眠る蟻の考察

ふたりのPによってかんりされるブログです

【解夏傀儡】発売前歌詞考察【彼ハ誰ノ彼岸】

この記事では2023年12月27日に発売予定の『THE IDOLM@STER MILLION C@STING 01 解夏傀儡』の歌詞考察を行っています。

発売前なので記事を投稿した時点で筆者はボイスドラマを鑑賞していません。変なこと書いてたらごめんなさい。

******ブログを読んで頂く前に******

 【解夏傀儡】【彼ハ誰ノ彼岸】を鑑賞する前にこのブログを読むと

偏った先入観を持ってしまい、作品を楽しめなくなる恐れがあります。

 ご承知の上で読んでいただくか、CDの鑑賞後にこのブログを

読んでいただきますようお願いします。

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  現代伝奇ホラーの【解夏傀儡】【彼ハ誰ノ彼岸】は過去に発売された

孤島サスペンスホラー 【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】との関連が予想されます。

 ブログ内でそれらのネタバレ情報を提示する場合があります。

 あらかじめご了承ください。

******よろしくお願いします******



 

解夏傀儡】概要

 

 解夏傀儡】は、ミリシタ投票企画『MILLION C@STING!!!』テーマ1『現代伝奇ホラー』のテーマソングです。

 

 投票で選ばれた真壁瑞希周防桃子、中谷育、馬場このみ四条貴音の5名のほか、天海春香、徳川まつりが登場するボイスドラマ企画です。

 

そもそも『現代伝奇ホラー』とは一体何なのでしょうか。

 

現代/伝奇/ホラー:

 

現代:

 日本では第二次世界大戦終結後の時代。 広義には明治維新以後をさすこともある。-コトバンク

 

 

伝奇:

 現実には起こりそうにない、不思議な話。また、そのような話を題材とした、幻想的で怪奇な物語や小説。-コトバンク

 

 

ホラー:

 恐怖(Horror)。映画や小説などの娯楽作品で見るものが恐怖を味わって楽しむことを想定して製作されたジャンルの作品

 

 

テーマをざっくり理解すると、

『明治~第二次世界大戦前後が舞台の、不思議で幻想的でホラーな話』といえそうです。

 ミリシタのイベントコミュからも、だいたい同じ頃が時代設定であると読み取ることができます。

 

・セーラー服

 1920年(大正9年)に、京都の平安女学院で初めて導入。山中の僻村でも定着していることから、1920年代の後の時代だと分かります。

・華子とわかばの衣装

 第二次大戦以前に流行したモダンガール風の洋服を思わせます。大正末期から昭和初期に流行した最先端の西洋ファッションです。

・オムライス

1925年、大阪で誕生。華子の大好物だというオムライスもセーラー服やモダンガール風の洋服と同時代に誕生した食べ物です。

 

これらの要素を考慮すると、時代設定はだいたい昭和初期頃、もしくは第二次大戦終結後の年代を想定するといいように思われますね。

【誰ソ彼ノ淵】の時代設定と似てる…)





あらすじ

 

療養から帰った妹は、別人のようになっていた……。

旧い因習が染み付いた土地で起こる、仄暗い物語。

 



 

 旧い因習が染みついた土地というのは良くないしきたりや土着の信仰、奇祭・奇習が定着したままの僻村を思わせます。

文明社会から離れた山奥の僻村と旧い因習は非常に相性がよいので、ホラー系謎解きTRPGにもよく使われる舞台です。みんな大好き因習村。







前提となる情報

 

考察本編に進む前に、軽く前提情報についておさらいしておきましょう。

 今回考察する解夏傀儡】と、そのボイスドラマ【彼ハ誰ノ彼岸】は、前回考察した【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】の姉妹作です。

 

ミリシタ内ではボイスドラマがアイドルたちの出演する映画のタイトルで、楽曲がその主題歌という設定です。

つまり続編ですね。【誰ソ彼ノ淵】大ヒットしたそうなので同じ監督が続編を作ったのでしょう。



 両作品を通して『夜』が重要なファクターになっています。監督同じだし。ホラー映画だし。

 

ボイスドラマのタイトルからし「日没」「夜明け」なのでさもありなんって感じですね。

それをちょっと頭の片隅に入れておくと理解しやすくなると思います。



 そして【クルリウタ】のいちばん最後の歌詞がボイスドラマのタイトル【誰ソ彼ノ淵】を回収しているように

 

解夏傀儡】のいちばん最後の歌詞もボイスドラマのタイトル【彼ハ誰ノ彼岸】を回収しています。

 

 

 

完全に意図してやってますね。最高に狂ってるぜこの製作陣!ありがとうございます!





前置きが長くなってしまったのでそろそろ考察本編に進んでいきましょう。

よろしくお願いします。

 

ここから先は【彼ハ誰ノ彼岸】本編との深い関連性が予想されるため、鑑賞前に読まれる場合は特にご注意ください。




解夏傀儡】タイトル

 

 解夏傀儡】は「げげかいらい」と読み、分解すると「解夏」と「傀儡」にわけられます。それぞれの意味を確認してみましょう。

 

解夏

 安居(あんご)と呼ばれる仏道修行が終わることを意味する言葉です。

 

安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、1か所に集まって集団で修行すること。および、その期間のことを指す。(Wikipedia)

 

 

夏の時期に行われる安居を夏安居(げあんご)と呼び、安居が終わることを「解夏(げげ)」と呼びます。仏教用語ですね。

 

・傀儡

 操り人形。くぐつ。でく。自分の意志や主義をあらわさず、他人の言いなりに動いて利用されている者のこと。

お人形さんのことです。



『療養から帰った(解夏)妹は、別人のように(傀儡)なっていた……。』

 

 

タイトルの意味をシンプルに理解すると、あらすじをそのまま表しているように受け止められますね。

ほかにどんな意味が込めてあるのか、大変気になるところです。




解夏傀儡】歌詞




帳が降りたら

畔で待ち合わせ

こうべを垂らして

ぽたりと落ちる

花のように

私の心を

上手に狂わせた

あなたが欲しいから

かもめかもめで半分こ

はにほへと さぁ歌いましょう

赤子のような泣き声で

木霊たちは

気付いてるの

その魂が

偽物だって

すこしだけ すこしだけ

私のものになってくれたら

仮初のこの身体

切り分けて

水底へと堕とすから




暗渠を流れる

赤黒い果実が

ぐしゃりと音を立て

不吉な種をばらまいた

ほらほらおいで

手をこまねいて

まだら模様の曼荼羅

逆さ水で 身を灌いだ

あなたはきっと

綺麗だから

そばにいて そばにいて

真実は常闇に閉じ込め

希釈したあなたさえ愛おしい

その腕で抱きしめて




魑魅魍魎は跳梁跋扈

蜘蛛の糸で操って

命がけの人形ごっこ

空蝉に入るのは誰?

ひとつずつ ひとつずつ

あなたとの記憶を数えて

藍染の丑三つに告げましょう

永遠に続くさよならを

 

今はどうかおやすみ

朝焼けが わたしたちを

分かつまで




解夏傀儡】解読



 では本番です。掘り下げていきましょう。

 

 解夏傀儡】『夜』の楽曲であり、『出会いと別れ』の楽曲です。

 

『帳が下りたら畔で待ち合わせ』で始まり『今はどうかお休み 朝焼けが私たちを分かつまで』で終わっているように、

 

「夜の訪れと共に誰かと出会い、朝になって誰かと別れる」までが歌の内容になっています。

 

正確には歌い終わりが深夜の丑三つ時、別れの夜明けを待っている状態ですね。

 

藍染の丑三つに告げましょう 永遠に続くさようならを 今はどうかおやすみ 朝焼けが私たちを分かつまで』

 

 夜の訪れと共に「誰か」と出会い、深夜に永遠の別れを告げて、「今はどうかおやすみ、朝日が昇って私たちを分かつまで」

というお別れの歌なんですね。ボイスドラマ【彼ハ誰ノ彼岸】では出会いから別れまでの出来事が描かれるのだろうと思います。




 はじめにそんな出会いと別れの曲の冒頭、出会いの場面を見てみましょう。



1番

 

『帳が下りたら畔で待ち合わせ』

 夜の訪れと共に、水際で誰かと待ち合わせをしている場面です。

誰と待ち合わせをしているか。「私」とも言えるし「私ではない誰か」とも言えます。



『こうべを垂らしてぽたりと落ちる花のように』

 素直にに読めば(ツバキのようなぽたりと首から落ちる)花のように頭を垂らす、と読み取れますが、歌詞を切る位置を変えてみましょう。

 

『こうべを垂らしてぽたりと落ちる/花のように』

これで意味が変わります。前の歌詞と繋げると、



『夜になった水辺で【誰か】と待ち合わせをして水面を覗き込んだら花のようにぽたりと落ちてしまった』

 と読み解けるようになります。

 

 つまり待ち合わせをしていた相手というのは「水面に映った私」で、それは「私」であって「私ではない」ですよね。

だからこうべを垂らして水面を覗き込むんです、待ち合わせをしている相手に会うために。

そして落ちてしまったということです。

 それか、『こうべを垂らして~』が前の歌詞『帳が降りたら~』を修飾している風にもとれます。いずれにしても水辺で「誰か」と待ち合わせて、そのまま水面に落ちてしまったことは確かなようです。



 水面に落ちてしまった「私」は別の世界へと移ってしまいました。

 

へ?別の世界?

 

Q.別の世界に移ったってどういうこと???

 

A.別の世界に移ったっていうこと。




詳しくみていきましょう。



 ここでいう「水面」とは「鏡」のこと。「水面」には「鏡」としての役割があります。そして「鏡」には、向こうに側にある別の世界へ繋がる入り口としての役割があるのです。

 

水面に落ちるということは、水面=鏡を通り抜けて別の世界へと移ってしまうことなんです。



 古来より鏡は「神様が宿る」「悪魔が宿る」「別世界への扉になる」等とされ宗教上重要な役割を果たしてきました。

日本においても銅鏡は神事を司る重要な神器として扱われており、鏡を御神体として祀る神社も多数存在します。

日本神話では、アマテラスオオミカミニニギノミコトに授けた「剣」、「勾玉」に加えて「鏡」三種の神器とされているのは有名ですよね。



 もう少し補足します。

 

 古来より人間は『夜』の訪れをとても恐れていました。

【クルリウタ】の考察でも触れたように、夜はこの世とは違う世界に住まう妖怪や悪霊が動き出す時間帯だと考えられていたからです。ゆえに昼と夜、夜と朝の変わり目には「世界の境界が曖昧になり、この世とは違う別の世界に繋がるようになる」と考えられてきました。

 

なので、夜との境界となる朝と夕暮れの薄暗い時間帯には

 

「誰そ彼」「彼は誰」=「あなたは誰ですか」



と問いかけ、互いに何者なのかを確認しあっていたわけですね。その名残が「黄昏時」「彼は誰時」という言葉に残っているのです。



 解夏傀儡】の冒頭では「夜の訪れと共に誰かに出会う」と書きました。

 

 出会う相手は水面に映った「私自身」とも言えるし「私」ではない、「私」に近しい「誰か」であるとも言えます。

奇しくも今回「とてもよく似ている」とされる2人の登場人物が存在しています。

えへへ、綾子さんがわたしの、本当のお姉ちゃんだったらいいのになぁ。

いいよ、やってあげる。かわりに、わたしの言うことも聞いてね。逆らったら許さないから。

明るくて人懐こい彼女はあの子にとてもよく似ている…。



なので夜の訪れと共に水面に映った「誰か」と出会い、こことは違う別の世界へと移ってしまったのだ、

と解釈できるわけです。

 

「花のように」という歌詞は示唆に富んでいると思いますね。



『私の心を上手に狂わせた』

『あなたが欲しいから かもめかもめで半分こ』

 かもめかもめって気になりますよね。

まず思い浮かぶのは子供たちが遊ぶ「かごめかごめ」ですが、なぜ「かもめ」なのでしょうか。

「かごめかごめ」と「花いちもんめ」が合わさった説とか本当にかもめ説とか色々考えましたが現時点ではまだ分かんないです。

 ただ民俗学的に見た場合「かごめかごめ」は大人たちの宗教儀式を子供たちが見様見真似で遊んでいたのが発祥であるとも考えられていて、何らかの接点はありそうな気がしています。



『はにほへと さぁ歌いましょう』

『赤子のような泣き声で』

 「いろ」が無い「いろは唄」と考えられますが、ここもボイスドラマ本編を待ちたいところです。「かもめかもめ」同様、子供たちの言葉遊びと紐付けて考えるのがよさそうですね。

 赤子のような泣き声で歌いましょうって結構すごい歌詞だと思うんですが、

先の歌詞と合わせて『あなたが欲しいからかもめかもめで半分こ』した結果、何か新しいものが誕生したと考えると「赤子のような泣き声」に一種の意味が乗ってきそうな気がします。そしてそれが

 

『木霊たちは気付いてるの』

『その魂が偽物だって』

 に繋がれば、一本の線で理解出来そうな感じがしますよね。



「あなたが欲しいから、かもめかもめ(児戯のような儀式ごっこ)で半分こにしました、その結果生まれた『何か』に宿る魂は偽物だということに、木霊たちは気付いています」

※うたたねP個人の見解です

 木霊たちというのは木に宿る精霊や妖怪のようなものとされています。

 

木霊というと解夏傀儡】に関係しそうなのは、ライブステージである洞窟の外に生えている立ち枯れた木々だとか、洞窟の中に無造作に置かれた木彫りの人形たちが連想されます。

 ミリシタ公式Twitterで公開された資料にも村には祠に木彫りの人形をお供えする風習があるとされており、木霊たちはそれら木彫りの人形に宿っているという見方も出来ますね。



『すこしだけ すこしだけ 私のものになってくれたら』

 ここもボイスドラマの展開を待ちたいところですが、1番の歌詞を通して「誰か」に対する強い愛情や執着を感じさせる歌詞が特徴的ですね。

懇願するかのように「誰か」の少しだけでも私のものにしたいんだ、という。



『仮初のこの身体 切り分けて』

『水底へと堕とすから』

 「半分こ」にしたり「少しだけ私のものになって」と言ったり、そしてまた仮初の身体を切り分けていたり。

 

 1番の歌詞には【一つの物を二つに分ける】という歌詞が非常に多いのが特徴です、

MVのスペシャルアピールや華子・わかばの登場人物設定が思い浮かびます。どのような意図が込められているのでしょう。

 

 そして切り分けた片割れを【水底】に堕としています。

 

 水面に落ちた「私」は違う世界に移ってしまいました。ならば水底へ堕とすから という歌詞も同様の意味を見出せるのではないでしょうか。



 解夏傀儡】の面白い点は今いるこの世界とどこか別の世界のことを、水面を境界とした水の上の世界と、水の中の世界とで分けていることです。

【鏡】を境界とした移動だと左右の移動を想像しがちですが、水面を【鏡】として見立てた今作では、世界間の移動を上下の遷移で表現していますね。

 

 【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】でも、淵って深くて暗い場所って意味だし「夜に堕ちてく」ってそのまんまの意味で落っこちていくことだし…こういう共通点もあるみたいです。面白いね!

 

ただし、ボイスドラマの舞台となる世界が「上側」の世界で、「私」が「下側」の世界に移ってしまうのか

舞台となる世界が「下側」の世界で、「私」が「上側」の世界から移ってくるのか

 

それはまだ分かりません。ちょっとややこしいですね。

 

 世界観の上下移動というと天国と地獄とかがなんとなく思い浮かびます。今作【解夏傀儡】は仏教関連の要素とも非常に強い関連があるっぽいので、何か関係有りそうな気配はしています。

2番

『暗渠を流れる 赤黒い果実が』

『ぐしゃりと音を立て 不吉な種をばらまいた』

 暗渠(あんきょ)とは、地下にある河川や水路のことです。人工的に作られたものもあれば、自然の河川に蓋がされて地下化したものもあります。蓋をされて隠されてしまったんですね。

 そんな暗渠を流れる赤黒い果実とは一体何なのでしょうか…このパートを歌っている育ちゃんのSSR衣装は確か赤い色だったと思いますがよく分かりません。不吉な種も一体何を表しているのでしょう。

 自然に存在する果実だと「ザクロ」が近いかなって思います。身が裂けて破裂することで種を撒き散らす植物ですね。ザクロもね~宗教的に色々意味がある植物ですからとっても気になるところです。ザクロジュースおいしいよ



『ほらほらおいで 手をこまねいて』

『まだら模様の曼荼羅へ』

 

曼荼羅とは、仏語。密教で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩ぼさつなどを体系的に配列して図示したもの。コトバンク

 

 

 この部分は別の機会に書きます。

 

『逆さ水で 身を灌いだ』

『あなたはきっと 綺麗だから』

 逆さ水は故人に対する風習やしきたりの一部です。

 亡くなった人の体を拭いて清める際に使うお湯は、お湯に水を注いで温度を調整するのではなく、水にお湯を注いで温度を調整するのだそうです。そうして普通とは逆の手順で行うから「逆さ水」と呼びます。着物を左前に着ることが死装束だとして禁忌とされているのと同じですね。

 

 これらの風習が定着したのは死後の世界はこの世と全てが真逆に出来ていると考えられていたことが理由と考えられています。

故に死人に対しては全てを逆にして死後の世界に送り出すことが風習として定着したのだとされているんですね。

その他にも、死を忌避する意識からあえて本来とは違う手順にしているんだとか、諸説あります。

 2番サビ前の部分がずっと気になってて今日(12/25)にようやく確かめたんですが、

「ほらほらおいで」から「綺麗だから」までのパートは音楽が逆さまに流れています。

逆再生されています。「逆さ水」の歌詞の部分でちゃんと。すごいですね。だいぶトチ狂った感じだったのでかなり怖かったです。



『そばにいて そばにいて』

『真実は常闇に閉じ込め』

『希釈したあなたさえ愛おしい』

『その腕で抱きしめて』

 すごいヤンデレが歌う恋愛ソングみたいな歌詞ですね。実際そうかもしれない。

 

 「希釈したあなたさえ愛おしい」という表現ははじめてみました。これも1番の歌詞のように切り分けたり半分こしたりと同じように、一つの物を二つに分ける表現の一種なのでしょうか。



『魑魅魍魎は跳梁跋扈』

蜘蛛の糸で操って』

魑魅魍魎:化け物や妖怪のこと

跳梁跋扈:妖怪や悪者がはびこり、うろつき回ること

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を想起させる歌詞ですね。跳梁跋扈する魑魅魍魎を蜘蛛の糸を垂らして操っているのかな?(シンプル)

 

『命がけの人形ごっこ

『空蝉に入るのは誰?』

空蝉:セミの抜け殻のことで、中身がないことや虚しい様を言います。

 

 ここの歌詞もまた別の機会に書きます。



『ひとつずつ ひとつずつ』

『あなたとの記憶(おもいで)を数えて』

 「記憶を数えて」がアルバムをめくるかのような振付になってるのめちゃくちゃ好きです。

歌詞もあいまって悲しげな様子が目に浮かぶようです。



藍染の丑三つに告げましょう』

『永遠に続くさよならを』

 

 歌詞考察の冒頭で書いた通り、解夏傀儡】の時系列で現在はまさにここまでになります。

夜の帳が降りて「誰か」と出会った後、藍染の丑三つ=深夜丑三つ時まで時間が進んだことになります。前の歌詞と繋げれば、出会った後色んな想い出を作ったりしたのかもしれません。そんな記憶に浸りつつ、永遠に続くさよならを「あなた」に告げることになります。切ない。

 「永遠のさよなら」か「永遠に繰り返されるさよなら」か、迷ってたんですがどうやら前者っぽいです。



『今はどうかおやすみ』

『朝焼けが わたしたちを分かつまで』

 

【クルリウタ】と同様、歌詞の一番最後でボイスドラマのタイトル【彼ハ誰ノ彼岸】を回収して終了です。なんとうつくしい。素晴らしすぎますわ。

 

 ということで、夜の帳が降りた頃に出会った「私」と「あなた」は色んな記憶を作って深夜になり、夜が開けることで永遠の別れを迎えることになるんですね。

「分かつまで」がこれまでの歌詞に出てきたような一つのものを二つに分けることを表すのか、それとも

「私」と「あなた」が永遠に会えなくなる「別れ」のどちらを意味しているのか、両方を意味しているのか。

 はたまた別れることなく、まったく別の結末を迎えるのか。

ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。

はやく聴きたいですね~~~~。

 

出会いから別れまでを描く歌であると仮定した場合、公式SNS等で狂った美咲ちゃんが出してきたり、アイマスポータルの真っ黒なニュースが出してきたりした

 

『ずっと一緒だよ』

idolmaster-official.jp

というメッセージの意味が分かってくるような気がしますね。

 




 

 

書けたもの:3割

まだ書きたいもの:7割

 

ボイスドラマを聴いた後も色々書いていく予定なので

良ければまた読みに来てください☆

 

 

 

 

 

 

 

解夏傀儡】深掘

 

 解夏傀儡】の歌詞には【クルリウタ】と同様、物語が描かれていると考えています。

ここから先は【彼ハ誰ノ彼岸】本編と更に深い関連性が予想されるため、特にご注意ください。あと雑です(時間が無くて)





-音楽-

作詞・作曲・編曲はすべてグシミヤギ・ヒデユキ先生

 グシミヤギ先生がてがけた他の楽曲は【スペードのQ】【裏表深層心理】【折紙物語】

作詞・作曲・編曲の全てを担当されるのは解夏傀儡】が初。

電話の着信音やチャイムなどの効果音が活用されている。

 

解夏傀儡】で使われているダイヤル音、ファクシミリ音、通信終了音に注目。

解夏傀儡】全体のモチーフとして使われている。

 

ファクシミリ

〔文書などの完全な〕複製、模写可算

ファクシミリ送信◆【同】fax

ファクシミリ文書[画像]◆【同】fax

ちなみにファクシミリが国内で実用化されたいちばん最初の事例は1928年昭和天皇の即位礼の速報の伝送。時代設定的に同じだね。

 

 

ダイヤルをプッシュし相手方に接続する(ダイヤル音):

 曲の冒頭、1番の中で使われる

データが音声信号となって相手方に送信される(ファクシミリ送信音):

 曲の中頃、2番で使われる

送信完了後、通信が切断される(通信終了音):

 曲の終わりに使われる




夜の訪れと共に

「水面に映った「私自身」とも言えるし「私」ではない、「私」に近しい誰か」

に出会う(ダイヤル音 異界との接続の確立)

こことは違う別の世界へと移ってしまう

そして最後には通信が切断される

 

という楽曲全体を表現している、

 

 

ファクシミリは文書そのものを送るのではなく、

文書を複写(コピー)して、データを音声信号として送っている(ファクシミリの通信音 異界への遷移)

 

文書を読み込むためのスキャナーには【鏡】が使用されている

解夏傀儡】冒頭で水面に落ちて違う世界へ移ってしまったものは"何"か

 

肉体もろとも移ったんじゃないのかもしれません。

 

例えば・・・・・・""とか?

 

肉体を魂の容れ物とする捉え方は古くから存在していたし、可能性はあるかもしれない。

 

水面に【映った】「私」の【写して】別の世界に【移した】のかもしれない

ファクシミリの機能と全く同じ。

 

水面に映った「私自身」とも言えるし「私」ではない「私」に近しい誰か

それはコピーと言い換えられる。

 

『その魂が"偽物(コピー)"だって』

 


民俗学にも「魂を複製して殖やす」って概念があって、今作を読み解いていく上でたいへん重要視している要素。


-ライブステージ-

解夏傀儡】のライブステージは不吉な洞窟の中になっている。

洞窟の入り口は大きく開いており、木立ちの影となり『ヒビが入ったかのような満月』が覗いている。

玉?



