然学校を物語の舞台としてもおかしくはありません。
都会から離れた自然学校という舞台設定も十分にクローズドサークル足りえるのですから。
にもかかわらずストーリーでは不自然な落雷まで起こしてたまたま漂着した無人島を舞台にしています。(詳しくはストーリー考察を読んでください)
先に「孤島サスペンスホラー」というテーマが決まっていたとしても、行き先を島にすればいいだけなので説明不足です。
なので「たまたま漂着した無人島」を舞台とすることには、謎の孤島とした方が単純にミステリ感が出るという短絡的な思考とか、多くの登場人物を出さないで済むのでストーリーが作りやすい、再生時間的にも予算的にもそんな多くのキャラクターは出せない、などといった制作サイドの切実な事情とは関係なく、相応の理由があるはずです。
以下、複数の視点からその理由を考察します。
考察1:黄泉の国説
まず最初に思い浮かぶのがコレ。
要するにあの島は「死後の国」なんじゃないか説。
料理なんかはそれっぽい。つまり黄泉戸喫(ヨモツヘグリ)。
黄泉ってのは単純に言うと死後の世界ですね。
んで、そこの食べ物ってのがヨモツヘグリです。
古事記においてイザナミが死んだ後にここに行ってイザナギが連れ戻しに行くんですが黄泉の食べ物を食べてしまったために生き返れなかったって話です。
類似した話としてペルセポネーの伝説もあります。
ペルセポネーは死んで冥府に行った後ハデスにザクロの実をもらって食べます。
その後ペルセポネーはなんやかんやあって一応蘇るんですけど完全に生き返ってないので1年の半分は冥府に戻らなきゃいけない。
その結果冬が訪れ四季が生まれた、って話ですね。
んでんで、ザクロの実。
ザクロといえば人の味、って聞いたことある方もいるでしょう。
これまた別のお話が元になってまして。
昔々、鬼子母神って悪神が人の子をめっちゃ食ってました。
だもんでお釈迦様が説教にいきます。
(口語訳)
お釈迦様「鬼子母神めっちゃ人喰うやん?」
鬼子母神「人の子(゚д゚)ウマー」
お釈迦様「ザクロ美味いで?」
鬼子母神「ザクロ(゚д゚)ウマー」
お釈迦様「これからはザクロ食い?」
鬼子母神「ザクロ(゚д゚)ウマー」
というわけで「ザクロは人肉の味」って話が広がったんですな。
というわけでヨモツヘグリは人肉です。
「なるほどね!」と思ったそこのアナタ!
マジ詐欺とか注意しろよ?
はい。この説、一見それっぽく見えますが
詭弁です。
具体的に言うと”合成の誤謬”ってやつです。
”死後の世界のものを食べたら生き返れない”という部分。
これ実際には他の神話においても散見される典型的な類話です。
そして鬼子母神の話。
お釈迦様は「ザクロは人肉の味がするから食べろ」なんて一言も言ってませんからね?
仮にそう言ってたとしたらお釈迦様は人肉の味を知っていることになりますよ?
ガンジーも助走つけて殴るレベル。
そもそも日本神道→ギリシャ神話→仏教と話が飛んでる時点でこじつけです。
というわけでダメな考察をやってみました!
いかがでしたか?
ごめんって!
もうしませんから!(たぶん)
まあまったくの無関係ってわけじゃないし……(言い訳)
というわけでようやく本題に入っていきたいと思います。
考察2:常世の国説
それではさっそく今回の本題にはいtt
いや同じやんけ!