ステージとなる洞窟の中は広いが薄暗く、天井から水滴が滴っている。

奥には祭壇が設けられ、巨大な岩と剣が安置されている。

岩には注連縄が巻かれており、祭壇の中央最奥部にあることから御神体であると思われる。

祭壇は謎の印の垂れ幕がかかっており、両脇には幡(ばん/はた)が置かれている。



儀式は2回行われている。1回目はSSR 医師 四条貴音の覚醒後カードの場面

2回目は解夏傀儡】MVのスペシャルアピールの場面。




-天岩戸隠れ-

 今作はモチーフとして日本神話に語られる『天岩戸隠れ』が採用されている可能性が高い。

ライブステージの洞窟は宮崎県高千穂町天岩戸神社の『天安河原』がモデルのよう。

 

イベント初日にオルPが特定しました

 

オルP「私が見つけました」

天岩戸神社天安河原




祭壇の御神体天照大御神が引きこもった洞窟を塞いだ大岩と考えられる

 

キービジュアルに登場する剣、各アイドルたちが持っている玉、そして【鏡】は

天岩戸隠れ伝説の天照大御神三種の神器じゃないかと考えられる

 

色々と関係が有りそうなので今後も要注目

 

 

ほか:

四条貴音さんのSSR衣装は〇〇〇〇〇ー〇じゃないかとか

このお話のモチーフは1724438826913849762じゃないかとか

 

 

 まだまだ書き足りないぜ!!1皆さま良いお年を☆

 

 



ミリアニ劇場先行公開の第一幕を観てきた話【ネタバレ含】

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誰ソ彼ノ淵の考察こちらから記事一覧へ移動してください

下にスクロールするとミリアニ第一幕のネタバレがあります

 

 ミリオンライブ!のアニメ劇場先行公開を観てきました。この記事にはミリアニ第一幕を劇場先行公開初日に鑑賞したうたたねPの感想が書き殴ってあります。ご注意ください

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

≪まだネタバレ無し感想≫

 

 

 先に感想を言ってしまうと大満足でした!すごく楽しかった!

 めちゃくちゃに面白くて楽しくて興奮しっぱなし。買う予定なかったパンフレットも購入しましたし帰り道ではずっと『Rat A Tat!!!』が頭の中で鳴り続けていました。帰宅しても高揚感が尾を引いていて、幸せな夢を見ていたかのような。

 誰かにこの感動を伝えたい!ミリアニをもっと多くの人に観てほしい!という思いがずっと胸中を席捲しています。いやぁ久々だなぁこんな感覚。初日に観て大正解でした。

 いやぁ~最高だった。ミリオンライブが生まれてから10周年の節目に、ミリアニを劇場で観られる喜びをどう言葉に言い表せばいいのか分かりません。ゆえにありふれた言葉にするしかないのです。

 良かった。とっても良かった。最高でした。それしか言えねえ。

 ネタバレしないように感想を抽象化していくと本当にコレにしかならないんです。「観てみたけど微妙だった」「アニメ化してくれただけでも十分嬉しいよ」…となる可能性だってあったのに。全くそうはなりませんでした。本当に素晴らしい作品を観させてもらいました。ミリアニの製作に携わった全ての人たちに心からのThank you!をおくります。

 

 

≪もうちょっと砕いて書くネタバレ無し感想≫

 

・品質

・これから観る・まだ観てない人たちへ

アイマスとかミリオンとかよく知らないけど観れる?




・品質

 

 予想して置いといた心のハードルを軽々と飛び越える出来栄えでした。

 CGアニメのクオリティは非常に洗練されており、動作や表情、指先の動き一つひとつまで不自然さを感じずに観られました。もともと私自身がCGアニメに拒否感が無いのもありますが、それを差し引いてもたいへん良い出来栄えだったと思います。

 シナリオも非常によく練られていて”納得感”が得られました。そのアイドルだったらそういう場面でそういう行動を取るよね/取らないよね、という解釈の度合いがマッチしていてすんなりと心象に馴染んでいくんです。



・これから観る人、観るかまだ迷っている人へ

 劇場先行公開で観るか迷っているのなら、間違いなく劇場で観ることをオススメします。もう色々なオタクや同僚さんたちが口を酸っぱくして繰り返し言ってますがこれは本当に、信じて劇場に足を運んでほしい。間違いないから。迫力の音響と大画面でミリアニを堪能できるのは今だけなんですよ。

 あと現時点ではテレビ東京BS11しか放送情報がないというのもあってね…もっと放送してくれる局とか増えるといいんですがね~。

 

 私はミリオンアニメ化発表当初から大きな期待を寄せてはいましたが、同時に期待し過ぎないようにもしていました。勝手にハードルを上げておいて、期待したほどじゃなかったと勝手に落胆するのって嫌じゃないですか。そうなることが怖くって予防線を張っていたんです。失礼な話ですけど。結果的にその心配は全く杞憂だったと分かり、最高の体験が出来たという満足感充足感、製作陣への感謝とミリアニ続編への期待感でいっぱいです。だから劇場に足を運んで体感して欲しいんです。

 

 

・ミリオンライブとかアイマスとかよく知らないけど観れる?

 

 観れます!予習しなくても観れます。登場するアイドルは多いですが全員覚える必要は無いし、覚えなくても楽しめるようになっています。

 パンフレット(ネタバレあるので上映後に読みましょう!)を購入してもらえれば、登場するアイドルたちが紹介されているのでより分かりやすくなると思います。

 アイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ:通称ミリシタというゲームアプリもあるので、気になるアイドルが見つかったら是非始めてみてください。

millionlive-theaterdays.idolmaster-official.jp

リズムゲームとか苦手だしな…って場合にはコミカライズもあります。しかもいくつもあります!全部名作です!四コマだってあるし、ミリオンマガジンという雑誌だってあります!ボイスドラマもあるし格闘技もあるし公式靴べらだって売っている!(?)たまに変なものも…ある! ミリオンだから…

 でも10年の厚みってすごいですね。オススメしたいものがいっぱいある。いっぱいいーーーーーーーーーっぱいあるんです!!!!!!!ミリアニを観て、一緒にミリオンを知って、触れて、楽しんでくれたら嬉しいと思います。














 

ハイ!ネタバレ見たくない人はここまで!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪ここからネタバレ全開≫

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しかった~~~~~~~~~~~!!!!!

面白かった~~~~~~~~~~~!!!!!

最高~~~~~~~~~~~~~~!!!!!

 

いや~もうほんっとに!めっちゃくちゃいいアニメに仕上がってて感動しました!最高だったね!良かった良かった!アイドルの個性も特徴も出てたしミリアニPもすごくプロデューサーって感じで良かった!あれは信頼を置けるプロデューサーだと感じました。

 

 プロデューサーがどういう風に描写されるのかって大きなことだし、アイマスのアニメを作る上である意味ネックになる点だと思うんです。「プロデューサー」に重ねるものって皆それぞれ違うし、ミリシタのプロデューサーともまた違う存在だし。

 その点で言うとミリアニPは、多くの同僚さんたちに受け入れられる人柄のいいプロデューサーだなって感じました。ミリアニPをサポートする765プロ高木社長、チーフプロデューサー、小鳥さん、美咲ちゃん、あと早坂さん。色々な人のサポートを受けながら、一歩ずつアイドルたちと一緒に成長していくんだという方向性をはっきりと見せてくれたのはすごく安心したところです。その姿そのものにミリオン10年間の歩みを重ねてしまう。彼が私たちとミリオンスターズの子たちと共に歩む道のりが心から楽しみですね。

 チーフPもとい赤羽根P、アニマス赤羽根Pよりも貫禄が出てますよね(当然だけど)。それも個人的に嬉しいことだなって思ったり。出世したな…(n年ぶりの同僚が出世してて頼もしさが増してた感じ)。




第1話『たったひとつの自分らしい夢』

 

未来ちゃん可愛くてビックリした!!!

 

まずそこよ。春日未来ちゃんが可愛い。動いてる未来ちゃんがめちゃくちゃ可愛い!

ソフトにバスケに弓道に、色んな部活の助っ人で活躍するから何気に今作いちばんの衣装量だったのでは?かわいいね。

弓道部にも助っ人として参加していましたが実際に弓を引いて矢を射るのは相当難しく弓返りもできているのでかなり筋が良いと思います。元弓道部並感)

 

 「未来はとりあえず何でもやってみて、全部楽しんじゃう」って親御さんも仰ってましたけど、未来ちゃんがどれほどのポテンシャルを秘めているか伺わせます。バイタリティとも言いますか。本当にやりたい1番の夢、それが見つからなくて燻っていた未来ちゃんが「アイドル」という「」を見つけて、周囲を巻き込みながらどう変わっていくのか。観ていて本当にワクワクしました。



静香ちゃん可愛すぎてビックリした!!!

ツバッティー可愛すぎてビックリした!!!



ビックリした~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!

 

 静香の可愛らしさも抜群に出てましたね…美人っぽさにも寄せていますが。幼い頃の屈託のない静香も可愛かったし765ASのライブを観た帰り道に「夢」と対面を果たした1人の女の子の表情になっていたも本当にかわいくて良かった!特に静香は喜びや楽しさだけじゃなく焦燥感や葛藤を滲ませる場面も多いのだけど、内面をひとつひとつ汲み取って表情に出すのが本当に素晴らしかった。

 

ツバッティーは純度100%に可愛かったです。この時点で3人の中ではいちばんベールがかかっていたけど、ツバッティー”らしさ”がよく表現されていました。自由気ままな彼女が今後どう覚醒するのか。今から楽しみですわ~~~~~~~。顔かっわ。足なっが。お尻ちっさ。スタイル良ッッッッッ




 そして765ASのライブね、、、、、、、、、、、、、いやぁ、、、、、、言葉を失くすってこういうことをね、、、、言うんだと、、、、美しかった。圧巻のライブシーンでした。Top!!!!!!!!!!!!!は色々な文脈で語られることの多い名曲ですが、ミリオンのアニメの中でASが歌った曲として、ミリアニ1話で披露された曲として語られる深度が更に深まったなと思います。

 

 ASのアニメ出演は公式からは事前の情報は何も出てなかったし、多分出るんだろうなと予想はしてもどの程度出るのか分からなかったじゃないですか。ほんの少しだけの出演かもしれないし、ライブだけで会話のシーンは無いかもしれない。どうなるか分からないから心細かった思いもライブが始まったら全部吹っ飛びました。春香が歌っている、千早も美希も貴音さんもりっちゃんも皆キラキラ輝いて、これほどまでとは・・・思わなかった・・・最高だった・・・全部の不安が消え去りました。

 始まるOverture、響くクラップ音、スクリーンに映し出されていくシルエット、聴き馴染みのある音楽と歌声。今思い出しただけでも泣きそうになります。最高の景色でした。





『がんばれ!』






めちゃくちゃ良かったですね。告知動画でもあった未来の「がんばれー!」とToP!!!!!!!!!!!!!の歌詞をこう重ねてくるとは。脱帽しました。あれが実はToP!!!!!!!!!!!!!をやる伏線だなんて気付いてた人いました???ミリアニ1話の展開がToP!!!!!!!!!!!!!の歌詞と繋がっていてよりストーリーに没入しやすくなりました。こういう演出は流石の芸だと思います。




 夜の公園のシーンも引き込まれました。未来と静香にアスレチックときたらゲッサン版ミリオンライブの第1巻ですよ。

 

そう、ミリアニにはこれまで10年間のミリオンライブを見てきた人ならきっと色々な発見があると思うんです。色んな所にこの10年の積み重ねの中で培った要素がしっかり活かされていて。古参”だけ”に向けた描写があるんじゃなくて、同じシーンを普通の人が見ても楽しめて、同時に知ってる人にとっては更に楽しめる仕組みになっているのがすごいなと思います。

初心者も古参もみんな楽しめるってこういう事なのかって思いました。





第2話『夢のとびらはオーディション』




 すごかった!圧倒されました!!!なんですかこれ。アニメたった1話分にどれだけの展開が詰め込んであったのかと。ミリアニPが直面する課題の提示から回収までの展開にたった1話。その間にオーディションと劇場の情報提示とアイドルたちの描写を挟んで一切無駄も無理もない展開。あっという間だったのにものすごく濃密で。最高に楽しめました。

 オーディション会場が中野サンプラザっぽかったり、先に合格した劇場アイドルの子たちがオーディションの運営を手伝っていたり、注目ポイントが多くていいですよね。このみ姉さんは立派なお姉さんですけどシュバってくる所とかめちゃくちゃ可愛いかったです!



 2話いちばんの見所といえば何といっても実演オーディションシーンでしょう。絶対に失敗できない場面で思うようにパフォーマンス出来ない静香の演技と描かれ方はちょっと胸が苦しく感じるほどでした。緊張と焦りが悪循環になってみるみる追い詰められていく。

 でも未来が無意識に神がかりフォローを(予め)入れてくれてうまく盛り返せました。良いですね。何か吹っ切れたしずかちゃんのパフォーマンスが見違えるほどよくなって。ゲッサンミリオン2巻の春香のセリフを思い出しました。

 

私たち普段はただの女のコだけど、応援してくれるファンが一人でもいてくれたら…
その瞬間からアイドルになれるのかもって。

 あ゛~~~~~~~。嗚咽を堪えながら泣きました。

 

 その後に見た幻?幻覚?ミリアニPだけじゃなく他のアイドルたちにも見えていたようです。自分たちも同じ舞台に立って歌い踊る幻覚が見えてしまうってすごいですね。唐突で多少ビックリしましたけど、あれこそが「目指すべき場所、力強いビジョン」だったと。あの関係性こそがミリオンスターズに必要なものだという表現に受け取りました。遂に私も幻覚Pの仲間入りじゃ。集団幻覚P。





第3話「きらめく世界!私たちのシアター!



「原っぱ~~~~~~~!?!?!?!?!?」

 

草です。いや草じゃないが。

 ただの原っぱにやたらオーバーだなぁワハハと思っておりましたこの時は。



 3話から一気に世界が広がって、劇場の色々なアイドルたちが前面に出てくる群像劇になるんですよね。私群像劇のオタクなので本当に胸が躍ります。全体で39人もいるから全員紹介するのはちょっと大変なんじゃないかって思っていましたが、案外うまいこと話が展開しながらアイドルたちの個性と紹介が出来ていたんじゃないかなと思います。

 

 たしか3話だったと思うんですけど、先輩後輩の話ってあったじゃないですか。

765プロをけん引する765ASとバックダンサーのシアター1期生組、

先にステージに立ったシアター1期生組とまだデビュー前のシアター後発組。

 

 この二つのフレームの中で「先輩後輩関係なしに、同じ仲間として頑張っていこうね」みたいな感じの話があったと思うんです。AS組では伊織が、1期生組では百合子にフォーカスが当たっていて、私はこれがすごく嬉しかったんですよね。そりゃあ、時期も経験も立場も違うのは当たり前なんですが、全体として動く前に視線というか立ち位置を等身大に揃えてくれたように思うんです。そういう前提で物語進めていきますよってね。それが後の建設途中のシアター見学や屋上でのやり取りに繋がっていったんじゃないかなと思います。

 百合子が「先輩だから」と意気込んで頑張るんですけど、かえって無茶をしてしまいヘトヘトになっちゃったシーンとか。溶けた百合子めちゃくちゃ可愛かったな。

 互いの想いを伝えあって理解しあって、同じ仲間としてこれから一緒に頑張ろうねと仲良くなっていく。私はそれがとても嬉しいと思った。

 まつり姫ってすごいですよね。冷静に広い視野で周りを見ていて日頃からの気づかい心配りを欠かさない。ソロプレイもチームプレイも出来てレギュラーもサポートも務められるって。現場大臣とも仲良くなっているし。


 第4話『原っぱライブ はじめます!?』

 

「原っぱ~~~~~~~~~~~~!?」

 

 すごくテンポよく話が進んで早くも4話。早すぎない?未来の発案からお話が転がって、雪だるま式に話が大きくなっていって色々な問題が大噴出する回。

 最初はみんなバラバラに考えて行動していたのが、どのようにミリオンスターズがまとまっていくかがコアになるお話だと見ていました。

 でも私は序盤に起きるこの手のトラブルが結構苦手なんです。お調子者や新参者が安易な考えで行動を起こした結果、周りを巻き込んで大騒動に発展するっていう展開が。

 大抵発端となった人物にお灸が据えられてはた迷惑な出来事だったなやれやれで終わるんですが今作ではそうなりませんでした。個人的にかなり救われた思いでした。ミリアニPが前面に出てきちんと態度を示してくれたこと、誰も原っぱライブの案や発案した人そのものを否定しなかったこと。私がミリオンの好きなとこって端的にこういうところだと思うんですよ。言葉にしづらいですが…。また観に行く時にもっとしっかり観ようと思います。

 

 桃子は本当に大事な役割を果たすことが多い子だなぁと思います。言っていることは正論だし、言い辛いこともきちんと指摘できる点が彼女の長所でもあります。ただ、時に彼女自身を辛い立場に立たせることにもなります。

 聞き違いでなければ桃子が糾弾していたのはミリアニPの監督不行き届きであって、未来のアイデアまで全否定していたわけでは無かったと思うんです(発案した側の受け止め方が…という問題はありますが)。シアターの本格始動前に準備不足で時間もなく計画すらまとまっていない。そんな状態を桃子のプロ意識が許せなかったんだと思います。いい加減な状態のまま見切り発車をさせてしまったミリアニPの責任を追及していたのだと。それはとても大切なことです。

 舞台裏での未来とミリアニPの会話、ここも大好きですね。ちゃんと未来ちゃんの話を聞こうとしてくれて、みんなの意見も聞こうとしてくれて、アイドルたちと一緒に歩んでいこうとする姿勢に共感と信頼が生まれました。スーパートリックスターMVPのツバッティーの評価もストップ高です。

 一番大切なことは準備とか計画よりも想いなんです。未来が何をしたいのか。シアターのみんながどうしたいのか。それだけでいいんです。自分の「夢」と「想い」を伝えて理解しあってみんなで先に進めるようになる。それってかつて見たあの光景なんですよ。激しい雨の中、準備中のステージに皆で集まって想いを伝えあったあの場所なんです。センターステージに立って「私のやりたいこと」を伝えた天海春香と、舞台袖から「私のやりたいこと」を伝えた春日未来。この対比の美しさたるや言葉にできません。天才ですよこの構図を描くのは。

 早くアイドルになりたい、みんなと一緒にステージに立ちたい、輝く景色を見てみたい。

 アリーナでのライブに比べたら原っぱライブは小さな小さなものだけど、デビュー前の彼女たちにとってはそれがひとつの「輝きの向こう側」なんですよ。

 

 

 

次回予告。5話以降、みんなで原っぱライブに向けて準備を進めていくことになろうかとは思います…が…

 

ここで持ってくるとは想像してなかったよ”てづくりのぶどーかん”・・・!



原っぱを殊更に強調していたのは・・・社長が「この場所だ」と言ったのはそういうことだったのか!と気付いたところであの画像を思い起こしてまた泣きました。てづくりのぶどーかん。はじまりは小さなテント小屋だったものね。いつか本物の武道館でのライブを夢見て作った、手作りの小さな小さな”ぶどーかん”。ミリオンライブのはじまりの姿です。

 感無量ってこういうことを言うんですね。てっきりミリアニはムビマスをざっくりと継承した延長線上にある作品だと思っていましたが重ねてあるとは思いもよりませんでした。アリーナでのライブはてづくりのぶどーかんでの原っぱライブ。デビュー前の彼女たちにとっての「輝きの向こう側へ」が描かれるんですね。

 何度目かのミリオンライブ!の始まりをまたアニメで描いてくれるのか。観させてくれるのか。言葉に出来ない幸せな感情がこみ上げてきて、ふと『Crossing!』のサビが急に思い起こされて涙が溢れました。

 Thank you!から始まった新しい時代の幕開けを、何度目かのスタートを、一緒に歩むことができて私は本当に幸せです。

 

 

 

おわりに

 

 

 

 ミリアニはミリPだけでなく、他マスPにもミリオンを知らない人にもオススメしたい、観てほしい作品です。身内贔屓を抜きにしてそう思いました。

 初めてミリオンに触れる人たちにとっては、これ以上ないほど最良の「入口」になると思います。まだ第一幕までしか公開されていないのに確信をもってそう言えます。「この子かわいいな、気になるな」と思ってもらえたら、そのアイドルがミリオンライブへの「扉」になるからです。『一人も手放さない』ことを大切にして実現し続けてきたミリオンライブだから、誰から入ってもどこから入っても大丈夫だと思えることが本当に素敵だと思うんです。

 ミリオンライブ!誕生からずっと追ってきたような古参の同僚さんにとっても最高の作品になったと思うんです。彼らがプロデュースし続けてきてくれからこそ今のミリオンライブ!がそこにあると思うし、最高のアニメーションを観させてくれたんだと思うので。私ももっと早くミリオンに触れたかった。先輩方が羨ましくてたまりません。

10年待った甲斐があったなぁ。本当にありがとう。

 

 

 私が担当を名乗らせていただいている桜守歌織さんは、第一幕ではまだ出番がありませんでした。でも全くネガティブな感情はありません。むしろ納得さえしています。今後の展開でミリシタからの追加組2人も加わって、本格的に765ライブシアターが動き出すその時が、今から本当に楽しみです。心待ちにしています。

 ミリアニ第一幕、私の感想としてはもう最高だと。これがミリオンライブだと心から言える作品だと感じました。こんな素晴らしい作品を観れて本当に嬉しいです!嬉しいーーーーーーー!!!

いやぁなんかもうずっと、観終わってからずっとRat A Tat!!!が離れないんですよ。最初に聴いた時は良い曲だなーとは思ったけれど。予告で映像付きで聴いた時は、結構好きかもって思ったけれど。ミリアニで流れた時は胸の高鳴りとワクワクが止まらなくて夢中になってしまいました。ラストで流れたRat A Tat!!!のフルがもうめちゃくちゃ良くて!皆で思いっきり声を出して叫ぶように歌うRat A Tat!!!が。最高でした。仕事中もずっとRat A Tat!!!が鳴りやまない。どうしよう。また劇場で聴きたくなっている。また観に行きます。

 

 

 ミリオンライブでした。私達がよく知っている、でも新しいミリオンライブを観ました。これまでの10年間がぎっしりと詰まっている、でも新しいミリオンライブを観ました。

これからのミリアニの歩み。ミリオンライブ、10周年のその先の歩み。これからもずっと一緒に経験したいと思います。

 





例えば 小さな扉 

誰かがノックしているような 鼓動を 

指折り数えはじめていたと 

気付いた

 

 

Rat A Tat!!! 

叩こう! 夢のとびらを 今!

Rat A Tat!!! 

叩こう! 思いっきり叩こう!

 

Thank you! for… 

作ろう 数えきれないステージ

 “この場所”から 

 

扉開けて 

さあ行こうよ 

私たちの 

Brand New Theater Live !!

 

 

 

イエーイ!!!!!

【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】は【千と千尋の神隠し】だった説

 

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※この記事は発展的な考察の内容を含みます。他の記事を先にお読みいただくことをオススメします。

はじめに

 

 この記事は、【クルリウタ】とボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】が、スタジオジブリのアニメ映画千と千尋の神隠しをモチーフとした作品である、という仮説を立て、検証を試みる記事です。

 考察を通じて【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】へのより深い理解を促すことを目的としています。



 【誰ソ彼ノ淵】とは、2020年7月29日に発売されたCD「MILLION THE@TER CHALLENGE!!03 クルリウタ」に収録されたボイスドラマです。アイドルマスターシリーズのドラマCDとは信じられないほどのショッキングな内容が大きな話題となりました。

 

 千と千尋の神隠しとは、宮崎駿監督が総指揮を執り、スタジオジブリが製作した2001年公開の長編アニメ映画です。国内外から非常に高く評価されている、日本を代表する作品です。

 

 【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】が【千と千尋の神隠し】をモチーフとして作られた物語だとするならば、これらを比較・分析することで、より理解を深められるはずです。



 筆者うたたねPと共著者オルPは、過去の考察で取り上げた「黄泉比良坂」の伝説や「常世の国」も含めて、民俗学的な要素」がこの作品の随所に含まれていると考えていました。ただ、それらの要素と【誰ソ彼ノ淵】とが、うまく線で結びつけられないもどかしさを感じていました。説明をしようにも、どうしても唐突な感じが否めないのです。

 

 そのミッシングリンク千と千尋の神隠しが埋めてくれるかもしれないのです。つまり、過去の考察で書いていたような

 民俗学的な要素』【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている

のではなく、

 

《『民俗学的な要素』が多く含まれている作品【千と千尋の神隠し】》が【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている

 だから【誰ソ彼ノ淵】の中に民俗学的な要素を多く見出せたのではないか。と考えたのです。

 

 過去の考察をご覧になって「どうしていきなり民俗学?」という疑問を持たれた方もいらっしゃると思います。今回の考察記事で納得して頂けるかもしれませんね。がんばります。



 前置きが長くなってしまいました。共にこの狂気と魅力に満ち満ちた物語を、今一度深く深く掘り下げていきましょう。当然のようにネタバレを含みます、お気を付けください

 

 

 

さいしょに

 

 先に結論を言うと、【誰ソ彼ノ淵】千と千尋の神隠しを基盤にした上で、全く真逆の展開となるようにストーリーを再構成して作られた作品です。そのため、類似点がが数多く存在しています。

 

 読み解くキーワードは、《欲望》です。



  • よくぼう ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち。「―を抱く」「―を満たす」 -広辞苑

 

 食欲や睡眠欲、性欲など基本的・生理的な欲求から、愛したい、認められたい、傍に居たい、独り占めしたいといった社会的欲求や承認欲求など、その形は実に様々です。

 私たちはこれらの欲求をコントロールしながら生きています。空腹になったら食べ物を食べて食欲を満たしたり、誰かに認めてもらいたくて勉強や仕事を頑張ったり。

 しかし欲望のコントロールが出来なくなると、犯罪を犯すなど倫理や社会規範を逸脱した行動をしてしまいますね。「欲望が人を狂わせる」とはよく聞く言葉です。



 【誰ソ彼ノ淵】千と千尋の神隠しも、この《欲望》が作品のテーマになっています。【クルリウタ】では歌詞の中にも「欲望」ってワードが登場しますしね。

 まずはそれらも含めて、ストーリー構成の面から見ていきたいと思います。



はじまり

 

 千と千尋の神隠し

  • 主人公の萩野千尋とその両親が、遠い町から車で引っ越してくる。
  • 道を間違えてしまい、山道のトンネルを通って不思議な世界へ迷い込んでしまう。
  • 辿り着いた無人の不思議な街を抜けた先、大きくて立派な屋敷の正面で、ハクという少年に出会う。
  • 急速に日が傾き、夕暮れ…「黄昏時」になる。
  • ハクは千尋を見るとすぐに戻れと問答無用で帰らせた。

 

【誰ソ彼ノ淵】

 

  • 船に乗った野々原茜らクラスの一行が、自然学校へ向かう。
  • 突然の嵐に見舞われて船が遭難してしまい、茜ちゃんとクラスメイトの島原エレナ、担任教師の桜守歌織先生、教育実習生の秋月律子先生の4人は、謎の島に流れ着く。
  • 茜ちゃん一行が助けを求めて島の中を探索するうちに、森を抜けた先の大きなお屋敷の庭先で、メイドの志保と出会う。
  • 時刻は夕暮れ、「黄昏時」になる時間帯。
  • 茜ちゃん一行から話を聞いた志保は、屋敷の主人に紹介するため一行を屋敷の中へ招き入れた。

 

 ・・・ほらね?



 【誰ソ彼ノ淵】千と千尋の神隠しも、序盤がほぼ同じ展開で始まっていることがお分かりいただけると思います。



見知らぬ土地に迷い込み

大きな屋敷の前で、女主人に仕える人物と

黄昏時に出会う

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【誰ソ彼ノ淵】での茜ちゃん一行と志保の出会いのシーン。黄昏時。

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千と千尋の神隠し】で千尋とハクが出会うシーン。欄干の陰が急速に伸びる。黄昏時。



 二つの物語の導入部分をバッチリそのまま重ね合わせることが出来るんです。すごいですね。

 

 ハクは逃げられなかった千尋を救うべく、やむを得ず屋敷の主人である湯婆婆の元へと千尋を向かわせることになります。

 対する志保は、茜ちゃん一行の話を聞くとそのまま屋敷の女主人である二階堂千鶴の元へと案内します。

 しかし志保はここで「…多いか」と、小声で呟いているんですよね。

 これを「本当は見逃して助けたかったが訪問者の数が多く断念した」のか「この場で処分したかったが訪問者の数が多く断念した」のか、解釈は分かれるところです。



 さて。千と千尋の神隠し【誰ソ彼ノ淵】。2つの物語はここからそれぞれ異なる道筋をたどり始めます。

 同じような展開の、同じような幾つかの『分岐点』で、違う選択・違う行動を選ぶことで異なる結末へと至ります。そう、まるでテーブルトークRPGのシナリオのように。

 

ん?TRPG

 

オルP「やあ!」

 

 

 

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】ストーリー考察(オル) - 眠る蟻の考察

 

 オルPの記事をまだご覧になっていない方は、お時間があるならまずそちらから見てみることをおススメします。

 

読みましたか?

読みましたね?

 

 

 ここからは、過去の考察記事でオルPが指摘していたクトゥルフ神話TRPGとの関連性に焦点を当てつつ見ていきましょう。

クトゥルフ神話TRPGとの関係性

 

 オルPのストーリー考察によれば、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は、クトゥルフ神話TRPGのシステムを利用して組み立てられているそうです。オルPの記事にめっちゃくちゃ詳細に語られているのでここでは触れませんが、TRPGプレイヤーの方ならよく分かるはずだそうです。



 私はオルPと違ってTRPGは初心者なので、『目的を達成するために色々な場所を探索したり、時に戦闘をしたり、場合によっては参加者が全員死んでしまったり、行動や運次第でエンディングが分岐したりする』くらいの知識しか無いんですよね…。

 

え、それでじゅうぶん?

 

 先に述べた以外にも、千と千尋の神隠し【誰ソ彼ノ淵】は多くの共通点を抱えています。しかし、全く全然まるっと違っている部分があります、それが「結末(エンディング)」です。

 確かに、トゥルーエンド千と千尋の神隠しでは豚にさせられた両親は人間に戻って、食べられずに生還出来ましたけど、バッドエンド【誰ソ彼ノ淵】では、一緒に来た茜ちゃん以外のみんなは食べられちゃったもんね…。

 

 目的を達成して全員救出大団円トゥルーエンドルートになるのが千と千尋の神隠し

 誰も救えず救われず、終わりのない絶望の淵に突き落とされるバッドエンドルートになるのが【誰ソ彼ノ淵】となります。

 

 

 あれー!まるでTRPGみたいだ!



 そうなんですよ。つまりこの【誰ソ彼ノ淵】ってボイスドラマは、

 

千と千尋の神隠し】をモチーフとして、【クトゥルフ神話TRPG】の要素とシステムを組み込み、《もしもバッドエンドになっていたならば》という前提で立てられたお話である



・・・という可能性が高いわけなんです。こわいですね!

 

 ですから、茜ちゃん一行は夜のお屋敷や島の中を探索したり、その途中で物語の分岐点がいくつか存在したりするんです。トゥルーエンドの千と千尋の神隠しとは違い、バッドエンドの【誰ソ彼ノ淵】は分岐点での行動・選択肢がことごとくハズレ、失敗に終わっています。詳しく見てみましょう。



島の探索(茜ちゃん、エレナ、歌織先生)

 

  • 歌織先生の発案で、島の反対側にあるという集落まで行けないか探索する。
  • 山の頂上まで辿り着くも、無線があるという山小屋へは辿り着けなかった。
  • 反対側の麓に集落のようなもの(家畜小屋とも)が見える。
  • 茜ちゃんはそこへ行ってみようと歌織先生を説得するも、今から集落へ向かうと屋敷へ帰るのが夜になってしまうからと、説得に失敗する。

 

 もしここで山小屋を見つけるなり、歌織先生を説得して集落へ行くなりしていたならば…。

 

お嬢さんとの会話(茜ちゃん、エレナ、伊織)

 

  • 山頂から戻ると、屋敷から出て裏手の方へ向かう伊織を見かけ、後を追う茜ちゃんとエレナ。
  • 雑草が伸び放題の裏庭を進むと、たくさんの木の十字架が立てられている空間に出た。
  • 突然現れた茜ちゃんとエレナに驚いた伊織は、2人と何も話さないまま走り去ってしまいます。
  • お墓には、オレンジのガーベラが供えてあった。

 

ζ*'ヮ')ζうっうー!

もしここで、伊織と話が出来て何か重要な情報を得られていれば…。

 



 という感じの分岐点その1その2。

 

 TRPG的に言えば、探索パートで得られたアイテムや情報を駆使して分岐点で物語を切り開いていく事になるのでしょうが、バッドエンドルートに至る【誰ソ彼ノ淵】では、茜ちゃん一行はものの見事に何の成果も得られませんでした。残念ながら。

 

 そんな感じなのでこの後もうまく事が進むはずもなく…という展開が続きます。



 ではトゥルーエンドに向かう千と千尋の神隠しではどうでしょう? 



  • 湯婆婆と契約を交わした際に名前を奪われ、『千』として働くことになった千尋。眠れず布団の中で震えていた千の元に、ハクであろう人物がそっと現れ、「お父さんとお母さんに会わせてあげる」と告げる。
  • ボイラー室から外階段を登ると、油屋のある孤島(あえてそう呼ぶ)から、反対岸にある建物が目に留まる。島の反対側にあるという集落、もとい家畜小屋

 

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反対側に見える赤い屋根の家畜小屋

 

 

 

  • ハクの導きによって家畜小屋を訪れることに成功し、豚に姿を変えられた両親との再会を果たす。
  • 家畜小屋を後にした千は、畑が広がるのどかな場所に移動。雑草が伸び放題な屋敷の裏庭とは大違い。
  • ハクから衣服を返してもらう。「帰る時に要るだろう」と。
  • 衣服にはお別れにもらったカードが挟まっていて「千」は自分が「千尋」という名だったことを思い出す。
  • 「湯婆婆は相手の名前を奪って支配する」情報も入手。ハクも湯婆婆に名前を奪われてしまっていた。
  • 元気になるようまじないをかけて作ってくれたハクのおにぎり。おいしい。これから頑張ろう。

 

【誰ソ彼ノ淵】の展開とは真逆に、重要なアイテムと情報をたくさんゲット出来ました。

 

・・・ほらね???



 このように、TRPGシステムで重要な探索・分岐パートが【誰ソ彼ノ淵】千と千尋の神隠しの中にまったく真逆の展開で存在することがわかりますね。

 

 【誰ソ彼ノ淵】千と千尋の神隠しクトゥルフ神話TRPG要素でもガッチリ関連し合っていることがお分かりいただけたと思います。



 あともう一つおまけに。

 

 【誰ソ彼ノ淵】のクライマックスになるシーンがありますよね。そうそう、歌織先生を仕留めた志保が、次にエレナと茜ちゃんを追い詰めるシーンです。

 

 そのシーン、なぜ犠牲になったのは茜ちゃんではなく、エレナだったのでしょうか?

 

 分かりませんよね。ナゾですよね。伊織に代わる次の娘役なら、別に茜ちゃんではなくエレナでも良かったはずなのに。

 このナゾも、千と千尋の神隠しとの関連性の中から、解と思しきものを見出すことが出来るんです。



【誰ソ彼ノ淵】

 律子先生が行方不明になった朝のシーン。 

 

千鶴「もし皆さんさえ宜しければ、バカンスの続きだと思って、この島に残ってくださってもかまいませんのよ?」

 館の女主人・二階堂千鶴さん、まさかの残留交渉。

 

 注意深く聴くと、エレナと茜ちゃんの2人だけに話しかけていることが分かる。歌織先生にはそもそも尋ねていない。だって大人の歌織先生は次の娘役にはなり得ないから。

 この問いかけに対して、エレナは半ばはしゃぐ様子で前向きな反応。

 名指しで返答を求められた茜ちゃんは戸惑いながらも、この島はとっても魅力的と前置きをしつつ、「帰りたい」と千鶴に伝えた。



 

 

 

千と千尋の神隠し

 場面は油屋の中庭。ハクが、千尋にこれからどうするべきかを伝えているシーン。湯婆婆と会って、ここで働きたいと伝えるように諭している。

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 ハク「嫌だとか、帰りたいとか言わせるように仕向けてくるけど、働きたいとだけ言うんだ。辛くても、耐えて機会を待つんだよ。そうすれば湯婆婆も手は出せない」

 

 湯婆婆と対面した千尋は、ハクの言いつけをきちんと守り働きたいとだけ言う。

 「帰りたい」とも「嫌だ」とも一言も発しない。

 その後色々あって油屋で働けることになり、当面の危機を脱することができた。




 千と千尋の神隠しで、「いやだ」とも「帰りたい」とも言わなかった千尋に手を出すことが出来ず、湯婆婆は油屋で働くことを認めざるを得ませんでした。

 【誰ソ彼ノ淵】で、女主人・二階堂千鶴の誘いに対して、茜ちゃんが「帰りたいです」と言ってしまったが為に、次の娘役に選ばれてしまったのかもしれません。

 

 …こわいですね!

 

 

 【誰ソ彼ノ淵】で茜ちゃんとエレナはずっと一緒に行動しており、2人の行動には殆ど差がありません。

 なのに、志保に腹部をナイフで刺されながらも命を救われてしまったのは、エレナではなく茜ちゃんでした。それはある意味、死よりも辛い絶望のどん底へと叩き落されることを意味しています。ほんの僅かな生死を分けた茜ちゃんとエレナの差。

 

 それは、たった一言「帰りたい」という言葉を言ったか言わなかったかの差だったのではないかと。

 

 千鶴の視点から次の娘役をどちらにするか考える際、屋敷の女主人・二階堂千鶴と対になる千と千尋の神隠しのキャラクター、湯婆婆に選択の理由を求めてみると、上記のような関連性を見出すことが出来るんです。

 

 まぁ、あくまでかもしれないの話ですけどね。話の筋は通っていると思いますよ。





 

 ここまで、クトゥルフ神話TRPGの視点から両作品を考察してきました。

 

 一旦本題に立ち返り、民俗学的要素の視点から考察を続けたいと思います。

 

千と千尋の神隠し

 冒頭、千尋たち一家が転居する予定の住宅は、大きな山を切り開いて造成された新興住宅地にあります。入口側には既に多くの住宅が立ち並んで人が住んでいるようですが、より山の奥側へと行くにつれて、まだ売り出し中の土地が広がっています。

 

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タイトル画面。坂道を上ると真新しい住宅地が広がる。

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住宅地の奥側はまだ売り出し中の土地が多く残っている。

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立ち枯れた巨木と木の鳥居。

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巨木の元に寄せ集めるように置いてあるたくさんの小さな祠。


 注目する点は、「立ち枯れた巨木」「鳥居」と、「無数の小さな祠」です。

 切り開かれて宅地とされつつあるこの山は、元は神様が宿る神聖な場所であったことが描かれています。

 巨木も鳥居も祠も、そして山中に立っていた石像も、ここが「神域(神様がいらっしゃる場所)」であり、「禁足地(人間が足を踏み入れてはいけない場所)」とされていたであろうことを物語っています。

 この新興住宅地は人間が「神域」を侵して開発したもので、巨木に寄せるように集められた祠や朽ちた鳥居はその名残だといえます。

 つまりこの場所は、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)と呼ばれる、こちら側とあちら側の世界の境界線に非常に近い場所なのです。

 この2つの世界を繋いだのが、千尋たちが通った大きな時計塔のあるトンネルだったのです。そこを通って不思議な世界へと迷い込んでしまった千尋たちは、まさに神隠し』に遭ってしまった、といえるのです。

 

 『古くから神や霊的な存在を信じていた人間たちは、忽然と人が行方不明になることを「神隠しに遭った」といって恐れてきました。神や鬼、霊など超常の存在による災いだと考えたのです。

 

 この後、詳細は割愛しますが色々あって泣き叫びながら元来た道を逃げ帰ろうとする千尋。しかし来た道は水に埋まり川のようになっていて、遂に逃げることが出来なくなってしまいました。

 広がる丘だったこの場所が水で満たされたことで川(或いは海)になり、民俗学における遥か海の彼方からやってくる神「まれびと」の意味付けを一層強く印象付ける効果があると考えられます。川とか海とかって、こっちとあっちを隔てる「境界」の意味があるからね。

 

 

 【誰ソ彼ノ淵】

 

 見知らぬ孤島に流れ着いた茜ちゃん一行。過去の考察ブログでも記載したように、彼女たちは遭難事故によって現実世界から異なる世界へと入り込んでしまった、と考えることが出来ます。

 

 ここで重要な概念が先ほど少し触れた『境界を越える』というものです。

 過去の考察ブログでも度々言及してきましたが、茜ちゃん一行が不思議な世界(孤島)へと迷いこんでいることの傍証として、これらの『境界を越えている』事を指摘することが可能です。

 

【クルリウタ】そもそも【誰ソ彼ノ淵】って何なの?深掘り考察 - 眠る蟻の考察

 

 他にもいっぱいあるんですけど、割愛させてくださいね…!時間も無いし切りも無い…!



 さて。千と千尋の神隠しの舞台となるのが、この立派な油屋、神様たちの温泉旅館です。贅を凝らした擬洋風建築を思わせる立派な御殿です。

 

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煌びやかな油屋の御殿。擬洋風の建築物は文明開化期に多く建てられた。



 宮崎駿監督は、「八百万の神様たちが疲れを癒しに来る温泉」という着想を、現実に存在する「霜月祭」という民俗祭事から得ています。詳細は是非調べてみてください!(ヴん投げ)

 

 過去の考察記事において、【誰ソ彼ノ淵】民俗学を、「まれびと」というキーワードと共に読み解いてきました。

 

Q.「まれびと」ってなーに?

A.民俗学の言葉で、海の彼方や村の外など遠い所からやってきて、「福」や「災い」をもたらすもののことだよ!「神」とも言われているよ!

 詳細は過去の記事を(以下略)

【誰ソ彼ノ淵】舞台設定考察(オル) - 眠る蟻の考察



 【誰ソ彼ノ淵】においては、「まれびと」とは遭難事故で流れ着いてきた茜ちゃん一行の事であり、過去の二階堂千鶴やメイドの北沢志保も、「まれびと」としての性質を持っていると考察を行いました。

そもそも【誰ソ彼ノ淵】っ(以下略

 

千と千尋の神隠しにおいては、油屋を訪れる全国の神さまたちがまさに「まれびと」の概念と一致するものです。「オクサレ神様」なんか分かりやすいですね、「禍福」の両方をもたらしていることが描かれています。

 これに加えて、主人公である千尋も「まれびと」であると考えることが出来ます。

 遠い所からやってきて、「福」や「災い」をもたらす存在。作中の描かれ方に、まさしくこの特徴が描かれていると思います。

 オクサレ神様の世話をやり通し、油屋に莫大な利益をもたらした一方、招かれざる客カオナシを迎え入れたことで、油屋は大きな損失を出す羽目にもなってしまった。

 

 ま、それが千尋の責任とかってワケでは無いんですけどね。

 

 

 

 色々ややこしくなってしまいました。

 要はつまり、

 

【誰ソ彼ノ淵】に見られる民俗学的な要素は直接取り入れられたのではなく、

千と千尋の神隠し】の設定を構成する重要な要素であるので、共にモチーフとして取り入れられる事になった、と思われる

 

…ということが言いたかったわけです。



 ここまでを整理してみましょう。



 

↑(考察が正しければ)これだけの要素を用いてボイスドラマを作った青木朋子女史をはじめとする製作陣マジやべぇ

 

ということが考えられます。



いやマジでよ…何食べて育ったらこんなお話考えつくの…。

 

オルP「人を食ったような話だね」


 

 

《欲望》について



 私は過去の考察記事において、

 

  • 千鶴は何故狂ってしまったのか

「呪いをかけられたから」

 

  • 千鶴はなぜ呪われたのか

「禁足地に足を踏み入れたから」

 

  • 何が千鶴に呪いをかけ「狂おわせ」たのか

「正体は分からないが、超常的な何かが千鶴に呪いをかけた」



 と、見解を示しました。

詳細は該当記事をご覧ください。

 

【クルリウタ】とは一体何だったのか 考察【誰ソ彼ノ淵】 - 眠る蟻の考察

 

 狂うとか狂わせるとか色々書いてますが、『欲望に「狂おわせ」る』という意味です。

救い願う 二つの瞳に 「狂おわせ」

 記事の冒頭で述べた《欲望》というキーワード。これも千と千尋の神隠しの視点から考察していきたいと思います。



 《欲望》は誰しも大なり小なり必ず持っているものです。

 《欲望》があるからこそ、人は生きたいと思うし、食べたい、遊びたい、お金持ちになりたい、愛したい愛されたい、と思うものです。

 

 しかし、《欲望》が大きくなりすぎたり、制御が効かなくなってしまったりすると、自分だけでなく周囲をも巻き込んで大変なことになってしまいます。

 

 そう、二階堂千鶴のようにね。

 

 歌詞考察前編で書いたように、【クルリウタ】の1番は理性と欲望に揺れる二階堂千鶴の過去を描いた物語になっています。それも、そんじょそこらの軽い欲望じゃありません。

 溺愛している我が子を食べ、一つになろうとするほどの深い深い愛情(よくぼう)です。

 館の女主人・二階堂千鶴と娘を巡る狂気の物語は、彼女の深い愛情に芽吹き、欲望に根差し、じわりじわりと千鶴を狂気で蝕んでいったのです。



 千と千尋の神隠しにも、欲望に狂わされた多くの人物が登場しているんです。例えば…

 

 まずは千尋の両親

・誰も居ないにも関わらず「あとでお金さえ払えば良いから」と、山のように盛られた豪華な料理を勝手に食べ始めてしまう。

千尋の呼びかけすらも聴こえなくなるほど、我を忘れて食事に没頭する。

・貪るように料理を食らう姿は、「食欲」に狂わされている。

 

 次は、湯婆婆

  • 豪華絢爛な油屋を支配する魔女は金銭欲が強く、常に金儲けの事ばかりを考えている。
  • 手下のハクを操って双子の姉から魔女の契約印を盗んでこさせようとするほど。魔女の契約印があれば、従業員との契約を一方的に書き変えて奴隷にすることができるとか。 

   要は従業員にお金を払いたくない経営者の悪知恵ですね

  • 儲けの為ならば従業員の命さえ重要ではない。劇中、湯婆婆がお客(カオナシ)に実力行使をしたのは「従業員を守るため」ではなく「(自分の持ち物である)油屋を守るため」。
  • 一方、溺愛している息子「坊」にだけはとんでもなく甘い。湯婆婆の傲岸不遜な立ち振る舞いも、坊に対しては鳴りを潜める。
  • 湯婆婆にとって大事なものは「お金儲け」と「坊(我が子)」だけ。
  • 物質主義的な面が強いので、愛する坊がすり替わっていたりネズミになっていたりすることに全く気付けないなど、本質を見抜くことが出来ない。

 豚になった両親を当てろと言われ、きちんと見抜いた千尋との対比がとてもいい味ですね。




 最後に、カオナシ

  • 自力では話せず、どこから来たのか分からず、何が目的なのかも一切不明な、「己」を持たない存在。
  • 橋で千尋を見かけてから、何かと彼女に執着するようになる。ストーカー予備軍。
  • 優しくされたからとか気をかけてくれたからとか、キッカケは何でもいい。気になるあの子といっしょになりたい。激ヤバ変態ストーカーのそれ。
  • 「寂しい…寂しい…千欲しい…千欲しい…! ホ シ ガ レ

 

 

他にも、いっぱい。

 まぁ、歓楽街と温泉旅館なんて欲望ど真ん中のソレですからね。油屋に大浴場が無く、小さな仕切りで区切られたお風呂になっているのも「色々いかがわしいことをするからでしょうね(笑)」なんて言っちゃうし宮崎監督。

 

 要は、油屋というあの場所はものすごく《欲望》を刺激しやすい所だということです。場の持つ空気、というか。

 私はそれを「呪い」と表現します。そこに居るだけで影響を与える「場の呪い」

 【誰ソ彼ノ淵】で言うならば、あの孤島は足を踏み入れた人間を狂わせる場所なんだなって思います。それがまさに「呪い」として二階堂千鶴親子に襲い掛かった、と。詳細は過去の考さt(略)





カオナシについて

 

 先に少し触れたように、カオナシは空虚で孤独な存在です。千に執着しはじめてからというもの、千の気を引き、千を吞み込んでひとつになりたいと思い様々な行動を起こします。

 

…え?千を呑み込んでひとつに?