ま、待ってくれ……説明させてくれ……
考察のメインは常世の国です。
はい、わかってます。これはしっかり説明します。
黄泉の国
常世の国
これらはいずれも日本において「あの世」とされてきたものです。
しかしながら”違う言葉が存在する”ということは、
これらはそれぞれ”区別されていた”ということを示します。
黄泉の国
黄泉の国は上でも書いたように古来から「死後の国」として扱われてきました。
地の底にあるといわれ、現代的に言えば最も近いのは「地獄」でしょう。
常世の国
常世の国は現代では黄泉の国、根の国と同一視される場合もありますが、
古くは「理想郷」と考えられていました。
海の彼方にあるといわれ、神の国としての側面も強く持っていました。
現代的には「天国」のイメージでしょう。
沖縄の民間信仰であるニライカナイとの関連性についても言及されています。
根の国は黄泉の国、常世の国の双方の性質を持っているといえます。
根、というところから地の底にあると思われがちですが常世の国と同じく海の向こうにあるともいわれています。
神話上、流刑地としても扱われている点からネガティブなイメージが強いですが、本来は常世の国と同じく「理想郷」の側面もあったとも言及されています。
根の国、という名は上述したニライカナイから変化したという説もあります。
と、このようにそれぞれ結構異なっていることがわかります。
まあこの辺りは柳田国男と折口信夫で解釈が変わったり同一資料内でもほぼ同じ意味で違う語があてられていたりと百家争鳴するところではあるのですが……。
ひとまず今回の考察では折口信夫の研究を基礎に考えていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
さて、常世の国にはいくつかの特徴があります。
上述した「理想郷」の他に、
・神の住むところである
・現世と時間的、空間的に異なっている
・不老不死と関連付けられる
・ネガティブな側面を持つ
などが挙げられます。
・神の住むところである
常世の国は日本神道においては神の国、つまり「高天ヶ原」と同一視されました。
詳しい話は割愛しますが、古事記などにも書かれているのでかなり古い時代から遭った概念であるといえます。
・現世と時間的、空間的に異なっている
常世の国は時代によっては「わたつみの宮」と同一視されました。
「わたつみの宮」とは「海神の宮」、つまり竜宮城のことです。
みなさんご存じ浦島太郎に出てくる竜宮城です。
これだけでも時間的な相違を説明するには十分根拠となりますが、
それとあわせて「非時香果(ときじくのかのこのみ)」にまつわる伝説もあります。
「非時香果」とは常世の国にあるとされる不老不死をもたらす果実です。
橘とも呼ばれることから柑橘類の一種とされることが多いようです。
古事記・日本書紀にはこの「非時香果」を帝が常世の国に取りに行かせる話がありますが、こういった話のお約束として帰ってきたときにはもう帝は死んでいます。
この「わたつみの宮」「非時香果」の伝承から折口は常世の国では時間の流れが現世とは異なり、また空間においても現世とは異なっているとの推察を行っています。
・不老不死と関連付けられる
先に述べた「非時香果」の例のほかに折口が不老不死をもたらす、として言及したものに「まれびと」があります。
「まれびと」とは日本の民間信仰の一種で、端的に言えば「外から禍福をもたらすもの」のことです。
折口はこれを沖縄の祭事と関連付け、「まれびと」とは「海の彼方からやってくる神」であると結論しました。
その後に続く民俗学及び人類文化学研究では「まれびと」とは「異邦人」「他の集落からの流れ者」「山人」あるいは「障がい者」などもこの区分に含まれたのではないかとも言われています。
いずれにせよ、「まれびと」は「コミュニティ外の存在」であるというのは確かなようです。
・ネガティブな側面を持つ
「常世」という言葉は現世(うつしよ)との対比で語られます。
別の呼び方として、「幽世(かくりよ)」「隔世(かくりよ)」ともあるいは「常夜」とも呼ばれました。
「常世」であれば「常なる世」、つまり永遠に続く世界であるとの意味から死や恐れのない理想郷であるととられますが、「常夜」と読ませた場合には「常に夜の世」となり明けることのない、夜の住人の世界とも捉えられます。
「常世」と「常夜」、この相反するイメージの両立こそが常世の国の本質であるといえます。
さて、そろそろ飽きましたので「誰ソ彼ノ淵」の話に戻しましょう。
まあここまでの話からなんとなーくお分かりのことかと思います。
森羅万象を理解した聡明な皆さまには釈迦に説法だとは思いますが、
「常世の国」と「誰ソ彼ノ淵」との関連について考察していきましょう。
常世の国とはつまり海の彼方にある「神の国」であり「魔の世界」でもあります。
そこでは「時間の流れも現世とは異なり」、そこに住む者は「人ならざる不死の存在」です。
その不老不死の妙薬として「非時香果」と呼ばれる果実があります。
「誰ソ彼ノ淵」の舞台となった島にはおそらく千鶴さんや志保、伊織まで含めて「人と呼べるもの」は存在していません。