 

 千に執着し始めてからのカオナシの目的は、千を呑み込んでひとつになることなんです。こわいですね!ひと躰へと

 

 え、理由は何かって?寂しかったからじゃないですかねカオナシもそう言ってたし。

寂しいという思いが狂ってしまって、優しく迎え入れてくれた(と思っている)千を欲し、ひと躰へと呑み込んでひとつになりたい。そういう《欲望》が暴走してしまったのかもしれません。

 

  • 番台で薬湯の札を貰おうとお願いする千を見たカオナシは「千はこの札を欲しがっている」と知る。
  • 千が1人になったタイミングで姿を現し、手から大量の札を出現させて千に渡そうとする。ヤバイ。
  • 千が「こんなにたくさんは要らない、一つだけでいいの」と受け取りを固辞すると、意気消沈してその場ですぅ…っと消えてしまう。

 

手から大量の札を出し、千に差し出すカオナシ



…ヤバいですね。1人になったタイミングで現れたのも、もしかしたら薬湯の札で千をおびき寄せて、受け取ろうとした瞬間に丸呑みにするつもりだったのかもしれません。



 カオナシはこの後、合計3人の従業員を丸呑みにしてしまっています。しかし、誰彼構わず自由に丸呑みに出来るわけではありません。

 

 カオナシが呑み込むことが出来るのは、「欲望に呑まれたもの」だけなんです。

3名のうち1名は巻き添えですが、どれもカオナシが出した砂金の粒を手に取った瞬間…つまり《欲》を出した瞬間に呑み込まれてしまっています。

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最初の犠牲者、青蛙。

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2人目、3人目の犠牲者、兄役と砂金を拾いに来た湯女。



 もし、千がカオナシが差し出した薬湯の札や砂金の山に手を伸ばしてしまっていたら、一息に呑み込まれてしまっていた事でしょう。

 

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「千 欲しい… 千 欲しい…! 欲しがれ」

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「私を食べる気!?」「取れ…! 取れ!!」

こわいですね!そしてかっこいいぞ坊ネズミ!

 

 あ、ちなみにカオナシが砂金を出し始めたのは、油屋の従業員たちが砂金を争奪する様を見て、砂金=価値あるものと学習したからです。

砂金をめぐり騒ぐ油屋の人々を見て、己の手に視線を落としながら消えてゆくカオナシ

 描写が細かくていいですね~~~~~~~。

 薬湯の札は断られてしまったけど、砂金ならば次こそは千に受けとってもらえる、そして千を呑み込んでひとつになれる…。 そう思ったのでしょうね。

 

 

 私がカオナシのこのような特徴を非常に興味深いと思うのは、これまでの考察の中で度々言及してきた、千鶴が狂う原因となったであろう「呪い」と非常に似通った性質を持っていると考えられるからです。

 

  • 欲望に負けて金を手に取ってしまった瞬間カオナシに呑み込まれてしまった。

 

  • 愛情を狂わされ、娘を手にかけてしまった瞬間狂気に呑み込まれてしまった。

 

こわいですね…延々 繰るり 怨 狂り…


 ではカオナシ「呪い」の正体なのかというと、いや多分それも違うだろうと思います。何故なら、油屋を出たカオナシは、また最初のように無害な存在に戻ったからです。カオナシを醜い化け物にしたのは、油屋というあの場所そのものだったのだと考えられます。

 千も言っていますね、「あの人油屋に居るからいけないの。あそこを出た方がいいんだよ」と。

 

 要は、油屋というあの場所はものすごく《欲望》を刺激しやすい所だということです。場の持つ空気、というか。

 私はそれを「呪い」と表現します。そこに居るだけで影響を与える「場の呪い」

 【誰ソ彼ノ淵】で言うならば、あの孤島は足を踏み入れた人間を狂わせる場所なんだなって思います。それがまさに「呪い」として二階堂千鶴親子に襲い掛かった、と。

 私が↑の方でこのように述べていたのはこういうことです。千と千尋の神隠しの油屋という場所は、訪れる者の欲望を大いに刺激するので、千の両親やカオナシのように欲望に狂わされてしまったのだろうと考えられますね。

 【誰ソ彼ノ淵】で言うならば、油屋=孤島のお屋敷であり、かつて孤島にやってきた(=禁足地に足を踏み入れた)二階堂千鶴は狂気の呪いにかかり、欲望を大いに刺激され、狂わされてしまったのだろうと考えられるわけです。

 

 ちなみに、徳間書店から刊行されている

千と千尋の神隠し―Spirited away (ロマンアルバム) | |本 | 通販 | Amazon

では、

油屋は断崖絶壁の海岸に面した孤島(あるいは人工島かも)

 と言及されており、横からの全体図も載っています。

千と千尋の神隠し ロマンアルバムより(徳間書店

 豪華なお屋敷の正面は手入れが行き届いているが、裏側は全く手入れされていない…。なるほど、孤島のお屋敷ですね…。

 

 「呪い」そのものが【誰ソ彼ノ淵】作中に出てくるわけでも言及されるわけでもありません。

 しかしながらこれまでに書き綴ってきた考察記事と、今回千と千尋の神隠しの中で見いだされた数々の共通点。思考を深めるにはかなりたいへん大いに興味深い部分です。ハイ。




さいごに

 

 【誰ソ彼ノ淵】はプロローグとエピローグが繋がっており、延々 繰るりと同じ展開を繰り返していることが示唆されていました。

 千と千尋の神隠しも同じ展開を経て物語が始まり、同じ展開を経て物語が終わっているんです。



千と千尋の神隠し冒頭、トンネルを抜けていくシーン

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これはお話冒頭のシーン。



父親「足元、気を付けな」

母親「千尋、そんなにくっつかないでよ、歩きにくいわ」



千と千尋の神隠し終了間近、トンネルを抜けて戻って来るシーン

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これはお話終盤のシーン。



 

父親「足元、気を付けな」

母親「千尋、そんなにくっつかないでよ、歩きにくいわ」


キャプ画見せられても分かるわけないやん!なんなん!

 

【誰ソ彼ノ淵】のプロローグとエピローグは、千と千尋の神隠しのこのようなシーン展開を元に構成された、のかもしれませんね。



まとめ

 



 千と千尋の神隠し【誰ソ彼ノ淵】を、クトゥルフ神話TRPG民俗学の側面から考察してきました。

 



 今回の記事でまとめた内容の他にも、気になる点や類似点がいっぱいあるんです。でも全部を書ききることは出来ないので、ここから先は是非君が直接確かみてほしい…!

僕は疲れたよパトラッシュ…




 最後に。【誰ソ彼ノ淵】とは、「黄昏時(夕暮れ時)」の淵に落ちること…つまり、『夜に堕ちてく』ことであると過去の考察記事で触れました。

 

 そして、『夜に堕ちてく』物語の【誰ソ彼ノ淵】は、バッドエンドに終わります。

 

 バッドエンドの物語の主題歌、【クルリウタ】

 

 トゥルーエンドを迎える千と千尋の神隠しの主題歌『いつも、何度でも』

 

あれ?タイトルと歌詞似てね?

 

 この2曲にも、まさにそれぞれの物語を象徴するような一節があるので、それをご紹介してこの考察記事を終わりにしようと思います。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

※この記事は2022年8月26日に加筆・修正を行っています。

【クルリウタ】とは一体何だったのか 考察【誰ソ彼ノ淵】

 

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 この記事の目的は【クルリウタ】という狂気じみた作品をより深く理解することです。

 『【クルリウタ】とは一体何なのか?どのような意味が込められているのか?』という疑問を深掘りしていきます。

 

 【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】に関連するすべてのコンテンツは密接に関連しあっています。

 なので、イベント含む各種コミュ、SSR衣装、SSRイラスト、MV、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】などの情報を適宜絡めながら濃密なネタバレと共に考察していきたいと思います。ネタバレ注意です!

 

 

 

 

~おしながき~

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【クルリウタ】とは何か    

 





①物語

 

・クルリウタという物語

 

  まず最初に「物語」としての【クルリウタ】を読み解いていきます

「物語って…ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】のことでしょ?【クルリウタ】は音楽だよ?」

 たしかに物語なのはボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】です。でも【誰ソ彼ノ淵】だけが物語だというわけではありません。楽曲である【クルリウタ】でも『物語』が語られているのです。

 

端的に言うと、【クルリウタ】という長大な物語の最新作が【誰ソ彼ノ淵】みたいな位置づけになっています。歌詞考察「前編」と「後編」に詳細を記載しています。

 

おさらいの意味を込めてもう一度【クルリウタ】の物語を覗いてみましょう。



 1番歌詞考察 まとめ

・『クルリウタ』1番は千鶴視点の歌

 【クルリウタ】の1番では、館の女主人・二階堂千鶴の物語が語られています。

千鶴の視点から、彼女がいかにして狂気に呑まれていったかが分かる歌詞となっています。

 

・千鶴が狂っていった過程が語られている

 【誰ソ彼ノ淵】で千鶴が「体が弱い娘の療養の為に無人島だったこの島にやってきた」と語っています。

 娘の療養の為にこの島を買い上げて館まで建てさせ、自らも一緒に移り住んだというのですから、その愛情の深さは推して知るべきでしょう。あと財力もね。

しかし1番の歌詞を読み解いていくと、「千鶴が最愛の実の娘を殺め、その亡骸を食べてしまった」と解釈出来ます。最も愛しているはずの実の娘をです。

 

 

・食人行為には文字通り狂おしいほどの快楽と衝動が伴う

 食人文化民俗学に詳しいオルPに依頼してまとめてもらった、食人行為への民俗学的アプローチによって、このおぞましい行為に一体どのような意味が込められ、どのような解釈を見出すことが出来るのかが判明しました。

歌詞の中に描かれる千鶴の姿にも、激しい食人衝動とそれに抗おうとする理性の対立が表れています。

 

 

・狂ってしまった千鶴は、「人間を喰らう人間ならざるもの」になってしまった

 千鶴と実の娘との間に起こってしまった悲劇が、後に延々と繰り返される狂気と嘆きの始まりだったのだ…と考えられます。

蝶を模ったSSR衣装は、彼女が人間ならざるものへと変貌してしまったことを象徴するシンボルだったのです。

 

全ての始まりは千鶴と彼女の娘から。この悲劇の全ての発端が1番の歌詞に描かれているのです。

 

 

 

2番歌詞考察 まとめ

 

 

・【クルリウタ】の2番は志保視点の歌

【クルリウタ】2番の歌詞は、千鶴に仕えるメイド・北沢志保の物語です。

 今まさに狂気の”淵”に立たされている彼女の視点から絶望的な物語が語られています。

千鶴のSSR衣装と同様に、歌詞の内容から志保のSSR衣装にどのような意味が込められているのかも判明します。

 

 

・狂気に呑まれまいと必死に抗う志保の姿が描かれる

 2番の歌詞は、彼女がいかにして狂気に呑まれてしまわぬよう抗っているのかが分かる内容になっています。

志保はなにも自ら望んで殺人や食人に手を染めている訳ではありません。主人である千鶴の元で生き延びる為には、そうせざるを得なかったのです。歌詞とボイスドラマからは、そんな志保の苦境をありありと読み取ることができます。

 

・完全に狂ってしまうのはもはや時間の問題

  生き延びる為とはいえ、その行為を繰り返せば繰り返すほどに、志保の心は狂気に呑まれてしまいます。

2番の歌詞を読み解いていくと、志保はまさに狂気に堕ちる瀬戸際まで追い詰められていることが分かります。志保のSSR衣装にもよく表れていますよね。完全な狂気に染まってしまい、人間ではない存在に”羽化”しはじめているのです。

そう、館の女主人・二階堂千鶴と同じように。




ラスト歌詞 まとめ

 

 

・改めて描かれる千鶴の狂気

 千鶴の内面描写が非常に丁寧に描かれています。理性と欲望の間で葛藤しながらも、最後には甘美な狂気に侵されてソレを口にしてしまう…。

狂気の最中に垣間見える、千鶴の深い愛情。それをこれほどまでにも生々しく艶やかで恐ろしく表現された歌詞と歌声は、恐ろしくも悲しく美しい響きとなって木霊します。

 

・【クルリウタ】は時間の流れに忠実に作られた楽曲

 1番の歌詞が最も昔の出来事を。2番、そしてラストへと楽曲が進んでいくほどに時系列も現在へと進んでいます。

 

 1番の歌詞は千鶴の過去。狂気に呑まれて最初の食人を犯した、全ての事の発端が描かれています。時系列でもっとも過去の出来事。

 

 2番の歌詞は志保の過去。千鶴に従い殺人と食人を繰り返す中で狂気に呑まれつつある様を描いています。時系列で1番よりも後、【誰ソ彼ノ淵】本編よりも前。



・ラスト部分になり、遂に【誰ソ彼ノ淵】が描かれる

 ラストパートの歌詞こそが【誰ソ彼ノ淵】の本編。作中の時系列で現在の出来事の描写になっています。

 



・救い願う二つの瞳とは茜ちゃんと志保のこと だが救いはない

 【クルリウタ】のラスト部分の歌詞『救い願う二つの瞳』は茜ちゃん志保の2人だと言えるでしょう。

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 このように【クルリウタ】という楽曲そのものが、長大な一つの物語として成立しているのです。

正体不明の恐怖と謎ばかりかと思いきや、実は読み解く手掛かりもその答えも最初から眼前に提示されていたんですね。

 

 

 

・【誰ソ彼ノ淵】という名の物語

 

 

 ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は、謎と恐怖をふんだんに含んだ非常に素晴らしい作品でした。

設定上は765プロのアイドルたちが出演するホラー映画ということになっています。実際にはご存じの通り、非常に凄惨で救いの無い狂気に満ちたボイスドラマとなっています。アイドルたちの迫真の演技に度肝を抜かれトラウマを抱えてしまった方も多いのではないでしょうか。私もそうだよ。

 

 上記の通り【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】の歌詞のラストパートが該当しています。

ラストパートの歌詞『響く声は 嘆きのはじまり…』が、【誰ソ彼ノ淵】のどの辺りになるか…聴いた方には理解出来るはずです。

【クルリウタ】の歌詞と【誰ソ彼ノ淵】というドラマに込められた意味を照らし合わせると、物語の全体像が見えてくる仕組みになっています。

 歌詞考察も是非読んでみてね (´◡`) 






②子守唄

 

 

次に読み解いていくのは『子守唄』としての【クルリウタ】です。

【クルリウタ】には「子守唄」としての意味と役割も含まれています。

 

 

 

というかこれが【クルリウタ】です。



 

 【クルリウタ】は「子守唄」を元にして作られたと言っても過言ではありません。



 子守唄とは、子供を寝かしつけたり、あやしたりするために歌われる歌の一種。

 日本の子守唄には、親が歌うのでなく、幼くして故郷を離れた子守り娘が歌ったもの(子守唄というより守子唄というべきである)も多い」

子守唄 - Wikipedia

 



 

「子守唄」は大きく3つに分類されます。

 

 「眠らせ唄」、「遊ばせ唄」、そして「守子唄」です。

 

 

 【クルリウタ】は、これらの子守唄の要素を兼ね備えています。

 

 

 

ねんねんころりよ「眠らせ唄

 

 「♩ねんねんころりよ おころりよ」 「延々 繰るり 怨 狂り 狂りよ」



 「眠らせ唄」とは文字通り、赤子を眠らせる際に唄われる子守唄です。

 ねんねんころりよ おころりよ」で有名な「江戸子守唄」ですね。

 

 

 「延々 繰るり 怨 狂り 狂りよ」

 

特徴的なフレーズによく表れているように、【クルリウタ】は「子守唄」をそっくりそのまま色濃く映し出しています。

 

江戸時代から流行したこの唄は日本各地に広まり、現代でも最も有名な子守唄になっています。「江戸子守唄」の歌詞は、実の母親が実の子に対して優しく唄い聴かせる「眠らせ唄」とされています。

 

ねんねんころりよ おころりよ。

ぼうやはよい子だ ねんねしな。

ぼうやのお守りは どこへ行った。

あの山こえて 里へ行った。 

里のみやげに 何もろうた。

でんでん太鼓に 笙の笛。

 

 

 これが「江戸子守唄」の歌詞です。(あの山こえて 里へ行った…?)

「ぼうやのお守りは どこへ行った。」という歌詞からも分かるように、この唄は子守奉公人(赤子の子守をする奉公人のこと)が帰郷して不在の間、誰も赤子の面倒を見る人が居ないために、母親が自ら子守をしている際の唄です。

奉公人は年2回、盆と正月に帰郷することが許されていました。子守奉公人の詳しい説明は「守子唄」の項で行います。



母親が子供に向けて唄う子守唄」が「眠らせ唄」。これがクルリウタの一側面を形作るものであり、歌詞考察前編で書いたように二階堂千鶴の歌であるという事が出来ると思います。




・笑って!「遊ばせ唄

 

 

 二つ目は「遊ばせ唄」です。

 「遊ばせ唄」は、起きている子供の機嫌を良く保とうとする際に歌う、身振り手振りを交えた遊びの要素を含む唄です。この「遊ばせ唄」も子守唄の一つとして扱われます。詳細は後ほど解説します。

 

 

 



・恨みと嘆きの「守子唄

 

 

 「守子唄」は、守子奉公人の悲哀を歌った唄です。

守子(もりこ)唄」は日本特有の子守唄と言われており、【クルリウタ】と最も強烈な関連性を持つ唄です。

 

 守子(もりこ)とは、幼い子の子守を担っていた奉公人のことです。江戸時代中期から大正時代にかけて広まった年季奉公制度によって、寺子屋で読み書きを覚えた子供達は商人や地主など裕福な家へ奉公に出されるのが主流でした。貧しい農村の子どもの場合、7~8歳という幼い頃から親元を離れて奉公に出されることも珍しくなかったようです。

 

 奉公人は「期限付きの身売り」とも言われるように、借金のカタとして奉公に出される場合も多かったようです。そのため、たとえどんなに奉公が辛くても逃げられるようなものではなかったと言われています。

NHK連続テレビ小説で有名なドラマ「おしん」でも、主人公おしんが子守奉公人として過酷な奉公生活を送る様子が描かれています。



 そんな子守奉公人たちが歌う子守唄の「守子唄」は、暗い曲調で歌詞も陰鬱で、雇い主への恨みや過酷な現状を嘆くものが殆どとなっています。

年端もいかぬ子供が奉公人として辛い仕事に従事させられる。その悲哀を唄ったものこそが、「守子唄」です。現代を生きる私達の価値観では信じがたい話ですね。



 【クルリウタ】と「子守唄」は、基本設定の根底から繋がっています。まずはそこから詳しく掘り下げていきましょう。



「子守唄」と【クルリウタ】



 【クルリウタ】の基本的な設定を読み解く際に、「孤島のお屋敷組」非常に重要な手がかりになります。

 

館の女主人・二階堂千鶴とメイド・北沢志保。この二人に加えて娘役の水瀬伊織(とオレンジのガーベラ)という構成は、「守子唄」が唄われた時代から色濃く影響を受けていると考えられます。

 

守子奉公が盛んに行われた江戸時代中期~大正時代は、現代よりも家制度が非常に強い時代でした(特に家制度が法制化された明治31年以降)。

「家」という構成単位の中で家長(戸主)が絶大な統制権を持っていた時代です。年端も行かぬ幼い奉公人たちは、厳格な指導と厳しい生活の中で恨みや嘆きを唄にして、辛い現実を耐え忍んでいたのです。

 

 

 【誰ソ彼ノ淵】では、家長として二階堂千鶴が絶大な統制権を持っている様子が描かれています。

 

 千鶴のカードの名前も「館の女主人」と書かれており、「主人」であることを強調するタイトルになっています。「婦人」とか「マダム」とかではないのです。「主人」なのです。

「家族」の長として二階堂千鶴が存在するということは、支配を受ける「家族」の構成員も存在します。

 

 「子守唄」に関係する「家族」は、「子供」…つまり「娘」ですね。水瀬伊織(とオレンジのガーベラ)がその役割を担っています。

 

 そして母親に代わって「子供」の面倒を見る存在、逃げたくても逃げられない、恨みと嘆きの「守子唄」を唄う守子奉公人も存在しています。メイド・北沢志保ですね。

 

  奉公人役は「メイド」である志保がピッタリと役割にハマっていることが分かると思います。

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 母親、奉公人、子供。

 【誰ソ彼ノ淵】のキャスト配役と「守子唄」の背景がしっかり繋がっていることがお分かり頂けると思います。

 

 

 【誰ソ彼ノ淵】と「子守唄」の関係性を示す材料はこれだけではありません。

 遭難してお屋敷を訪れた茜ちゃん一行のキャスト配役も【誰ソ彼ノ淵】と「守子唄」の繋がりを裏付けています。

 

 

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 まとめるとこのようになります。

 

 

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 この関係性を踏まえた上でボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】を聴き返してみると、千鶴や志保の台詞など、理解がより深まる点が出てきます。



「この島の全てが、わたくしの持ち物…」

「ちゃんとしないと、私がご主人様に叱られてしまうんです…ちゃんとしないと…」

「私が…守らなきゃなの…!」

 

 強烈に恨みと嘆きを唄う「守子唄」は、【クルリウタ】と非常に強い関連性があると理解いただけると思います。

 

 「守子唄」は上でも書いた通り、辛くて過酷な奉公から逃げたくても逃げられない、子守奉公人たちが唄った「恨みと嘆きの子守唄」です。これもまた、

 

「延々 繰るり 怨 狂り」

 

 というフレーズに強烈に凝縮して表現されています。

 

 「守子奉公人が自らの境遇を恨み、嘆く子守唄」、これが「守子唄」。【クルリウタ】の最も強烈な負の側面を映し出すものであり、歌詞考察後編で書いたように、北沢志保の歌であるといえます。

 

 決して逃げられず、奉公人として主人に絶対服従しなければならない辛く過酷な身の上を嘆く唄…。まさにメイド北沢志保の悲哀を歌った守子唄なのです。



③【誰ソ彼ノ淵】の時代設定

 

 

 少しだけ時代設定の話もしておきましょう。「江戸子守唄」が流行しはじめ、守子奉公が盛んにおこなわれた時代は江戸時代中期から大正時代だと書きました。

これがボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】の時代設定と関連している可能性があります。



 【誰ソ彼ノ淵】の時代は恐らく現代ではありません。もっと過去の時代が舞台となっていると予想できます。  

 

 船が遭難して一刻も早く救助を求める必要がある状況において、あなたならまず何をしますか?真っ先にスマートフォンなどの携帯通信端末を使い、救助を求めようとするのではないでしょうか。

 しかし、現代では当然のように普及しているスマホやケータイを作中では誰一人として使わず、それについて言及すらしていません。

加えてあの立派なお屋敷に住んでいる住人の誰も携帯通信端末を持っていないばかりか、屋敷の中に島外との通信手段すら存在していませんでした。現代ではまず使われないであろう無線機が現役で使われているらしい点でも、たいへん違和感があります(しかも電波のよく通る山小屋にしかない)。

仮に時代設定が現代であったならば、スマホで連絡を取ろうとするはずです。それが一切話題にも出されないとなると、そもそもスマートフォンのような携帯電話端末そのものが存在していない時代の話ではないか?と考えられます。

 

 もう一点。

 ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は、境界を越えるという概念が非常に重要な役割を果たしていると、【誰ソ彼ノ淵】深掘り考察と舞台設定考察で書きました。

 

 簡単に要約すると、

 館の女主人・二階堂千鶴と、メイド・北沢志保の2人のSSRアナザー衣装は、

「2人の過去の姿」であり、

「境界を越えて、国外文化の日本への大流入がモチーフとなっている」

 

…のではないか?ということです。千鶴は飛鳥時代中国文化の流入をモチーフとして、志保は明治時代文明開化における欧州文化の流入をモチーフとしています。

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 これらはボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】を考察する上で大変重要な要素常世の国まれびとという、民俗学的な二つの概念と非常に重要な結びつきを見出すことが出来ます。

 

 詳細は是非【誰ソ彼ノ淵】深掘り考察舞台設定考察をご覧になってください。



 話を戻します。

 

 【誰ソ彼ノ淵】作中で孤島に漂着した茜ちゃん一行も、千鶴や志保と同じく国外文化の大流入がモチーフとして重ねてあると考えられます。

 

 どの時期かというと、第二次大戦後の欧米文化の大流入と考えられます。日本の生活環境の欧米化が格段に進んだ時代です。

 そう考えると【誰ソ彼ノ淵】時の時代設定は、第二次世界大戦終結後の1950年代以降であり、尚且つ本格的な携帯電話端末が普及し始める1990年代より以前であると考えることが出来ます。

 

 

 プロローグのラジオで語られた「40年前の沈没事故」をここに当てはめて考えてみます。

 

 1950~1990年代から最低でも40年以上前となると、1900~1940年代になります。大正時代から昭和時代初期です。第二次世界大戦と重なる部分を省くとしても、上に書いた「守子唄」と守子奉公が盛んに行われた時期と重なるんですよ。不思議ですね~。

 

 ※ただし、プロローグと誰ソ彼ノ淵・島編の間に作中設定でどれだけの時間差があるのかは明らかになってはいません。「どんなに短くても40年以上は昔の話である」と幅を持たせて考えるべきでしょう。その場合でも、「子守唄」と守子奉公の時代範囲に重なるわけですが。一応ね。


 ここまで簡単にまとめると、【誰ソ彼ノ淵】の時代設定は現代よりも数十年単位で過去であり、奉公人や子守唄の時代と同時代の可能性がある、といえるわけです。


 

 …あれ?「眠らせ唄」と「守子唄」については語られたけど、「遊ばせ唄」についてはまだ何も触れられていなくない?

 

 たしかに考察ではまだ触れていません。

 しかし皆さんは既に【クルリウタ】の中で狂気の笑い声を聴いているはずです。



 

 

 

 

眠らせ唄」が赤子を眠らせる為に母親が唄う「子守唄」で千鶴が当てはまり、



 

 

 

 

守子唄」が自身の境遇を嘆く「子守唄」で志保が当てはまるならば、



 

 

 

 

遊ばせ唄」は誰が笑う為の「子守唄」でしょうか。






 

 

 

 

 

アハハ…アハハハハッ…キャハハハハ…!!








 

 

 

 

 

④「呪い」の唄



 

 

 次に読み解く【クルリウタ】。それは呪いの唄です。

 

 

 「呪い(のろい)とは、人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為をいう。」

呪い - Wikipedia

 

 

 「延々 繰るり 怨 狂り」

 

 

 

 【クルリウタ】の代名詞ともいえるこのフレーズは「呪詛」の言葉だと捉えることが出来ます。相手に呪いをかけ、災厄や不幸をもたらせしめようとする呪いの唄です。

 

この呪いの唄を掘り下げていくことで、

 

 千鶴は何故狂ってしまったのか

 千鶴は何故呪われたのか

 何が千鶴を狂わせたのか

 

ラストパートの歌詞「繰り返される運命(さだめ)は愚かに 夜に堕ちてく」という歌詞は誰の視点から「愚か」だと歌っているのか

 

 これらの謎も全て一つの線でつなげられるようになります。



 

・千鶴は何故狂ってしまったのか

 

 

 これまでの考察で【クルリウタ】1番の歌詞は二階堂千鶴の過去エピソードであり、千鶴が狂っていく様を描いていると書きました。

 

ならばその発端は一体何なのでしょう?何がきっかけとなってこの悲劇の幕が開けられたのでしょう?

 

 

 それは「呪いをかけられたから」だと考えられます。

 

二階堂千鶴が狂ってしまったのは、狂気の呪いをかけられたからです。

 

 

 【クルリウタ】の曲中に度々使用されている「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズ。

 これらは全て、対象となる人物に対して呪いをかけ、狂わせる場面で挿入されていると考えられます。歌詞を見ながら読み解いていきましょう。

 

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【クルリウタ】の冒頭、いちばん最初に唄われるのは「延々 繰るり 怨 狂り」という呪いの唄になっています。

冒頭の「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズは、千鶴に対して呪いがかけられた場面と捉えることが出来ます。時系列で最もはじまりの場面であり、全ての悲劇の発端です。

 MVを見ても、冒頭部分は非常に謎が多い不可解な演出となっていますね。

www.youtube.com

 

周囲を回るアイドルたちと、中央に立つ茜ちゃんが「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズに合わせて謎の振付を踊っています。私はこの場面の茜ちゃんは、茜ちゃんではないと考えています。

九時切りのような手の形を作りこめかみに当て、手の動きと連動させて頭が動いています。この手を正面に向き合った千鶴に向けていますね。

 

この振付は千鶴に呪いをかける儀式のようなものであり、この場面こそ千鶴に呪いがかけられた瞬間ではないかと考えています。

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こめかみに合わせた手の動きに連動して頭が動いているのが「相手の思考や行動に影響を与え、狂わせる動きではないか」という推測です。

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『狂りよ』で両手を九時切りの形を作ったまま千鶴に向けて、【クルリウタ】が始まる流れになります。「思考や行動を狂わせる呪い」を千鶴へかけたのではないか?と考えられるのです。

 

 「理性」と「欲望」の狭間で苦悩する姿【クルリウタ】1番、2番、両方の歌詞に描かれていると考察してきました。具体的にどういうことかと言うと

 

愛着、愛情など個人の欲望に作用し、常軌を逸した異常な行動をとらせる(=狂わせる)原因になる」ということだろうと考えられます。

 

「千鶴の娘に対する深い愛情に作用し、狂わせ、実の娘を食べてしまうという凶行に走らせた」といえます。食べてしまいたいほど可愛いという慣用表現もありますしね。

 

 

【クルリウタ】1番の歌詞『白い細い 首に手を かけて』の部分でも、背後に「延々 繰るり 怨 狂り」というフレーズが流れています。この場面は千鶴が自らの娘をその手にかけ、最初の食人を行った場面であると捉えることができます。

 

 愛する娘をその手にかけ、亡骸を食べてしまったと思われるシーンで人を狂わす『延々 繰るり 怨 狂り』という呪詛の唄が流れているのです。

 

 

 次の画像はMVサビの終わり部分です。『狂おう心』の歌詞に重ねて、千鶴が両手の人差し指を頭に当て、まるで何かに苛まれるかのように頭を振っています。このシーンも、「呪いによって千鶴が狂わされている」ことを示す根拠になり得ます。

 

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 次に「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズが流れる場面は2番の冒頭です。2番は志保について歌われている志保の歌ですね。

 

志保が殺人を犯している場面と考えられる歌詞『また人間(ひと)が人間(ひと)を 奪う』の背後でも、延々 繰るり 怨 狂りとのフレーズが流れています。志保もまた呪われてしまっていると考えられます。

 

1番でも2番でも、人間(ひと)を殺めてしまう場面で「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズが背後に流れているのです。正規の歌詞カードにはこのコーラスの「延々 繰るり 怨 狂り」は、1番にも2番にも記載されていません。

 ちなみに歌詞考察の「後編」では

 

千鶴の場合、自ら「本音(こえ)を消し」ていますが、志保は自分の意志とは裏腹に「本音(こえ)は消え」ています。

  そこから「自らの意思に反して殺人を続け、いつしか何も感じなくなってしまった」というニュアンスを読み取ることが出来ます。

 

(引用ここまで)

 

…と記載していました。しかし「千鶴や志保を狂わせた何らかの元凶」がいるとするならば、志保の本音(こえ)は「消えた」のではなく、「消された」のだと解釈できるようになります。

『惑う本音(こえ)は』と『消えた』の間に、何かを吹き消すかのような『ハッ』という謎の声が挿入されているからです。

 

「延々 繰るり 怨 狂り」から始まったこの曲は、「延々 繰るり 怨 狂り」で終わりを迎えます。(クルリウタのアウトロってなんだか変な感じがしませんか?何かが収束していくような…例えば時間とか。何度もループしているかのような。ねぇ…?)

 

 

 

・何が千鶴を狂わせたのか

 

 

 

 結論から言うと分かりません。分かりませんし正体を暴くつもりもありませんできません。

 

 ただ、「あの島に存在する超常的な何かが、千鶴を呪い狂わせた」

…と仮説を立てることはできます。

 存在ともいえるし、あの孤島そのものとも捉えられるかもしれません。



 唐突な話だと思われますか?



 【誰ソ彼ノ淵】はサスペンスホラーと銘打たれた傑作ホラーです。「ホラー」というジャンルには、超常的な存在や人智を越えた怪物や、この世のものではない存在など様々な要素が含まれています。有り得るか有り得ないかで言えば可能性は十分過ぎるほど有ります。

そして【クルリウタ】に関連するコンテンツの各所に、元凶である「何らかの超常的な存在」の痕跡が残されていて、その影が見え隠れしているのです。

 

仮に、オバケや怨霊のような「何らかの超常的な存在」が作中に存在するとして、その正体全てを詳らかにしてしまうと、作品の魅力そのものを削いでしまいかねません。なので、この記事ではそこまで掘り下げていくつもりはありません。

 

…ただ、全くもって謎が謎のままとなると作品への理解が深まらないままになってしまいます。

 

 「千鶴さんはどうしてひどいことするの…?志保はどうしてあんなに強そうなのに千鶴さんの言いなりなの…?どうしてカニバリズムなの…?何も分かんない…」「もぅマジ無理。。。デミグラスソースのシチュー食べよ。。」

 

 なので、

 

何らかの超常的な何かがあの島にはあって、その何かが千鶴を呪い狂わせた

 

…という程度の理解までは持っていけたらいいなぁと思っているわけです。

 「超常的な存在」は、これまでに書いてきたブログ記事を読んでいただけると多少思い当たる節が見つけてもらえると思います。「常世の国」やら「黄泉比良坂の伝説」とか。「人間ならざるものに変貌を遂げる」とか…色々ね。

 

 

 

 いくつか事例を見ていきましょう。

 

 

・イベントコミュから

 

 

 【クルリウタ】のイベントコミュと映画【誰ソ彼ノ淵】は内容がリンクしています。たとえば即席アイドル料理」とか。

 

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【クルリウタ】のイベントコミュでは【誰ソ彼ノ淵】撮影最中のアイドルたちの様子が描かれていました。

 

 この撮影の最中に様子がおかしくなってしまったアイドルが2人いました。

 

 そうです、茜ちゃん志保です。

 

北沢志保の場合…ホームシック

 

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 志保はイベントコミュ内でホームシックになってしまいました。泊りがけのロケも経験済みで、仕事に対してストイックである志保がホームシックになるというのはちょっと珍しく感じます。

ホームシックになってしまい仕事に集中できなくなって苦悩する志保の姿がイベントコミュにて描かれています。

「家に残してきた家族が恋しい」「綺麗な景色を、母にも見せたい」「弟にも、おいしいごはん、食べさせてあげたい」

…等、志保の個人的な欲望が発露している点に注目です。



・茜ちゃんの場合…帰りたくない

 

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 映画の主人公という大役を掴んだ茜ちゃんは、この時間を終わらせたくないと島から出ることを拒否します。

「自らが主役であるこの映画撮影を終わらせたくない」という欲望が発露してしまっているのです。

 

  「島から出て家に帰りたい」「島に残りたい」という、全く真逆の欲求が発露していることは注目に値します。だって、【誰ソ彼ノ淵】でも同様のやり取りが千鶴との間で交わされましたから。

 志保と茜ちゃんの異常は、両方とも孤島という場所に由来して発生しています。

 

「島から出て家に帰りたいという欲求も「島に残りたい」という欲求も、孤島という隔絶された空間に長時間滞在したことにより発症したと考えられるのです。

 

【誰ソ彼ノ淵】本編における超常の存在、或いは孤島という『場』の持つ超常の力‥‥‥つまり、訪れた人間を狂わせる呪いの力を根拠づけるものになり得ます。

 

 

 志保の場合、長期間家族の元を離れて孤島で長期の撮影を行った結果として家族への深い愛情故にホームシックとなり、仕事に集中出来ない状態になってしまった。

作中の「メイド・北沢志保とその背景である「守子奉公人」の考察を踏まえてイベントコミュを観ると、一層ストーリーに深みが生まれサスペンスホラーとしての枠を超えた恐ろしさが一層際立つのです。

 

 茜ちゃんの場合、映画の主演に大抜擢され孤島での素敵な撮影の時間を終わらせたくない、帰りたくないというワガママという形で周囲を巻き込んで騒動を起こしてしまった。

作中で帰りたくても帰れない絶望の淵に突き落とされてしまった茜ちゃんの立場から観ると、笑えないほど皮肉なストーリーとなっていて、新たな子供役として島で暮らし続けることになることである意味願望が成就してしまっているのは…むしろ、そっちに現実の茜ちゃんが引っ張られたのかもしれません。怖いですね。

 

 

 

友人役:エレナの場合…友達を守る

 

 【クルリウタ】のイベントコミュと【誰ソ彼ノ淵】の内容がリンクしていると言いましたね。しかし1か所だけ全くかみ合わないエピソードがありました。

それがメインコミュ第3話『頑張れ!レザーマスク』です。

がんばれー!

 

 悲鳴をあげるシーンの収録がうまくいかなエレナに茜ちゃんが一計を案じ、変装したPをけしかけて怖がらせようとします。しかしエレナは、突然茜ちゃんが居なくなってしまったのがレザーマスク(P)のせいだと見るや果敢に立ち向かい、レザーマスク(P)を返り討ちにしてしまいます。

メインコミュ第3話「頑張れ!レザーマスク」より

物陰から様子を見ていた茜ちゃんも予想外の展開に驚いて、慌ててエレナに事の顛末を説明し事なきを得ました。

友達を助けるために身を挺して悪漢に立ち向かうエレナの純真で友達想いな面にフォーカスを当てた、とても良いコミュでした…。

 

 

 しかし【誰ソ彼ノ淵】の作中では、エレナは茜ちゃんを守ることも志保に立ち向かうこともできず、一方的に殺されてしまっています。メインコミュの内容とリンクしているとは言い難いですよね。

 

 実はTC03クルリウタのリリースイベントの場で撮影の裏話が披露されており、その場で『元の案ではエレナは志保と戦うことになっていた』と明らかにされたのです。

リリイベに参加した同僚さんからこの話を聞き心から納得がいきました。イベントコミュは元の案の状態で収録されていたから、作中でエレナが志保に立ち向かう展開をなぞったコミュの内容になっていたんですね。

 

 

 

 

 

 主人公である茜ちゃんと、謎を解き明かす手がかりになるメイド・志保の2人は、【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】において特に際立って重要なキャラクターなんですよ。それはコンテンツの随所に表れています。

イベントコミュで核心となるエピソードを担っているのもそうですし~…



【クルリウタ】のMVの中で、の反転が無いのも茜ちゃんと志保の2人だけですし~…

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【クルリウタ】の歌詞『救い願う二つの瞳』が茜ちゃんと志保のことだったり~…

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…などなど。色々なコンテンツが、茜ちゃんと志保の特異性を強調していますね。あかしほは正義

 

何故茜ちゃんと志保の2人が殊更に強調されるのかって?

誰ソ彼ノ淵のトゥルーエンドに至る為のキーキャラクターだからだと思いますよ。

 

 

 

SSR衣装コミュから

 

 

 館の女主人役・二階堂千鶴も、撮影中におかしくなっていく様子がSSR覚醒コミュで明らかになります。

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プロデューサーはそんなことは絶対にない、女主人なんかにはさせないと千鶴さんに言って事なきを得たのですが…考察していく上で意味深長なコミュであることは確かですね。ガチのホラーじゃん





・千鶴は何故呪われたのか

 

 

考察によって得られた結論から言うと、二階堂千鶴が呪われた理由は「禁足地(孤島)に足を踏み入れたから」だと考えられます。

 

【誰ソ彼ノ淵】作中において、

 

・舞台となっている孤島は元々は無人島だった事。

・千鶴が娘の療養の為にこの島を買い取り、移り住んだ事。

 

が、志保の口から語られています。

 

 もし、千鶴が超常的な存在に呪われて狂わされたのだとすれば、時期的にも理由的にもあの孤島を訪れたことそのものが原因であると考えられます。

 

 

 「禁足地」とは、例えば霊峰であったり、森であったり、寺社の境界内であったり。そのような「神が住まうとされる領域」とされています。人間が足を踏み入れてはいけない場所です。詳細は他の記事を是非ご覧ください。

 

たとえば、自然にできた特異な地形(そびえ立つ大岩や人を寄せ付けない大森林、絶海の孤島など)は神が宿る場所、神が下る場所として神聖な土地と考えられてきました。

 

 

 つまり「超常的な何かが存在している、人間が立ち入ってはいけない場所=孤島」に足を踏み入れたのみならず、そこにお屋敷を建てて住み始めてしまったがために、「罰が当たった」とか「祟られた」と言われる災いが降りかかったのだと言えるでしょう。

 つまり「呪い」です。

 類似する昔ばなしや逸話は枚挙に暇がありません。

 

 

 ホラー作品でもよくあるらしいですよね?(普段ホラー作品など一切見ない人間)

「絶対に入ってはいけない場所に入って呪われる」とか~…

「絶対やってはいけない事をやって、良からぬ存在を招き入れてしまう」とか~… 

 

 【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】が「孤島サスペンスホラー」である所以ですね。

 

 

 先ほど言及したイベントコミュにおいて、茜ちゃんと志保が精神に異常を来した理由とも関連しています。孤島という場所に足を踏み入れたからですね。



 

『繰り返される宿命(さだめ)』を【誰が】愚かだと見ているのか

 

 

一言で言うと、先ほども書いた通り「何らかの超常的な存在」だろうと思います。詳細までは分かりませんが、その輪郭を探り当てるヒントは作中に存在しています。

 

 

 「遊ばせ唄」の詳しい話がまだでしたね。

 

 

 「遊ばせ唄」は、歌に合わせて身体を動かしたり歌を歌ったりして、笑わせ楽しませるための「子守唄です。

 【クルリウタ】が「子守唄」であるならば、この「遊ばせ唄」の要素も曲の中に存在しているはずです。

 

 

 存在していますね?

 

 

 

 【クルリウタ】の中で謎の笑い声が聴こえる場所が存在していますよね?

 

 

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 歌詞画像内に示した部分で「謎の誰か」の笑い声が聞こえます。

謎の誰か」はたくさんの笑い声が反響しているようにも聞こえるし、同時に複数の笑い声が起こっているようにも聞こえ、非常に不気味な演出になっています。

 

 

 問題は千鶴のについて歌っている1番のラスト『狂おう心』の後に笑い声が入っている点です。

 

 

 何故ここで笑い声が入るのでしょうか。

 

 

 

それはこのパートが千鶴が狂気に呑まれてしまったシーンだからです。ここで聴こえる笑い声は、狂気に呑まれてしまった千鶴を嘲笑しています。

 

 どういうことか?

 

 

 千鶴に呪いをかけた元凶が、千鶴が次第に狂気に呑まれていき、遂に狂ってしまった様子を見て嘲り笑っている」

 

ということです。こわいですね。

 

 

 

 では志保の物語である2番のラストはどうでしょうか。

 

 ここには千鶴の場合のような笑い声は入っていません。何故なら志保は2番のラスト時点ではまだ狂っていないからです。

 

 まだ狂っていないので、嘲笑する笑い声も2番のラストでは聴こえません。

 

 志保が完全に狂気に呑まれるのは、ラストパートの最後です。つまりボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】のクライマックス部分に該当する部分です。

 

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 歌詞考察後編で書いたように、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】のラストパートにあたります。

 狂気に呑まれてしまわぬよう、必死で抗っていた志保も遂に狂気に呑まれきってしまいます。『夜に堕ちてく』の歌詞の後に笑い声が入るのは、ここで志保が狂気に呑まれてしまうからです。【誰ソ彼ノ淵】とは『夜に堕ちてく』ことそのものなので、伏線であるタイトル回収も行われています。詳細は歌詞考察後編ほかの考察記事をご覧ください。

 

 

 このように【クルリウタ】の重要な個所である千鶴が狂気に呑まれたシーンと、志保が狂気に呑まれるシーンの2か所で、彼女らを嘲り笑う狂気の笑い声が挿入されています。

 

 これらを偶然だと片付けるのはちょっと不可能です。

 

 

 千鶴と志保に狂気の呪いをかけ、次第に狂っていく様子を観察しながら、遂に狂気に呑まれ夜に堕ちていく二人の様子を嘲り笑う元凶の存在が、物語の中や楽曲の端々に浮かび上がってくるのです。

 別々に読み解いてきた考察に関連性が生まれて紐づき、ひとつに繋がっていることがご理解いただけたのではないでしょうか。

 

 

 

 以上、【クルリウタ】呪いの唄であるとお分かり頂けたことと思います

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

【クルウタ】とは【????】



 

 ここまで、【クルリウタ】の持つ様々な側面を順番に説明してきました。

 

  それらを全部全部まとめて、【クルリウタ】の正体が明らかになります。








 

 

 

 【クルウタ】 




 

 

 

とは




 

 

 

 【くるうた】 





 

 

 

です。




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 お分かりいただけましたか?