また彼女たちは何らかの理由によって「年を取っていません」。
そしてその不死性の一因として「人肉食」が挙げられます。
ひとつひとつはありきたりな要素ではありますが、これだけの類似性があるととても偶然だとは言い切れません。
ですが「非時香果」と「人肉食」はなかなか結びつきにくいかもしれませんので少し解説します。
歌詞考察の中で人肉食文化について触れましたが、その際、言語用法の面から人体を食べ物とみなしている、と書きました。
この食べ物、というのは具体的に言えば果実のことです。
「たわわな胸」「桃尻」のような例をとればわかることですが、日本語において身体の食物的表現は果実の比喩である場合が非常に多くあります。
これは人体を植物として捉えた場合に、胴体は幹、手足を枝葉や根、突出部を実とみなすからではないか、との指摘もあります。
と、まあこのように考えると「誰ソ彼ノ淵」の舞台は「常世の国」である、という考察は相当部分において妥当なのではないかと考えられます。
考察3:蓬莱山説
ここからはそれほど確度は高くもないけれど、考察に値する説を蛇足的に示していきます。
まずは蓬莱山説です。
封神演義のアレです。(世代がバレる)
蓬莱山とは中国の仙人思想における理想郷です。
この蓬莱山は上述した常世の国の元ネタになったという説もあります。
大部分は常世の国と類似しますので詳しい説明は特に致しません。
気になる方は
ggr(テンプレ)
常世の国とネタ被りなのになぜわざわざこの説を書くかというと、
二階堂千鶴中国人説
があるからです。
詳しい考察はまた別記事になるかと思いますが、複数の要素から作中の千鶴さんの出身は中国大陸であると考えられます。
そのため仙郷である蓬莱山が候補に挙がるわけです。
要するに千鶴さん妖怪仙人説です。
まあ詳しくはまた別の機会、ということで。
考察4:島そのものがオカルト説
これは別案というわけではなく、プラスアルファみたいなものなんですが、
島というのが何らかのモチーフとしてではなく
実際に超常性を持っている
という説ですね。
要するにカニバってたり年取らなかったりっていうのは
✖ 千鶴さんたちがおかしい
〇 島がおかしい
って説ですね。
この説を支持する最大のポイントは40年ですね。
ストーリー考察ではクトゥルフとか持ち出してきましたが、クトゥルフにしろ違うにしろ、伊織のサバ読み40年というのは何らかのオカルトでも使わなければ説明できません。
オカルト要素なしで説明するとなると
マジでミスリードしかない
という事態に陥ります。
じゃあもう考察なんてする意味ねえじゃねぇか!
冗談抜きでアイデンティティクライシスしかねないので
そういう根本的なミスリードはないものとして考えます。
とすると
オカルトはありまぁす!
ということになります。
問題はその原因をどこに求めるかです。
犯罪者は元々犯罪的指向を持っている
犯罪者は環境によって作られる
島そのものがオカルト説は後者となります。
つまりこの説は
暴力的なゲームをしたりc〇mic L〇を購読したり
いい年して二次元アイドルの水着衣装を入手するために重課金したり
1日1回限定の課金ガチャをお布施と言ったり
本棚がこんなことになっている筆者だったり
そういう奴らは全員ロリコンの犯罪者だから死刑!
ということになります。
なってたまるかよ!
※著者に犯罪性向はありません。前科もありません。
※この文章はラリって書いているわけではありません。
※完全なシラフです。
閑話休題。
まあ原因を人に求めないのであれば環境に求めるしかないわけです。
しかしながらこの説はあまりにも作中の根拠に乏しい。
今後の考察が待たれます。(他人事)
ってかもう全部夢だったってことにならねえかな……
総括:「誰ソ彼ノ淵」と「常世の国」
最後にタイトルに少し触れて終わりにしたいと思います。
「誰ソ彼ノ淵」は現状では「常世の国」をモチーフにしている可能性が非常に高いです。
それは「常世」が「常夜」であり、「誰ソ彼ノ淵」が「夜に堕ちてく」物語であることからも見て取れます。
常世の国にしてもそれ以外でも、古来から人間は海や川の「向こう岸」にこの世ではない場所を見てきました。
もっとも古いところでは古代エジプトの死生観が挙げられます。
しかしながら都市が築かれたのは川の一方のみ。もう一方には王の墓であるピラミッドとそれを守るスフィンクスだけが置かれました。(現代ではその限りではありません)
彼らにとって川の向こうは死の世界だったわけです。
そして、「誰ソ彼ノ淵」で志保はその淵に立っています。
誰ソ彼―黄昏時は別名を「逢魔が時」といいます。
魔と逢う時、「この世ならざるもの」ともっとも近づく時です。
彼女に待ち受けるのは「常世」なのでしょうか。
それとも「常夜」でしょうか。
いずれにせよ、そこはもう「誰ソ彼ノ淵」の向こう側、なのでしょうが。
というところで今回の考察を終わりたいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
▽▽▽関連考察▽▽▽
こちらは深掘り考察になります。ストーリー考察や歌詞考察の記事を先に読まれることをオススメします。