 ジャケットでクルウタだけが赤字で強調されて反転していたのは、ひらがなの「」と読ませる思惑があると考えられます。

 

 すると【クルリウタ】という曲のタイトルから、本質を映し出す【くるいうた】という言葉が露わになります。

 

 

 

 

 「子守唄」こそが【クルリウタ】だ、と書きましたね。

 

 それを表現しているものこそねんねんころりよ」のフレーズを元にした、

 

 

『延々 繰るり 怨 狂り』 

 

 

 という1フレーズです。これこそ、

本当の意味での【クルリウタ】の正体である

と言うことができます。

 

 

 今まで考察してきた歌詞の内容。ストーリー。舞台設定。【誰ソ彼ノ淵】とは何か…。

 そして今回の考察でまとめてきた「物語」「子守唄」「呪いの唄」…。

 

 これら全てが【クルイウタ】というキーワードに集束します。

 

 全ての謎を解き明かすキーワード。実はいちばん最初から私たちの眼前に置かれていたんです。




 では、締めくくりましょう。





【クルリウタ】とは

 

 

 

「子守唄」を元にした

 

 

悲劇の「物語」であり

 

 

わせる「呪いの唄」

 

 

 

 

【狂い唄】である






 

以上で【クルリウタ】【誰ソ彼ノ淵】の考察を終了します。

 

 

 ここまでご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

※当考察はあくまで、いちプロデューサー(2人だが)の個人的な見解に過ぎません。

 これが正解でもないし、言ってしまえば単なる想像、妄想です。

 「こういう考え方もあるのか~」程度に留めておきましょうね。

 

2023/10/17

 ミリオンキャスティングの『現代伝奇ホラー』が間近に迫っていますね!

運営のおヤバいほどの気合の入り方にワクワクしています。特に民俗学要素がてんこもりっぽい感じになってるのがすごくワクワクします!

 私と共著者オルPはかねてからクルリウタ(誰ソ彼ノ淵)と民俗学要素の繋がりに注目し考察を重ねてきました。

↓クルリウタは千と千尋の神隠しだった説から引用↓

 筆者うたたねPと共著者オルPは、過去の考察で取り上げた「黄泉比良坂」の伝説や「常世の国」も含めて、民俗学的な要素」がこの作品の随所に含まれていると考えていました。ただ、それらの要素と【誰ソ彼ノ淵】とが、うまく線で結びつけられないもどかしさを感じていました。説明をしようにも、どうしても唐突な感じが否めないのです。

 

 そのミッシングリンク千と千尋の神隠しが埋めてくれるかもしれないのです。つまり、過去の考察で書いていたような

 民俗学的な要素』【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている

のではなく、

 

《『民俗学的な要素』が多く含まれている作品【千と千尋の神隠し】》が【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている

 だから【誰ソ彼ノ淵】の中に民俗学的な要素を多く見出せたのではないか。と考えたのです。

  今回のホラーイベントもたくさん楽しみたいなーって思います!

 

 

 

関連する他の考察も是非ご覧ください。

 

 

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次回

 

【誰ソ彼ノ淵】=『千と千尋の神隠し』仮説

 

を、投稿予定です。





 

 

投稿しました↓↓↓

 

uttn3.hatenablog.com

そもそも【誰ソ彼ノ淵】って何なの?深掘り考察【クルリウタ】

 

 この記事は、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】の深掘り考察記事です。ネタバレを含むのでご注意ください。


 この記事の目的は、考察を通して【クルリウタ】とボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】への理解を深めることです。

 

 【誰ソ彼ノ淵】を考察する2人のPのうち「うたたねP」によって執筆されています

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【誰ソ彼ノ淵】の概要

 


 【誰ソ彼ノ淵】は、765プロダクションのアイドル達が出演する架空のホラー映画という設定です。
 2020年7月29日にCD「MILLION THE@TER CHALLENGE!!03」が発売され、収録されていたこのボイスドラマがあまりにも恐ろしすぎると大きな反響を呼びました。
 
 イベント含む各種コミュ、SSR衣装、SSRイラスト、MV、【誰ソ彼ノ淵】本編などの情報を適宜引用しながら考察を進めていきます。

 

 

【考察していく上での前提情報】

 

 この記事は発展的な内容を含みます。

 ストーリー考察歌詞考察の記事を先に読まれることをオススメします。

クルリウタ 誰ソ彼ノ淵 ストーリー考察(オル) - 眠る蟻の考察

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】歌詞考察【前編】 - 眠る蟻の考察

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】歌詞考察【後編】 - 眠る蟻の考察

 

 

 それでは、この悲劇と狂気に彩られた物語を、一緒に読み解いていきましょう。

 

 

【誰ソ彼ノ淵】って何?~言葉の成り立ちから~

 

 

 はじめに、この聞きなれない言葉を分解して考えてみましょう。

 

  まずは【誰ソ彼ノ淵】の『誰ソ彼』から。

 

 『誰ソ彼』は「たそがれ(たそかれ)」と読みます。日が暮れて薄暗くなると、相手の顔も見えず誰だか分からなくなりますよね。その時に、「あなたは誰ですか(誰そ…誰ですか)(彼…あなたは)」と問いかける言葉です。
 「誰そ彼」というこの呼び方は、江戸時代くらいまで使われていたそうです。それから、夕闇迫る時間帯を「黄昏時(たそがれどき)」と呼ぶようになりました。

 当時の人々は、夜の訪れを大層恐れていました。夜になると「魑魅魍魎が現れる」、「不吉な事が起こる」と考えていたからです。

 なので、日が暮れて暗くなると「誰そ彼」と呼び掛けて、互いに誰なのか確認しあっていたんだそうです。
 幽霊や妖怪などの概念が、現在よりも人間の近くにあった時代ならではですね。

 
 「黄昏時」と同じく夕暮れの薄暗い時間帯を示す言葉に「逢魔が時(おうまがとき)」という言葉もあります(大禍時とも)。文字通り「魔」に「逢う」時間という意味で、いかに当時の人々が夜の訪れを恐れていたのかがよく分かりますね。【クルリウタ】と同じくホラー系楽曲である【赤い世界が消える頃】にも「逢魔が時」というフレーズが歌詞に含まれています。



次に、【誰ソ彼ノ淵】の『淵』について。

 『淵』という漢字は、「川などの底が一段と深まったよどみ」を表す言葉です。ここから、「非常に奥深いさま」や「底知れぬほどの深み」を表現する際に使われます。

 転じて、「なかなかぬけ出すことのできない苦境」を表す言葉(絶望の淵など)としても使われるようになりました。

 果てしない深みを意味する「深淵」という言葉は、英語で「地獄」や「混沌」を意味する「Abyss」の訳語としても使われます。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

 

 簡単にまとめてみましょう。 

 「誰そ彼」とは、「あなたは誰ですか」と問いかける言葉です。

 「黄昏」とは、相手の顔が判別できないほどの薄暗い夕暮れ時を指す言葉です。

「淵」は、「底知れないほどの深み」を表す言葉です。そこから「なかなか抜け出すことのできない苦境」や「地獄」などネガティブな意味を含む言葉として使われるようになりました。

 

 以上を元に、【誰ソ彼ノ淵】を言葉の側面から掘り下げてみましょう。

 夜の時間は、妖怪や悪霊など不吉なものたちが活動する時間だと、昔の人々は信じていました。
 

『「誰そ彼」の「淵」とは、黄昏時から更に日が落ちて、「夜」=人間ならざるものの時間帯に踏み込んでしまうこと。夜になってしまうので、もうあなた(私)が誰なのか、分からなくなってしまう…』
という意味を見出すことができますね。

 

 陽が沈むこと、すなわち、「黄昏時」から更に落ちること。昼と夜の境界を越えて夜に沈んでいく、ということです。

 

 この「界を越える」という表現。私はこれが【クルリウタ】の物語で根幹を成すほど非常に重要な意味を持っていると考えています。大事なとこなので太字大文字で書いておきます

 

 以上に述べた説明と、【クルリウタ】歌詞考察【後半】で書いた考察と関連させて考えてみたいと思います(歌詞考察後編では、北沢志保に焦点を当てて考察をしていました)。

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】歌詞考察【後編】 - 眠る蟻の考察

 

 歌詞考察後編において、「【誰ソ彼ノ淵】は、狂気に溺れ変貌してゆく己に対して問いかける志保の唄」だと書きました。

 ちょっと理解しづらいですが、狂気に呑まれ徐々に変貌してゆく志保が自分自身に対して「あなたはいったい誰なんですか」と自問自答している風に捉えてください。

 

 狂気に呑まれてしまうことは、北沢志保が人間ではない全く別の存在になり果ててしまうことだと歌詞考察で述べました。これは自己の喪失と同義となります。

 人間・北沢志保にとって、紛れもなく『絶望のどん底=淵』に堕とされるということです。

 

 そして、「【誰ソ彼ノ淵】とは『夜に堕ちてく』ことだ」とも書きました。

 

「黄昏=夕暮れ」から完全に日が落ちてしまって、になることを「黄昏の淵(誰ソ彼ノ淵)に落ちる」と表現しているわけです。

 厳密に書くと、「【誰ソ彼ノ淵】に堕ちてく」となりますね。

 『夜に堕ちてく』は【クルリウタ】の一番最後に入れられている歌詞です。つまり曲のいちばん最後に【誰ソ彼ノ淵】のタイトルをズバッと入れ込んでくるという、実にお見事スーパー大絶賛スタンディングオベーションな伏線回収がされていたわけです。オタクってこういうの大好きだよね。好き好き大好きだよ。

 まさにこの部分が【誰ソ彼ノ淵】の根幹なんですね。

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 これがよく表れているのが、二階堂千鶴北沢志保SSRイラストです(歌詞考察 後編より)

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 千鶴は【誰ソ彼ノ淵】時点で既に堕ちてしまっているので、覚醒前・覚醒後のどちらも夜の描写になっています。

 志保は【誰ソ彼ノ淵】時点で堕ちるギリギリの段階だと言えるので、覚醒前は夕暮れ時(黄昏時)、覚醒後は堕ちる場面(夜)になっています。『夜に堕ちてく』という歌詞がハッキリと描かれていることがお分かりいただけるでしょう。


 これまで投稿してきたオルPのストーリー考察や【クルリウタ】の歌詞考察を総合して考えても、1本の線で綺麗に繋がって見えるのではないでしょうか。



【まとめ】

 

 【誰ソ彼ノ淵】とは、

①黄昏時から更に日が暮れて、夜の時間帯になること

②絶望のどん底に落ち込むこと

③狂気に呑まれ「人間ならざるもの」になり果てること

 

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 と、大きく3つの意味を見出すことが出来ますね。

 これら全てが【誰ソ彼ノ淵】というたった5文字に集約されていますので、最も狂気じみているのはこのボイスドラマを作った製作陣であり、GOサインを出した運営だといえるのではないでしょうか。

 





 

重要な要素と書いた「境界を越える」ということ。

 「昼と夜の境界を越えて、夜の領域に堕ちていくこと」が、「狂気に呑まれ、人間ではない存在になり果てること」の比喩として抜群に洗練された表現になっていて、最高だなあと感じました(語彙力)。



…こんな感じで、映画のタイトルにしてボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】を考察してきました。

 とりあえず、ここまで見ていただいてありがとうございます。

 他にも関連考察記事がありますから、そちらも是非ご覧になってくださいね。



さらなる深””へ 【深掘り考察】

 

は、本番に参りましょう。

 ここから先はオマケの深掘り考察部分です。

 

 

 具体的にはこの辺を掘り下げる予定です。

・お話のモチーフって何?

・あの孤島って何?

・どうして千鶴さんは狂っちゃったの?

 

掘り下げられたらいいね…頑張るよ…



 

・お話のモチーフって何?

・あの孤島って何?

 

 結論から言いますと、物語のモチーフとなったのは『黄泉比良坂(よもつひらさか)』のお話だと思います。

 日本神話に登場する男女二柱の神さま、イザナギイザナミで有名なお話ですね。

 日本最古の歴史書と言われる古事記の一番最初に語られるのが『黄泉比良坂』です。

 ※似たようなお話は他にもあるんですが、ここでは黄泉比良坂に限定します。

 

 

 簡潔に要点をまとめると…

イザナミを亡くしたイザナギが黄泉の国へイザナミを連れ戻しに行きました

イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰ることが出来ません

イザナミは絶対に私の姿を見てはいけないと言いますが、イザナギは見てしまいました

・醜い姿となったイザナミを目にしたイザナギは逃げようとします

・おこのイザナミは後を追いましたが、逃がしてしまいました

 

 まぁこんな感じです。この死後の世界の食べ物を食べることを「ヨモツヘグイ」といいます。お仏壇にご飯をお供えしますよね?アレです。

 

前回のオルPの考察では否定されていましたが、私的にはアリだと思うのでここで改めて考察してみたいと思います。

 

 古くから、死後の世界の食べ物を食べると、死後の世界の住人になるので、現世に蘇ることが出来なくなると信じられていました。

 はい。この『黄泉比良坂』のお話を念頭に置いて、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】の展開を思い返してみてください。

 

イザナミを亡くしたイザナギが黄泉の国へイザナミを連れ戻しに行きました

→遭難した茜ちゃん一行は他の生存者を探すため古いお屋敷を訪れました

 

イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰ることが出来ません

→茜ちゃん一行は屋敷で出された豪華な食事を食べました

 

イザナミは絶対に私の姿を見てはいけないと言いますが、イザナギは見てしまいました

→歌織先生は鎖で厳重に閉じられていた扉の奥を覗いてしまいました

 

・醜い姿となったイザナミを目にしたイザナギは逃げようとします

→伊織を解体してた志保を目撃した歌織先生は逃げ出しました

 

・おこのイザナミは後を追いましたが、逃がしてしまいました

→追いかけてきた志保に捕まり、歌織先生とエレナが殺害され、茜ちゃんが捕らえられてしまいました

 

 

 物語の大筋の展開が、結末以外ほぼ一致しますね。何故結末も一致させなかったのか…。

 

【追記】【重点】

 お話のモチーフは【黄泉比良坂】の物語だと思うよって書いていますが、最新の別の考察によってこの説は自ら否定しています。
 厳密には【誰ソ彼ノ淵】と「黄泉比良坂」はモチーフにしたものが同じである…というニュアンスに近いかなと思います。

 関連性はめちゃくちゃあるけどお話のモチーフが【黄泉比良坂】というわけではなさそうだよってことです。

  詳細はコチラ↓↓

【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】は【千と千尋の神隠し】だった説 - 眠る蟻の考察

 

 

 もっと掘り下げてみましょう。特に黄泉の国について。



 黄泉の国と言えば、なんとなく「死後の世界」「あの世」をイメージする人が多いのではないでしょうか。だいたいそんな感じなんですが、厳密には違う概念です。

 黄泉とは、死後の世界や神域、幽世(かくりよ)など様々な呼び方・解釈がなされています。

 前回、オルPの考察でも出てきた「常世(とこよ)の国」とも関連付けて考えられることもある概念です。「常」とも表現され、【海の遥か彼方にある理想郷】である、ともされています(海の底とも)。

 

 たとえば、琉球諸島(沖縄)で古くから知られている「ニライカナイ」や、私たちの身近なところで言うと「浦島太郎」の物語も、「常世の国」のお話だろうといわれています。

 

 さてこの「常世の国」ですが、私たちが住まう現世(うつしよ)とは色々と違う点があります。

 

 まずは不老不死や若返りと関連付けられていること。

 古くから人間は、永遠の命や若返りの奇跡を夢見てきました。日本においては、この不老不死や若返りを求めて、時の権力者が人を遣わせたとの記録が残されており、その中に非時香果(ときじくのかのこのみ)」と「まれびと」という、不老不死をもたらすとされる重要な要素が含まれています。

 詳細はオルPの舞台設定の考察記事にあるのでそちらを見てね。→

【誰ソ彼ノ淵】舞台設定考察(オル) - 眠る蟻の考察



 次に、時間の流れ方が現世とは違うらしいこと。

 「常世」という言葉そのものに「永久」という意味が含まれています。時間の流れ方が私たちの住まう「現世」とは違っているとされています。

 日本書紀に、天皇の命令で常世の国へ行った人物がいたとされていますが(この天皇も不老不死になりたかった)、行って帰って来る間に10年間も費やしたと書かれています。

 めっちゃ時間かかってますね。命令を下した天皇も、彼が帰還する前に亡くなってしまいました。

 

 

 そして、空間的に現世とは異なっているとされること。

 「常世」は「神域」とされるものですから、私たちが暮らす「現世」とは違う世界と考えられます。

 世界と世界の間には、「境界」が存在します。

 多くの場合、「場の様相」が大きく変わる場所が「境界」とされていました。

 平地と草木生い茂る山の境目、海と陸の境目、河川によって隔たれた場所や、大木・巨岩の先が、現実世界と異なる神秘の世界や神域であるとされていました。

 神奈備(かむなび)、神籬(ひもろぎ)、磐座(いわくら)、磐境(いわさか)など様々な形態・呼び方がありますが、いずれも人の住まう地「現世」と、神さまが住まう地「神域」を隔てるためのものです。

 そこは「禁足地」とされ、一般の人間が無断で立ち入ることは禁忌とされました。

 

 分かりやすい例えでいうなら、千と千尋の神隠しとか。

 千尋たちが「境界を越えて」不思議な世界に迷い込んだ序盤の展開が分かりやすいかもです。「石像いっぱいの山道を越えて」「トンネルを越えて」「場の様相が様変わりして」「川を越えて」「になって」、そこの食べ物を食べないと消えてしまう…

 

 日本書紀の記述の中でも、”「常世の国」は「絶域(はるかなるくに)」にあり、多くの波を渡って、「弱水」という特殊なエリアを越えた先にある、「神仙」の「かくれたるくに」である”とされ、「普通の人間がやすやす行ける場所じゃない」とされています。

 この「弱水」といわれる空間が現世と「常世の国」とを隔てる「境界」であり、人を寄せ付けぬ為の「結界」であるとされているんですね。

 そして上記した「行き帰りに10年かかる」話とも関連して「もしかしたら流れる時間も違うかもしれない…」と書かれています。

 

 現代においても神域の存在を知ることができます。

 例えば、分かりやすいのは神社の鳥居とか。「ここから先は神さまがいらっしゃる神域です」という印ですね。境界を示しているものです。

 あとはしめ縄でしょうか。神社などにある大岩や大木に、立派なしめ縄が巻かれているのを見たことはありませんか?あれも、岩や大木を神様が宿る御神体として、神域を隔てる結界の意味を持っています。




 【誰ソ彼ノ淵】に立ち返って考えてみます。

 

 遥かな海の向こうにある「常世の国」。通常では行くことの出来ない「神域」とされ、「現世」との間には「時間的」「空間的」断絶があるとされています。

 

 物語の舞台となった孤島も、「常世の国」と言えるのではないか?と考えています。

 

・孤島は周囲を海という「結界」で囲まれている

・通常の手段では到達出来ない

・普通だと説明がつかない40年という時間と伊織の年齢

・島には不老不死と強い関連性がある諸々が存在している

 

詳細はオルPの舞台設定考察をドウゾ。

 「通常の手段では到達出来ない」というのは、もしあの孤島が「常世の国」でもなんでも無く普通の孤島だったのなら、とっくに捜索隊があの島にやってきて、生存者が流れ着いていないか捜索するだろうからです。そもそも自治体が島の存在を認知しているのかさえ危うい

 

 エピローグのラジオでは浜辺に打ち上げられた複数の遺体を発見したと報じているので、周囲の島へは既に捜索の手が伸びているはずなのです。しかし、茜ちゃんたちが流れ着いた、あの女主人が支配する島には、救助が全く届いていない。もし救助隊が来れば屋敷に住んでいる千鶴たちの元へも情報を求めてくるハズですからね。

 なのであの島自体、通常の手段では行くどころか知覚することも出来ない「結界」に囲まれているのではないか。

 つまり、あの孤島そのものが特殊な場である、「異界」「神域」と言われる「常世」の世界なのではないかと考えられるわけです。

 

 なので、

・あの孤島って何?→常世の国だと思うよ

・お話のモチーフって何?→「黄泉比良坂」だと思うよ

 と主張することができるわけです。 

 お話のモチーフは黄泉比良坂じゃないよ!

 【誰ソ彼ノ淵】孤島、「黄泉比良坂」と常世の国が、たいへん高い類似性をもって関連付けられることがお分かり頂けると思います。

 

 ちなみに『黄泉比良坂』の比良って、崖のことらしいですよ。『あの世へ続く崖のような坂』だなんて、いやぁ誰ソ彼ノ淵とか夜に堕ちてくとかって言葉と非常に相性がいいですよね!

 

 
 「えっでも『黄泉比良坂』が話のモチーフなら、ストーリー考察で『クトゥルフ神話TRPGが元になってる』って言ってたのと矛盾してんじゃないの?」

 


 【誰ソ彼ノ淵】クトゥルフ神話TRPGが元になっている可能性は、非常に高いと思います。

 しかし同時に『黄泉比良坂』の伝説を元にしているというのも矛盾はしていないと思うんですよ。むしろこの両者は意図的にモチーフに選ばれたと思っています。

 

 クトゥルフをはじめとして、ホラーに分類される作品群には、「お約束・テンプレ」と呼ばれる一定のルール、様式美があります。例えば「1人で行動する奴は死ぬ」とか「入ってはいけない場所に入ると呪われる」とか。

 

 【誰ソ彼ノ淵】もその例にもれず、お約束通りの展開、様式美があります。

 

・冒頭でクローズドサークルの中に迷い込む

・その中でおぞましい何者かと遭遇し、犠牲者が出る

・その場から逃げようとする(が、逃げられない)

 

クローズドサークルって?

 →山奥の洋館とか雪山のコテージとか、外界との接続が遮断された場のことです。ホラーやサスペンスはこのクローズドサークルを舞台に描かれるのが常道です。

 【誰ソ彼ノ淵】も周囲を海に囲まれた孤島なので、クローズドサークルといえます。

 

 『黄泉比良坂』の伝説もテンプレに合っていますね(黄泉の国へ降りたのはイザナギくん1人だけなので誰も死にようがないのでそこはスルー)。

 

 そしてクトゥルフ神話TRPGにおいても…まぁ私は詳しくないのでオルP曰くですが、「テンプレ」に沿った展開なんだそうです。

 これは完全に私の予想で考察とかそういうのじゃ全く無いんですが、

 【誰ソ彼ノ淵】は、『黄泉比良坂』の伝説をベースに作成されたクトゥルフ神話TRPGセッションを、実際にプレイして作られたストーリーだと考えています。

 

 TRPGセッションを作るにしても、ベースとなるシナリオが必要です。

 そこで、製作陣の中でホラーのテンプレに親和性の高い『黄泉比良坂』の話が持ち出されて、エルスウェアさんお得意のクトゥルフ神話TRPGと関連性を持たせた独自のTRPGシナリオが組まれたのではないかなと思います。思うだけです。

 

 以上、妄想ここまで。まぁ無くはないなって話でしょう?

 

 さらにもうひとつ、深掘りしてみたいと思ってることがあるんです。

 

 「常世の国」の説明で「まれびと」って単語を出したじゃないですか。私これすごく重要な要素だと思ってるんです。

 オルPの舞台設定考察のページからそのまま引用しますね。

 

 ”「まれびと」とは日本の民間信仰の一種で、端的に言えば「外から禍福をもたらすもの」のことです。

 

 折口はこれを沖縄の祭事と関連付け、「まれびと」とは「海の彼方からやってくる神」であると結論しました。

 

 その後に続く民俗学及び人類文化学研究では「まれびと」とは「異邦人」「他の集落からの流れ者」「山人」あるいは「障がい者」などもこの区分に含まれたのではないかとも言われています。

 

 いずれにせよ、「まれびと」は「コミュニティ外の存在」であるというのは確かなようです。

 

 

 「折口」とは民俗学者折口信夫のことで、民間伝承を広くリサーチしてまとめた、民俗学の権威です。「常世の国」「まれびと」など多くの概念を生み出した人です。

 

 「まれびと」とは、

 

・「外からやってくる」

・「禍福(災いや福)をもたらす」

・「コミュニティ内の人間は彼らをもてなす」

・「異邦人などコミュニティ外から訪れる存在」

・「かつては神とされた」

 

…ということになります。



 分かりやすく例えるなら異世界転生なろう小説です。

 ある日突然、謎の人物が異世界からおったまげチート能力を引っ提げてやってきた!

 …まぁだいぶ語弊はありますが。要はそういうことです。

 上の方で私が言った「境界を越える」ということと、この「まれびと」という概念が深く結び付きあっていることがお分かりいただけると思います。

 ここでもう一度【誰ソ彼ノ淵】に立ち戻って考えてみましょう。

 

 「まれびと」は、海のかなたから「境界を越えて」やってくる禍福をもたらす来訪者のことを表す言葉です。

 【誰ソ彼ノ淵】にも『海のかなたから「境界を越えて」やってきて、福(不老不死)をもたらす来訪者』が描かれています。

 

 そうです、茜ちゃん一行のことですね。貴重な最高の食糧を届けてくれて…

 

 ただ【誰ソ彼ノ淵】の作中に描かれる「まれびと」、つまり「領域外からの来訪者」は、茜ちゃん一行だけではありません。かつての二階堂千鶴北沢志保です。そして水瀬伊織オレンジのガーベラも。

 
 順を追って、2人のSSRカードのアナザー衣装を絡めて考察しましょう。

 
ここで重要なのはノーマル衣装ではなく、アナザー衣装なんです。何故かって?

 

 それが2人の過去の姿だからです。

 

 

 

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とてもかわいらしい衣装ですよね。

 

 2人の衣装はそれぞれ、「国外文化の大流入」がモチーフとなってる

と考えられます。

 

 

 

 

えっ?なんて?

 

 

2人のSSR衣装にはそれぞれ女主人メイドというテーマがありますが、裏のテーマとして「外国文化の大流入」が存在するんじゃないかと予想しています。

 

 二階堂千鶴奈良時代。日本が大陸へ使節を遣わし、文化や技術などを積極的に取り入れていた時代です。その時代をモチーフとして、アナザー衣装に特徴的なデザイン(中華風)が取り入れられています。

 北沢志保は文明開化、つまり明治時代です。西洋の進んだ技術や文化を積極的に受け入れ、日本全体で近代化を一挙に推し進めようとした時代。その特徴が衣装に取り入れられています。まさにメイド(女中)の文化が流入してきた時代です。


それぞれ順番に見てみましょう。

 

 

二階堂千鶴

 

 館の女主人・二階堂千鶴SSR衣装は、黒と青を基調とした蝶モチーフとなっています。

 アナザー衣装は趣をがらりと変えて、大陸風…もっと言えば中華風なイメージの衣装となっています。

 ノーマル衣装にはなかった中国原産の花・牡丹が大胆にあしらわれ、スカート柄に蝶の翅は無く美しい緑色に、黒かったタイツは純白のガーターになっています。美しいですね。

 


 重要なポイントは、全身に見られる蝶の装飾です。腕、右目、衣装、冠など、至る所に蝶がデザインされた装飾を見つけることができます。

 

 今回スカートは別として考えようと思います。ノーマル衣装の蝶の翅のデザインは、人間ならざるものへと変貌を遂げたシンボルですので。
 千鶴が狂い変貌する前の姿ですから、アナザー衣装のスカートでは翅の模様が無くなっているでしょう。人間の状態であるから、蝶の幼虫→緑色の衣装、と考えられますね。

 

 

 

 千鶴のアナザー衣装の大陸風のデザインと、ふんだんに使われた蝶の装飾は、意図的に盛り込まれたものと考えられます。

 歌詞考察の前編で「平安時代以前の日本では、蝶は不吉で恐ろしい存在だった」と書きました。

 

 一方、中国(当時は唐国ですね)においては、蝶は吉祥のシンボルとして広く使用されていました。

 現在の日本に息づく「蝶を愛でる」という文化は、中国から流入してきたものです。

 当時の日本では衣類や装飾に蝶のデザインを用いるなんて不気味で不吉な事ですからあり得ないんです。だから千鶴のアナザー衣装は、国外から伝来した文化そのものの流入をモチーフにしていると仮説を立てられるのです。その象徴として蝶を愛でる文化や牡丹の花があると考えると、納得がいくのではないでしょうか。

 

 よって、アナザー衣装…過去の千鶴の姿に「領域外からの来訪者」の属性が存在することが分かると思います。

 中国大陸から日本へ、「蝶を愛でる」という文化が流入してきたことと関連を持たせてあるのです。

 

 アナザー衣装=千鶴の過去の姿が、「娘の療養の為にあの島に来訪した当時の千鶴」と「まれびと」の属性を繋ぎ合わせる要素として織り込んであると考えられるわけです。

 

 

 

北沢志保

 

 メイド・北沢志保SSR衣装はメイド服を非常に意識したものになっています。

 しかし完全な西洋のメイド服かというとそうではなく、袖や袴などに見られるように和服の要素も含まれており、和洋折衷な衣装となっています。「文化の流入」にスポットを当てた非常に親和性のある衣装だといえます。

 

アナザー衣装は緑や橙、黄色を基調とした明るく可愛らしい衣装になっています。

 こちらは千鶴とは違い、蝶の翅モチーフが存在しています。

 デザイン上の問題を省いて考えるなら、島に渡ってきて暫く経った後…つまり、千鶴の元で働きはじめ、少しずつ異変の兆候が出始めている状態と考えられます。

 まだまだ正常な状態です。翅の色合いも全然違いますし。

 

 アナザー衣装は、より和風っぽさを前面に出しています。メイドというよりも女給の服といった方がより正確でしょうか。

 

 まさに文明開化が始まり、西洋文化が盛んに取り入れられた時代。カフェやサロンが国内に普及しはじめ、袴にエプロン姿の女給仕が登場しはじめた時代をモチーフとするならば、まさにピッタリな衣装設定になっているのです。

 

 「女給」というとレストランのウエイトレス的なものをイメージしがちですが、この時代では接待業というイメージが強かったようです。キャバクラみたいな?

 夜の街で働く女性を「夜の蝶」と比喩表現するのも、女給が付けるエプロンの後ろ帯が蝶のように見えることから来ているくらいですから。夜の蝶ってまんまですやんね。

  志保のアナザー衣装は、千鶴のアナザー衣装と同様、植物柄が強調されたものになっています。トウワタですね。詳細は歌詞考察後編へどうぞ!

 

  志保のモチーフとなった「オオカバマダラ」そのものが「迷い蝶」として有名な種ですので、「領域外からの来訪者」として十分成り立つだけの根拠は十分持ち合わせていると考えられます。

 

 これに加えて、明治時代の文明開化、西洋文化流入に「まれびと」のモチーフを重ねて、志保のSSR衣装にその意味が込められているのだと思います。



【まとめ】

 

 二階堂千鶴のアナザー衣装は奈良時代がモチーフ。遣唐使を大陸へ派遣し、さまざまな文化や技術がおおいに流入してきた時代です。

 

 北沢志保は文明開化、つまり明治時代です。西洋の進んだ技術や文化を積極的に受け入れ、日本全体で近代化を一挙に推し進めようとした時代です。



 両者とも、国外文化が日本国内へ「境界を越えて」大挙流入してきた時代がアナザー衣装に関連付けて描かれています。

 

 物語全体を通して「境界を越える」という概念が表に裏に、丹念に練り込まれてることがお分かりいただけると思います。

 

 

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 駆け足ではありましたが、【誰ソ彼ノ淵】と「常世の国」「まれびと」の関連性を、千鶴と志保のSSRアナザー衣装から掘り下げてみました。

 

 また考察記事の目標として「【クルリウタ】とボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】への理解を深める」と書いていましたが、深めて頂けましたか?
 純粋にサスペンスホラーとして完成度が高く、ホラーが苦手な人などには受け入れがたい作品であることはしょうがないとは思います(私もホラーは苦手です)。しかし何も分からないままではなく、物語の謎や意味を考えたりするキッカケになれば、1ファンとして1プロデューサーとしてたいへん嬉しく思います。



関連する他の考察も是非見てみてくださいね!

 

 

※当考察はあくまで、いちプロデューサー(2人だが)の個人的な見解に過ぎません。

 これが正解でもないし、言ってしまえば単なる想像、妄想です。

 「こういう考え方もあるのか~」程度に留めておきましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

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【誰ソ彼ノ淵】舞台設定考察(オル)

 この記事は【誰ソ彼ノ淵】を考察する2人のPのうち「オルP」によって執筆されていますネタバレを含むのでご注意ください。

 

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 ここでは前回に引き続き「誰ソ彼ノ淵」の要素について考察を行っていきます。

 

今回は島編です。

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そっちじゃねえよ!

 

だいたい最初から肉の話してんだろうが!

あと若い人このネタわかんねえよ

 

「誰ソ彼ノ淵」は孤島サスペンスホラーというテーマで作られています。

というわけで今回はこのテーマについて考察を行っていきたいと思いますよ。



テーマ:孤島サスペンスホラー

 

まずはテーマそのものについて。

 

サスペンスホラーで物語を作る場合、もっとも重要なポイントがあります。

 

トリック?動機?怪人?初めに殺される無駄にイチャついてるカップル?

それとも犯人に秘められた悲しい過去でしょうか?

 

あるいはそれらを引き寄せる主人公の異常な死神力でしょうか?

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もちろんそれも大事です。

 

しかしそれ以上に大事なものがあります。それは

 

国家権力の介入の阻止です。

 

ちょっとまって!警察が主役のなんて〇棒とか〇捜研の〇とか太陽に〇えろ!

とかいくらでもありすぎて泣いてる

 

っていう人、いると思います。

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それはサスペンスです。

 

「誰ソ彼ノ淵」はサスペンスホラーです。

 

そもそもサスペンスとはある状況に対して不安緊張を抱いた不安定な心理、またそのような心理状態が続く様を描いた作品』(Wikipedia引用)のことです。

 

つまり恋はスリルショックサスペンス殺人がおこる物語のことではありません。

 

なので広義的には

 

かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ヤングジャンプにて大好評連載中!アニメ3期心待ちにしています

 

サスペンスホラー(特訓前会長)です。

一番好きなのはみそ。

ホラーというのはそもそもサスペンスの1ジャンル、ということになります。

 

ですので、国家権力の介入の阻止というのはホラーを成立させる要件、ということになります。

 

そこで最も多く使われる手段がクローズドサークルです。



クローズドサークルとは

 

クローズドサークルとは『何らかの事情で外界との往来が断たれた状況、あるいはそうした状況下でおこる事件を扱った作品を指す』(wikiった)ミステリ用語です。

 

具体的には

・猛烈な吹雪で外に出られない

・電話線が切られている

・あの橋はこの村に入る唯一の道なんだ

実は外の世界は滅んでいた

実は劇中劇だった

学園生活部

異世界転生

 

などの状況が挙げられます。

 

近年では心理的に外界と通信をとれない状況を心理的クローズドサークルなどということもあります。

 

孤島というのはもっとも代表的なクローズドサークルであるといえます。



なぜ「誰ソ彼ノ淵」は孤島を舞台としたのか?

 

孤島がクローズドサークルであることはわかりました。

しかしそれだけでは「あの島が」物語の舞台である必然性を説明するには少し物足りません。

 

アカネちゃんたちは当初自然学校に向かっていたのですから、その自然学校を物語の舞台としてもおかしくはありません。

 

都会から離れた自然学校という舞台設定も十分にクローズドサークル足りえるのですから。

 

にもかかわらずストーリーでは不自然な落雷まで起こしてたまたま漂着した無人島を舞台にしています。(詳しくはストーリー考察を読んでください)

 

uttn3.hatenablog.com

先に「孤島サスペンスホラー」というテーマが決まっていたとしても、行き先を島にすればいいだけなので説明不足です。

 

なので「たまたま漂着した無人島」を舞台とすることには、謎の孤島とした方が単純にミステリ感が出るという短絡的な思考とか、多くの登場人物を出さないで済むのでストーリーが作りやすい、再生時間的にも予算的にもそんな多くのキャラクターは出せない、などといった制作サイドの切実な事情とは関係なく、相応の理由があるはずです。

 

以下、複数の視点からその理由を考察します。



考察1:黄泉の国説

 

まず最初に思い浮かぶのがコレ。

 

要するにあの島は「死後の国」なんじゃないか説。

 

料理なんかはそれっぽい。つまり黄泉戸喫(ヨモツヘグリ)。

 

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黄泉ってのは単純に言うと死後の世界ですね。

んで、そこの食べ物ってのがヨモツヘグリです。

 

古事記においてイザナミが死んだ後にここに行ってイザナギが連れ戻しに行くんですが黄泉の食べ物を食べてしまったために生き返れなかったって話です。

 

類似した話としてペルセポネーの伝説もあります。

 

ペルセポネーは死んで冥府に行った後ハデスにザクロの実をもらって食べます。

その後ペルセポネーはなんやかんやあって一応蘇るんですけど完全に生き返ってないので1年の半分は冥府に戻らなきゃいけない。

その結果冬が訪れ四季が生まれた、って話ですね。

 

んでんで、ザクロの実

 

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集合体恐怖症対応型汎用ザクロ量産機

 

ザクロといえば人の味、って聞いたことある方もいるでしょう。

これまた別のお話が元になってまして。

 

昔々、鬼子母神って悪神が人の子をめっちゃ食ってました。

だもんでお釈迦様が説教にいきます。

 

(口語訳)

お釈迦様「鬼子母神めっちゃ人喰うやん?」

鬼子母神「人の子(゚д゚)ウマー」

お釈迦様「ザクロ美味いで?」

鬼子母神「ザクロ(゚д゚)ウマー」

お釈迦様「これからはザクロ食い?」

鬼子母神「ザクロ(゚д゚)ウマー」

 

というわけで「ザクロは人肉の味」って話が広がったんですな。

 

というわけでヨモツヘグリは人肉です。

 

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「なるほどね!」と思ったそこのアナタ!



マジ詐欺とか注意しろよ?

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はい。この説、一見それっぽく見えますが

詭弁です。

 

具体的に言うと”合成の誤謬”ってやつです。

 

古事記ギリシャ神話における

”死後の世界のものを食べたら生き返れない”という部分。

 

これ実際には他の神話においても散見される典型的な類話です。

 

そして鬼子母神の話。

お釈迦様は「ザクロは人肉の味がするから食べろ」なんて一言も言ってませんからね?

仮にそう言ってたとしたらお釈迦様は人肉の味を知っていることになりますよ?

ガンジーも助走つけて殴るレベル。

 

そもそも日本神道ギリシャ神話→仏教と話が飛んでる時点でこじつけです。



というわけでダメな考察をやってみました!

 

いかがでしたか?

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ごめんって!

 

もうしませんから!(たぶん)

 

まあまったくの無関係ってわけじゃないし……(言い訳)

というわけでようやく本題に入っていきたいと思います。



考察2:常世の国説

 

それではさっそく今回の本題にはいtt

 

いや同じやんけ!

 

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ま、待ってくれ……説明させてくれ……

 

 

考察のメインは常世の国です。

 

はい、わかってます。これはしっかり説明します。

 

黄泉の国

常世の国

根の国

 

これらはいずれも日本において「あの世」とされてきたものです。

 

しかしながら”違う言葉が存在する”ということは、

これらはそれぞれ”区別されていた”ということを示します。

 

黄泉の国

 

黄泉の国は上でも書いたように古来から「死後の国」として扱われてきました。

地の底にあるといわれ、現代的に言えば最も近いのは「地獄」でしょう。



常世の国

 

常世の国は現代では黄泉の国根の国と同一視される場合もありますが、

古くは「理想郷」と考えられていました。

海の彼方にあるといわれ、神の国としての側面も強く持っていました。

現代的には「天国」のイメージでしょう。

沖縄の民間信仰であるニライカナイとの関連性についても言及されています。



根の国

 

根の国黄泉の国常世の国の双方の性質を持っているといえます。

根、というところから地の底にあると思われがちですが常世の国と同じく海の向こうにあるともいわれています。

神話上、流刑地としても扱われている点からネガティブなイメージが強いですが、本来は常世の国と同じく「理想郷」の側面もあったとも言及されています。

根の国、という名は上述したニライカナイから変化したという説もあります。

 

 

と、このようにそれぞれ結構異なっていることがわかります。

 

まあこの辺りは柳田国男折口信夫で解釈が変わったり同一資料内でもほぼ同じ意味で違う語があてられていたりと百家争鳴するところではあるのですが……。

ひとまず今回の考察では折口信夫の研究を基礎に考えていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

さて、常世の国にはいくつかの特徴があります。

上述した「理想郷」の他に、

 

・神の住むところである

・現世と時間的、空間的に異なっている

・不老不死と関連付けられる

・ネガティブな側面を持つ

 

などが挙げられます。

・神の住むところである

 

常世の国は日本神道においては神の国、つまり「高天ヶ原」と同一視されました。

詳しい話は割愛しますが、古事記などにも書かれているのでかなり古い時代から遭った概念であるといえます。

 

・現世と時間的、空間的に異なっている

 

常世の国は時代によっては「わたつみの宮」と同一視されました。

「わたつみの宮」とは「海神の宮」、つまり竜宮城のことです。

みなさんご存じ浦島太郎に出てくる竜宮城です。

これだけでも時間的な相違を説明するには十分根拠となりますが、

それとあわせて「非時香果(ときじくのかのこのみ)」にまつわる伝説もあります。

「非時香果」とは常世の国にあるとされる不老不死をもたらす果実です。

橘とも呼ばれることから柑橘類の一種とされることが多いようです。

 

古事記日本書紀にはこの「非時香果」を帝が常世の国に取りに行かせる話がありますが、こういった話のお約束として帰ってきたときにはもう帝は死んでいます。

 

この「わたつみの宮」「非時香果」の伝承から折口は常世の国では時間の流れが現世とは異なり、また空間においても現世とは異なっているとの推察を行っています。

 

・不老不死と関連付けられる

 

先に述べた「非時香果」の例のほかに折口が不老不死をもたらす、として言及したものに「まれびと」があります。

 

「まれびと」とは日本の民間信仰の一種で、端的に言えば「外から禍福をもたらすもの」のことです。

 

折口はこれを沖縄の祭事と関連付け、「まれびと」とは「海の彼方からやってくる神」であると結論しました。

その後に続く民俗学及び人類文化学研究では「まれびと」とは「異邦人」「他の集落からの流れ者」「山人」あるいは「障がい者」などもこの区分に含まれたのではないかとも言われています。

 

いずれにせよ、「まれびと」は「コミュニティ外の存在」であるというのは確かなようです。

 

・ネガティブな側面を持つ

 

常世」という言葉は現世(うつしよ)との対比で語られます。

別の呼び方として、「幽世(かくりよ)」「隔世(かくりよ)」ともあるいは「常夜」とも呼ばれました。

常世」であれば「常なる世」、つまり永遠に続く世界であるとの意味から死や恐れのない理想郷であるととられますが、「常夜」と読ませた場合には「常に夜の世」となり明けることのない、夜の住人の世界とも捉えられます。

 

常世」と「常夜」、この相反するイメージの両立こそが常世の国の本質であるといえます。



さて、そろそろ飽きましたので「誰ソ彼ノ淵」の話に戻しましょう。

 

まあここまでの話からなんとなーくお分かりのことかと思います。

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森羅万象を理解した聡明な皆さまには釈迦に説法だとは思いますが、

常世の国」と「誰ソ彼ノ淵」との関連について考察していきましょう。



常世の国とはつまり海の彼方にある「神の国」であり「魔の世界」でもあります。

そこでは「時間の流れも現世とは異なり」、そこに住む者は「人ならざる不死の存在」です。

その不老不死の妙薬として「非時香果」と呼ばれる果実があります。

 

「誰ソ彼ノ淵」の舞台となった島にはおそらく千鶴さんや志保、伊織まで含めて「人と呼べるもの」は存在していません。

また彼女たちは何らかの理由によって「年を取っていません」。

そしてその不死性の一因として「人肉食」が挙げられます。

ひとつひとつはありきたりな要素ではありますが、これだけの類似性があるととても偶然だとは言い切れません。

 

ですが「非時香果」と「人肉食」はなかなか結びつきにくいかもしれませんので少し解説します。

 

歌詞考察の中で人肉食文化について触れましたが、その際、言語用法の面から人体を食べ物とみなしている、と書きました。

この食べ物、というのは具体的に言えば果実のことです。

「たわわな胸」「桃尻」のような例をとればわかることですが、日本語において身体の食物的表現は果実の比喩である場合が非常に多くあります。

これは人体を植物として捉えた場合に、胴体は幹、手足を枝葉や根、突出部を実とみなすからではないか、との指摘もあります。

 

と、まあこのように考えると「誰ソ彼ノ淵」の舞台は「常世の国」である、という考察は相当部分において妥当なのではないかと考えられます。



考察3:蓬莱山説

 

ここからはそれほど確度は高くもないけれど、考察に値する説を蛇足的に示していきます。

 

まずは蓬莱山説です。

 

封神演義のアレです。(世代がバレる)

 

蓬莱山とは中国の仙人思想における理想郷です。

この蓬莱山は上述した常世の国の元ネタになったという説もあります。

 

大部分は常世の国と類似しますので詳しい説明は特に致しません。

気になる方は

 

ggr(テンプレ)



常世の国とネタ被りなのになぜわざわざこの説を書くかというと、

 

二階堂千鶴中国人説

 

があるからです。

 

詳しい考察はまた別記事になるかと思いますが、複数の要素から作中の千鶴さんの出身は中国大陸であると考えられます。

 

そのため仙郷である蓬莱山が候補に挙がるわけです。

 

要するに千鶴さん妖怪仙人説です。

 

まあ詳しくはまた別の機会、ということで。



考察4:島そのものがオカルト説

 

これは別案というわけではなく、プラスアルファみたいなものなんですが、

 

島というのが何らかのモチーフとしてではなく

 

実際に超常性を持っている

 

という説ですね。

 

要するにカニバってたり年取らなかったりっていうのは

 

✖ 千鶴さんたちがおかしい

〇 島がおかしい

 

って説ですね。

 

この説を支持する最大のポイントは40年ですね。

 

ストーリー考察ではクトゥルフとか持ち出してきましたが、クトゥルフにしろ違うにしろ、伊織のサバ読み40年というのは何らかのオカルトでも使わなければ説明できません。

 

オカルト要素なしで説明するとなると

 

マジでミスリードしかない

 

という事態に陥ります。

 

じゃあもう考察なんてする意味ねえじゃねぇか!

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冗談抜きでアイデンティティクライシスしかねないので

そういう根本的なミスリードはないものとして考えます。

 

とすると

 

オカルトはありまぁす!

 

ということになります。

 

問題はその原因をどこに求めるかです。

 

犯罪者は元々犯罪的指向を持っている

犯罪者は環境によって作られる

 

島そのものがオカルト説は後者となります。



つまりこの説は

 

暴力的なゲームをしたりc〇mic L〇を購読したり

いい年して二次元アイドルの水着衣装を入手するために重課金したり

1日1回限定の課金ガチャをお布施と言ったり

 

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本棚がこんなことになっている筆者だったり

 

そういう奴らは全員ロリコンの犯罪者だから死刑!

 

ということになります。

 

なってたまるかよ!

 

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※著者に犯罪性向はありません。前科もありません。

※この文章はラリって書いているわけではありません。

※完全なシラフです。

 

閑話休題

 

まあ原因を人に求めないのであれば環境に求めるしかないわけです。

 

しかしながらこの説はあまりにも作中の根拠に乏しい。

今後の考察が待たれます。(他人事)

 

ってかもう全部夢だったってことにならねえかな……



総括:「誰ソ彼ノ淵」と「常世の国」

 

最後にタイトルに少し触れて終わりにしたいと思います。

 

「誰ソ彼ノ淵」は現状では「常世の国」をモチーフにしている可能性が非常に高いです。

 

それは「常世」が「常夜」であり、「誰ソ彼ノ淵」が「夜に堕ちてく」物語であることからも見て取れます。

 

常世の国にしてもそれ以外でも、古来から人間は海や川の「向こう岸」にこの世ではない場所を見てきました。

 

もっとも古いところでは古代エジプトの死生観が挙げられます。

 

古代エジプト文明はナイル川流域に発足しました。

しかしながら都市が築かれたのは川の一方のみ。もう一方には王の墓であるピラミッドとそれを守るスフィンクスだけが置かれました。(現代ではその限りではありません)

 

彼らにとって川の向こうは死の世界だったわけです。



そして、「誰ソ彼ノ淵」で志保はその淵に立っています。

 

誰ソ彼―黄昏時は別名を「逢魔が時」といいます。

魔と逢う時、「この世ならざるもの」ともっとも近づく時です。

 

彼女に待ち受けるのは「常世」なのでしょうか。

それとも「常夜」でしょうか。

 

いずれにせよ、そこはもう「誰ソ彼ノ淵」の向こう側、なのでしょうが。

というところで今回の考察を終わりたいと思います。

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

▽▽▽関連考察▽▽▽

uttn3.hatenablog.com

 

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uttn3.hatenablog.com

 

 こちらは深掘り考察になります。ストーリー考察や歌詞考察の記事を先に読まれることをオススメします。

uttn3.hatenablog.com

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】歌詞考察【後編】

 



 この記事は【誰ソ彼ノ淵】を考察する2人のPのうち「うたたねP」によって執筆されています

 かんたん考察です。ネタバレを含むのでご注意ください。

 

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【考察していく上での前提情報】

 【クルリウタ】に関連するすべてのコンテンツは密接に関連しあっています。

 なので、イベント含む各種コミュ、SSR衣装、SSRイラスト、MV、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】などの情報を適宜絡めながら考察していきたいと思います。

もちろん当然ネタバレ純度100%なので気をつけてね。

 

 歌詞を考察する記事を前編と後編に分割しています。

 前編では、【クルリウタ】「1番」の歌詞を考察しました。

 後編では、残りの「2番」と「ラスト」の部分を考察します。 

この記事は後編になります。

【前編はコチラ】

uttn3.hatenablog.com

 

 それでは、この悲劇と狂気に彩られた楽曲を、引き続き一緒に読み解いていきましょう。

 

【クルリウタ】 2番 溺れゆく北沢志保

 

 見出しでお気づきですね。
 そうです。【クルリウタ】2番の歌詞は『メイド・北沢志保』のお話です。

 

 2番を読み解くことで、メイド・北沢志保がその身を狂わそうとする衝動にいかに抗っているかがわかります。抗っている!?

 

 そうです、志保は抗っています。狂気に呑まれまいと必死に。

 まぁそれも時間の問題ですが…。

 

 彼女がこの島で行ってきた禁忌の過ち。必死に、懸命に抗おうとする孤独な戦い。心の奥底で脈動する甘い衝動と誘い…。それが悲嘆と共に描き出されるのが2番です。



 考察本編に進む前に

 

 前回、千鶴のSSR衣装に触れたので、志保のSSR衣装についても考察しておきましょう。

 

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 志保のSSR衣装も、千鶴と同じくがモチーフです。かわいいですね。

 クラシカルなメイド服のデザインを思わせます。よくみると志保が着ているのは和服であると分かります。メイド服、和服、ブーツなどの要素が取り入れられており、和洋折衷と言える衣装です。かわいいですね。

 このような和洋折衷な衣装は、文明開化により舶来文化が広まった時期のものと非常に親和性があります。だいたいその辺の時代の衣装じゃないでしょうか。

 

 千鶴の衣装と同じく、蝶の翅の意匠が用いられています。かわいいですね。

 モチーフとなった蝶はオオカバマダラです。モナーク・バタフライとも言い、渡り鳥のように遠距離を移動する「渡り蝶」として有名な蝶です。

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かわいいですね。

 

 太平洋の一部の島やオーストラリア、ニュージーランド等にも生息しているんだそうです。

 嵐に乗って小笠原や南西諸島まで飛来してしまう『迷い蝶』もいるのだとか。

 

 …嵐に巻き込まれて日本のまで飛来する『迷い蝶』ねぇ…へぇ…。



 しかし、千鶴の翅と比べて志保の翅は小さいですね。おまけに黒いリボンが上から被さっていて見えづらくなっています。一体どうしてでしょう?

 

 それは、志保が狂気に呑まれきっていない=まだ蝶に羽化しきっていないからです。まだ。

 千鶴が完全に羽化を終えた(狂気に飲まれきってしまった)蝶の成虫だとすれば、志保は狂う間際で必死に耐えようとしている状態…言わば羽化寸前のさなぎなのです。

 

 

 

Q.羽化寸前のさなぎって?

 

 

A.こーゆーこと

 

 

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 これはオオカバマダラのさなぎです。左が通常のさなぎで、右が羽化する寸前のさなぎになります。

 オオカバマダラには面白い生態があって、通常のさなぎは左図のように緑色や黄緑色なのですが、羽化する直前になると内部が透けて全体が光沢のある黒色に変わるんです。

 

 羽化する直前に黒色に変わるんです。

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 そうですね、志保ですね。「羽化する寸前のさなぎ」だと言った理由がコレです。

 

 千鶴に比べて小さな翅は、未だ羽化しきれていないギリギリの状態を。

 翅に重なっている黒いリボンは、今まさに少しずつ破りつつあるさなぎの外膜を表しています。
いかがです?オオカバマダラの生態と志保ちゃんのSSR衣装、見事に合致しているでしょう?

 

 もう一点、志保が着ているメイド服の表面に施された植物状の模様ですが。

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 コレですね。

 

 コレはオオカバマダラの幼虫が食べる植物『トウワタ』です。

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 トウワタの特徴的な5枚の花弁、細く伸びた茎などの意匠が施されています。かわいいですね。

 それにこの色、志保のSSRアナザー衣装の色合いとソックリです。

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 とてもかわいいですね。アナザー衣装については別の機会に…。

 

 トウワタは、英名をアスクレピアスと言います。ギリシャ神話に登場する同名の医者・神さまが名前の由来なのだそうです。不老不死や死者蘇生とも強い繋がりがあるのだとか。

 アスクレピアスという名が付けられたのは、トウワタが薬草として広く世界中で使われてきたからです。志保の覚醒前SSRイラストでも、野草を採取していますね。

 またの英名をBlood Flower(血の花)とも言うそうです。かわいいですね。

 

 ちなみにですけど、トウワタ花言葉「健康な体」「私を行かせて」「心変わり」だそうです。いったいどこまで意図して作られたのか分かったものじゃないですね。

 

 物語の重要人物である千鶴と志保に共通する蝶のモチーフ。

 調べていくと、恐ろしくなるほど詳細に設定が練り込んでありました。

 脱帽です。驚愕です。一番狂ってるのは製作陣ですって、絶対。



 では2番の歌詞考察に進みましょう。 

 

クルリウタ 2番 歌詞

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【かんたん解説】

 

『ご覧 また人間(ひと)が人間(ひと)を 奪う 「違う」惑う本音(こえ)は消えた』

 

 千鶴に従うまま殺人を犯している志保が自らを客観視しているような場面です。自分が犯してきた罪過を、諦観と共に冷たく振り返っているようなニュアンスを感じます。

 

 一番と違うのは、『惑う本音(こえ)は消えた』となっている点です。

 千鶴の場合、自ら「本音(こえ)を消し」ていますが、志保は自分の意志とは裏腹に「本音(こえ)は消え」ています。

  そこから「自らの意思に反して殺人を続け、いつしか何も感じなくなってしまった」というニュアンスを読み取ることが出来ます。志保も初期の千鶴と同じように、その行為に躊躇いや葛藤を抱いていたことが見てとれます。

 

 『赤く綻ぶ 狂気に触れて 伝染った この胸の中 

 甘く鮮やかに 過ち咲かすのか』

 

  綻ぶとは、蕾が開きかけるという意味であり、『く綻ぶ』とは志保が幾度も繰り返してきた「ナイフで人を刺殺した際の血しぶき」の比喩と捉えることもでます。

 志保の胸中に花開きつつある真っ赤な狂気、という観念的描写と捉えることもできますね。

 トウワタの花もBlood Flowerという名でしたしね、そのまんまやん。

『甘く』『鮮やかに』という言葉は、千鶴の場合と同じように狂気=抗いがたい衝動と快楽を伴うものと考えられます。繰り返される過ちが、志保の心に匂い立つような狂気のつぼみを綻ばせているのです。

 

『殺めるべきは 愛しいぬくもり それとも欲望(くうふく)か』 

 [愛しき蕾 触れさせはしないの]

 

 『殺めるべき』という歌詞は、1番の『守るべき』という歌詞と対になっています。選択肢は『愛しいぬくもり』か『欲望(くうふく)』か。

 

 『愛しいぬくもり』とは志保が本来持っていた倫理観や人間性であり、狂気に呑まれまいと必死に抗おうとする意志の表れだと解釈できます。

 

 『愛しいぬくもり』と『欲望(くうふく)』とで「理性」と「欲望」の対立を表し、1番の歌詞『この世の道理』か『真心(しんじつ)か』と同じ対比を演出する構造となっています。

 千鶴を描写した1番では『世の道理』には裏のコーラスの『夜の帳』がかかっていました。

 志保を描写した2番では『愛しいぬくもり』に裏のコーラス『愛しき蕾』がかかっており、『触れさせはしないの』と続きます。

 1番の歌詞『この世の道理』と対応した「理性」の表現です。

 対して『欲望(くうふく)』は志保を飲み込みつつある狂気の比喩であると考えられます。いけないことだと分かっているのに、食べたくて食べたくて気が狂いそうになるほどの空腹感に苛まれているのかもしれません。

 

 狂気に呑まれまいと抵抗する志保の絶望的な姿が痛々しく描写されているわけですね。

 

 『今を明日を 全てが欲しいと 滴る心』

  [全てが欲しい 狂り 滴る心]

 

 狂気に苛まれ続ける志保のことです。

 必死の抗いも虚しく、志保の心は徐々に狂気に染め上げられていきます。

 「今」が表すのは狂気に呑まれゆく快楽のことだと考えられます。

 

 それに対して「明日を」が表すものはいったいなんでしょうか。未来、即ちこの状況から脱して人間として生きていく希望のことでしょうか。それとも狂気に飲まれきって、欲望のままにソレに手を染め続けていくことなのでしょうか。『滴る心』という歌詞からはより増大していく内面の欲求を感じ取れます。

 

 限界ぎりぎりの志保の心もまた、千鶴と同じように食人への激しい欲求、衝動に苛まれていることが表現されているものと考えていいでしょう。

 

2番歌詞考察 まとめ

 

・【クルリウタ】の2番は志保視点の歌

・狂気に呑まれまいと必死に抗う志保の姿が描かれる

・完全に狂ってしまうのはもはや時間の問題

 

 簡単にまとめるとこのようになります。悲壮感と絶望感がハンパないですね。

 

 志保も茜ちゃん一行と同じように、外部からこの島にやってきた普通の人間だったと思われます。

「迷い蝶」オオカバマダラのモチーフの通りですし、屋敷の前で茜ちゃん一行と最初に出会ったシーンで、「船が遭難した」と聞いた時にわずかに狼狽えるような反応を示したからです。

 「この人たちも…私と同じように…」なんて考えていたのかもしれません。

 ボイスドラマで千鶴が茜ちゃん一行に、島に留まるよう提案したことを覚えてるでしょうか。志保はその提案を受け入れた…いや、生き延びる為に受け入れざるを得なかったのでしょう。そうだとすると志保も、この悲劇の犠牲者なんですね。

 

 この辺は後日別の機会に深く掘り下げていきたいと思います。




【クルリウタ】ラスト考察 そして【誰ソ彼ノ淵】へ



 1番、2番と順に【クルリウタ】の歌詞を読み解いてきました。ラスト部分の考察に入りましょう。



クルリウタ ラスト 歌詞

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【かんたん解説】 

 

 非常に繊細かつ重要な部分なので、慎重にみていきましょう。

 

『儚く美しく 愛を 陰ることない永遠を 貴方とたった一つの 哀を ひと躰へと』

 

 【クルリウタ】で私が最も好きなパートです。

 この部分は全て千鶴の視点で、「娘」へ向けて歌われています。千鶴にとっての『儚く 美しく 愛を』向ける対象は「娘」に他なりません。

 

 『儚く美しく』は有限、有終の虚しさと美しさを、『陰ることない永遠を』は完全、不変、不老不死や、失われることのない永遠をあらわします。

 

 私はこの歌詞に2通りの解釈があると考えます。

 1つ目の解釈は、『儚く美しい』という言葉の対象が「実の娘そのもの」だった場合。心からの愛情を込めて育て、慈しみ、「いつまでも元気に幸せに暮らしていけますように」と願う存在です。

 

 2つ目の解釈は、『儚く美しく』という言葉の対象が「代々の娘役の少女たち」だった場合。最も美味、最も甘美な快楽を得られる最上級の食材たちです。

 愛し育てた彼女たちを食べることで、『陰ることない永遠』つまり不老不死や永遠の若さを得ることが出来ると解釈できます。

 

『貴方とたった一つの哀を』については

 

 1つ目の解釈なら、実の娘との間に起こしてしまった唯一無二の悲劇を『哀』すなわち「愛」で表現している。

 2つ目の解釈なら、娘役の少女一人ひとりの悲劇、彼女らが持つ唯一無二の『哀』しみそれ自体を指している。

 

と捉えられます。

 

『ひと躰(ところ)へと』についてもまた

 

 1つ目の解釈なら、埋めようにも決して埋められない喪失感、そして慙愧や悔恨の念と共に。

 

 2つ目の解釈なら、最高の食材で最高の料理を味わい、より深く深く狂ってゆく悦びと共に。

 

 食べて、自らの一部としてしまう、と解釈できます。

 

 繰り返しになりますが、その行為には打ち震えるほどの快楽が得られる、という解釈が存在し、作中やMV描写、オルPの解説を考慮しても恐らくそうであろうと考えるのが最も自然な解釈になります。あいにく私は体験したことがないのでそういう他にありません。オルPならわかるかな?

 

 同音の『愛』と『哀』とを重ねて考えることも可能ですので、これらの解釈が両方同時に成立していると考えることもできます。

 

※2022/08/08 この記事を加筆・修正した時点で、他にも色々な解釈の仕方があるんだなあと感慨深く再考察しています。色んな解釈があっていいよね、楽しいし。

 

 ここまで1番、2番、そしてラスト部分の半分の歌詞を考察してきました。

 謎に包まれていた女主人・二階堂千鶴とメイド・北沢志保の隠された過去が明らかになりましたね。



 

 

 

 

 

 それでは、ここからが本番です。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからが【誰ソ彼ノ淵】です。




 

 

 

 

 

 

 

 

  お気づきになりましたか?

 この【クルリウタ】という楽曲は、時系列に対応して曲が進行しています

 1番から2番、ラストへと向かうにつれて、物語も過去から現在に向けて流れているのです。

 

 そう。歌詞の最終局面に至ったここが、ここからが【誰ソ彼ノ淵】本になります。

 

 

『守るべきはこの世の道理(ことわり) それとも真心(しんじつ)か 

 救い願う 二つの瞳に 狂おわせ』

 

『響く悲鳴(こえ)は 嘆きのはじまり それとも祝福か』

 [嘆きの光 抱きしめていくの]

 

『繰り返される 宿命(さだめ)は愚かに 夜に堕ちてく』 

 [宿命(さだめ)愚かに 狂り 夜に堕ちてく]

 

 

 まず注目する点は『救い願う 二つの瞳』が一体誰を示しているのか?です。

 通常、「二つの瞳」は人間1人分になりますが、この歌詞と文脈からは1人ではなく、2人存在していることを伺わせます。

 救われたいと願う二つの瞳に『狂おわせ(る)』ことから、該当する2人の人物は救われることなく、これからも狂っていくことになるだろうと予想されます。

 

 んー…恐らくここも人によって色々な解釈があると思うんですけれど。私はこう思いますね。

 

 

 

 

 

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 『響く悲鳴(こえ)は 嘆きのはじまり それとも祝福か』

 

 ボイスドラマをお聴きになったならば、この歌詞がボイスドラマのどのあたりになるのか大体見当がつくと思います。

 

 島に響き渡った悲鳴は、救いを願う1人目の人物、茜ちゃんにとって『嘆きの始まり』となりました。

 

 では、『祝福』とは一体誰にとってのものなのでしょうか。

 

 それは志保。救いを願う2人目の人物、館のメイド・北沢志保です。

 

 2番の歌詞考察の中で、「志保は狂気に呑まれまいと必死に抗っている」と書きました。同時に「完全に狂ってしまうのは時間の問題」とも。

  

 「祝福」とは、狂気に呑まれつつもギリギリで必死に抗っている志保自身が、深く暗い淵へと堕ちていくことと捉えられます。

 『嘆きの始まり』は裏のコーラス『嘆きの光』と重なり、『抱きしめていくの』と続きます。

 志保について語られた2番のコーラス『触れさせはしないの』と対になっていますね。2番では『触れさせ』ようとしなかったものを、ラストでは自ら『抱きしめて』、そして堕ちてゆく。私にはとても残酷で悲しく、美しい描写に思えました。

 志保にとって、それは確かに「祝福」なのです。

 遂に最後の一欠片の人間性をも呑み込まれ、人間以外のものに完全に変貌を遂げてしまう…「嘆きの光による祝福」です。

 1番の千鶴にとっては、「蠢く痛みと空腹」でした。千鶴の場合と志保の場合とで、歌詞がちゃんと連動していますね。

 

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 ミリシタのMVでは1番のみですが、同じ箇所にあたる部分では、舞台全体に明るく光が満ちて、上部から白いスポットライトが差し込みます。

 ここのシーンだけ、【クルリウタ】の内容やイメージとは正反対の明るく神々しい演出がなされています。

 それもそのはず。このシーンで演出されているものが『祝福』だからです。

 1番の歌詞では千鶴が人間でないものへ変貌を遂げる事を。

 2番では、完全に狂気に呑み込まれてしまった志保にとっての『祝福』を。

 

 それぞれ表現してあるものと理解することが出来ます。

 

 

『繰り返される宿命(さだめ)』

 

 茜ちゃんにとっては、先生と友達を殺され、自分だけ重傷を負いながらも生かされ、次の娘役としての宿命に堕ちていくことです。茜ちゃんにとっての『嘆きのはじまり』です。あれは確かに、次の犠牲者である茜ちゃんにとって絶望でした。

 そして志保にとっては、幾度となく繰り返してきた凶行の末に人間性が摩耗し尽くし、人間以外のモノに完全に変貌を遂げることです。

 

そして、千鶴もまた、再び。

 

 救いを願う二つの瞳とは茜ちゃんと志保の2人のことなので、2通りの解釈が存在します。恐ろしいですね。

 

 実は、もう一つの解釈の仕方もあるように思っています。これはメタな視点からの話になるのですが、共同考察者であるオルPのストーリー考察に書かれた通り、この物語を『クトゥルフ神話TRPG』におけるセッションとしてとらえた場合、何度でも繰り返すことができるということです。

 詳細は是非そちらの記事をご覧ください。

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】ストーリー考察(オル) - 眠る蟻の考察

 

 『愚かに』という歌詞は…まぁ文字通りの意味なんでここで書くことは無いのですが。

 

『繰り返される宿命(さだめ)』を【誰が】愚かだと見ているのか

 

 という点について、後日別の機会に深堀りしてみたいなと思います。



『夜に堕ちてく』

 

 狂気に呑まれ、人間ではないものに変貌していくことの比喩表現になります。

 

『夜』という単語は「誰ソ彼ノ淵」→「黄昏」と関連したものです。「黄昏」とは「夕暮れ」のことですね。

 

『堕ちてく』という単語は「誰ソ彼ノ淵」→「淵」…つまり川と関連したものです。

 

 「ふち」が「縁」ではなく「淵」となっているのは、底知れぬほどの深い深淵を表現したものであろうと思われます。あとクトゥルフ神話TRPGとの兼ね合いもありそうな気がしますね。

 

 また、「淵」という言葉には容易に抜け出られない苦しい境遇 苦境

という意味も含まれていますので、まさにドンピシャなネーミングです。

 

 そして、誰ソ彼とは「あなたは誰ですか」という問いかけの言葉です。

 問いかけるのは志保、そして問いかけられるのもまた志保です。

 つまり【誰ソ彼ノ淵】とは

狂気に溺れ変貌してゆく己に対し問いかけ続ける志保の唄」なのです。

 総括しましょう。

 

誰ソ彼ノ淵とは、夜に堕ちてくことです。

 

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【クルリウタ】の最後の歌詞で【誰ソ彼ノ淵】のタイトルをしっかり回収するという、バリバリにエモい最高の展開を魅せつけてくれます。魅せつけてくれました。鳥肌です。絶賛です。狂気です。

 

 これが端的によく表れているのが、二階堂千鶴北沢志保SSRイラストです。

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 千鶴は、歌詞の時系列で現在にあたる【誰ソ彼ノ淵】時点で既に堕ちてしまっているので、覚醒前、覚醒後のどちらも夜の場面です。

 一方志保は、【誰ソ彼ノ淵】時点で堕ちるギリギリの段階なので、覚醒前は夕暮れ時(黄昏時)、覚醒後は堕ちた場面(夜)になってるんですね。




ラスト歌詞 まとめ

 

・改めて描かれる千鶴の狂気

・【クルリウタ】は時間の流れに忠実に作られた楽曲

・ラスト部分になり、遂に【誰ソ彼ノ淵】が描かれる

・救いを願う二つの瞳とは、茜ちゃんと志保のこと だが救いはない

 

 しんどいよ!

 いや本当に。ここまで全部見てくださった方は分かると思います、この狂気と救いの無さ。

 

 歌詞考察 総まとめ

 

・1番の歌詞は千鶴の過去。最初の食人を犯し、狂気に呑まれるまでを描いている。時系列でもっとも過去の出来事。

・2番の歌詞は志保の過去。千鶴に従い殺人と食人を繰り返す中で狂気に呑まれつつある様を描いている。時系列で1番よりも後、【誰ソ彼ノ淵】本編の前。

・ラストの歌詞は【誰ソ彼ノ淵】本編。時系列で現在の出来事。

【クルリウタ】の歌詞考察はこんな感じで終了です。

 

 でもねーまだ書き切れてないことがいっぱいあるんですよね。

 

誰ソ彼ノ淵って何?とか

クルリウタって何?とか

千鶴さんはどうして狂っちゃったの?とか

千鶴さんの娘ってどういうこと?とか

年収は?恋人は?実家は?とか

あの孤島って何?とか

お話のモチーフって何?とか

トゥルーエンドへ行くにはどうすればええねん…とか

ベースになった設定のアレやコレとか

アイドルっていったい何なのよ…!とか

歌詞考察なのに『延々 繰るり 怨 狂りの部分考察してへんやないか!

とか

 

ね。

 

色々…うん!色々ね!

 

 多分また後日、色々なところを色々な方法で深堀しまくる誰得考察をまた書こうと思ってます。オルPもやる気満々みたいだし。

 

 とりあえず、今回はここまで。

 【誰ソ彼ノ淵】や【クルリウタ】についての関連記事も是非ご覧になってくださいね。

uttn3.hatenablog.com

uttn3.hatenablog.com

 

uttn3.hatenablog.com

 

 こちらは深掘り考察になります。ストーリー考察や歌詞考察の記事を先に読まれることをオススメします。

uttn3.hatenablog.com

 ここまで読んでいただきありがとうございました。コメントなどで感想を頂けると嬉しいです。Twitterアカウントにコメントを頂いても反応しますので、そちらにもドウゾ。

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※2022/08/08に加筆・修正を行いました。