眠る蟻の考察

ふたりのPによってかんりされるブログです

【誰ソ彼ノ淵】【クルリウタ】歌詞考察【前編】

 

 この記事では、【クルリウタ】の「1番」の歌詞を考察します。後編の記事では「2番」と「ラスト」の部分を考察します。

 

 

ネタバレがいっぱいあります。ご注意ください。


 この記事の目的は【クルリウタ】とボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】への理解を深めることです。

 

 【誰ソ彼ノ淵】を考察する2人のPのうち「うたたねP」によって執筆されています

 

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【クルリウタ】の概要 

 

 【クルリウタ】は、「アイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズ」のイベント「プラチナスターツアー~クルリウタ~」の楽曲です。「孤島サスペンスホラー」がテーマとなっており、765プロダクションのアイドル達が出演する【誰ソ彼ノ淵】という架空のホラー映画の主題歌という設定です。

 「野々原茜」「島原エレナ」「桜守歌織」「二階堂千鶴」「北沢志保」の5名が歌唱しており、歌唱メンバー全員が【誰ソ彼ノ淵】の出演者です。
 2020年7月29日にCD「MILLION THE@TER CHALLENGE!!03」が発売され、CDに収録されたボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】が大きな反響を呼びました。アイマスが15周年を達成した後、最初に発売されたTHE IDOLM@STERのCDがコレです。まじか。

 

 【クルリウタ】に関連するコンテンツは全て関連し合っています。よってイベントコミュや衣装コミュ、SSRの衣装、イラスト、MV、【誰ソ彼ノ淵】本編などの情報を適宜引用しながら考察を進めていきます。

 

それではこの悲劇と狂気に彩られた楽曲を、一緒に読み解いていきましょう。

 

↓こっちも読んでおくといいかも

uttn3.hatenablog.com

 

 

 

【クルリウタ】 1番 沈みゆく二階堂千鶴

 【クルリウタ】の歌詞ではじめに登場する人物は、『館の女主人・二階堂千鶴』です。

 

 

 

 1番の歌詞には、千鶴がいかにして狂気に呑まれていったのかが描かれています。

 

 

 

クルリウタ 1番歌詞

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 【かんたん解説】

 

『白い 細い首に 手を かけて 「違う」 惑う本音(こえ)を 消した

 

冒頭の歌詞は、千鶴の本当の娘のことを指していると思われます。『白い』『細い』首、という表現からは「病弱さ」や「幼さ」を読み取ることができますね。作中で登場した、あるいは言及された人物の中で当てはまるのは「千鶴の娘」です。生まれつき体が弱いので、療養のためにこの島に来たのだと千鶴の口から語られています。

 この千鶴の娘こそ、最初に犠牲となった人物だと考えられます。

 

 「手を かけて」の後に続く述語は省略されていますが、自らの娘を殺害し、その遺体を食べてしまったと読み取れます。

 

 歌詞に該当する部分のMVでは、首に手をかける→自らの胸元へ手を持ってくる振付となっており、白い細い首の人物を「殺害」し、「飲み込んだ」ように表現されています。つまり「殺害し、遺体を食べてしまった」という解釈が成立します。

 

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  食べた瞬間に頬が赤らんでいますね。そんなに美味しかったのかな?

 

 『 「違う」 惑う本音(こえ)』という歌詞が続きます。 千鶴の胸中に苦悩や後悔、激しい葛藤があったことを伺わせます。実の娘を殺害してしまったのみならず遺体を食べてしまったのだとしたら、その衝撃は想像もつきません。

 

 しかし彼女は、その本音を『消した』。消してしまったのです。

 自らを苛む激しい葛藤の末に…『惑う本音(こえ)』を消し、欲望と狂気を受け入れてしまった…と解釈できます。

 社会的常識として人間的倫理道徳において、人間を殺すことも食べることも受け入れられない禁忌であることは言うまでもないはず。しかしこの歌詞の読み解き方だと、千鶴はまるで何者かに操られてそれを行ったかのような印象を受けます。一体なぜでしょう。

 

 千鶴はこの時点ですでに、狂気に呑みこまれつつあったのだと考えられます。じわじわと狂気に蝕まれていき、胸中にうごめく禁忌の欲求に、自ら恐怖を覚えていたかもしれません。自制に自制を重ね、理性をふり絞って耐え続けてきたが…遂に、一線を越えてしまったのでしょう。

 僅かに残った理性の敗北。千鶴が食人の狂気に完全に呑まれた瞬間だと言えます。MVから詳しく見ていきましょう。

 

『違う 惑う本音(こえ)を』①②

『消した』③④

①理性で自らの狂気を否定しようとするも

②甘美な狂気には抗えず

③理性を手放し、狂気を受け入れる描写を一瞬の無の表情で表現し←ここすき

④「館の女主人・二階堂千鶴」の誕生。

食べちゃった直後に該当するMV②でも千鶴の頬に朱が差していますね。そんなに美味しいのかな?

 

『偽りながら愛することが人間(ひと)の正しさならば 正常(つね)を纏わせて 隣で生きようか』

 

 狂気を受け入れてしまった千鶴が、「居なくなってしまった(殺して食べてしまった)娘の代わりとなる少女を用意し、平静を装ってその隣で生きていこう」としているように読めます。

  実際に、全く無関係な少女(伊織)に自らの娘の役割を負わせ、その隣でさも当然化の如く日常生活を送っていました。実に残酷であり恐ろしいことです。

 

 千鶴「ああ、私のかわいい娘…ああ、なんて…美味しそうなのかしら…」

 

 狂気ですね!

 【クルリウタ】の歌詞で私が特に好きな部分でもあります。

 

  MVでの『偽りながら愛すること』の場面では、手で掬ったモノを口もとに運ぶ振付になっています。『白い細い首に手をかけて』の歌詞と同じく、愛する人を殺害し食べてしまうことを表しています。食べた瞬間、頬が赤くなっていますね。

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やっぱりそんなに美味しいのかな?

 手で掬うシーンの背景にが重ねてあり、壺の中から何かをすくい上げて食べているように見えますね。壺は有史以前から食料や水などを保存する為に使われていたものです。ここの歌詞で表現されているものも「食事」に関わるものだと言えるでしょう。

 「愛すること」の歌詞に重ねて手を口元に運んでいるので、「食べること」と「愛すること」が同じ意味で使われていることがよく分かります。

 

「食べること」は「愛すること」。

 

  続いてサビの部分です。

 

『守るべきはこの世の道理(ことわり) それとも真心(しんじつ)か』

  [この夜の帳 切り裂いていくの]

 

 千鶴の視点から理性と欲望のせめぎあいが表現されています。

  『この世の道理(ことわり)』と『この夜の帳(とばり)』という歌詞がかけてあり、裏のコーラスで『切り裂いていくの』と続きます。

 なので、千鶴が守ったものは自らの真心(しんじつ)の方だった、と分かります。

 

 この世の道理(ことわり)とは、社会通念上の倫理観、人間性のことです。

 真心と書いて「しんじつ」と読ませる歌詞には「自覚していない無意識下の欲望」というニュアンスが感じ取れます。

 

 

『肌の裏で蠢く痛みに 狂おう心 [蠢く痛みに 狂り 狂おう心]』

 

 難解かつ重要なポイントなのでちょっと詳細に解説しますね。

結論から書くと、この歌詞で表現されているのは

 

「千鶴が人間ではない存在に変貌を遂げていく歓び」

 

 です。理由は以下の通り。

①狂おう心とは、狂気に呑まれていく千鶴自身の内面のことであるから

②MV該当部分の千鶴の顔は恍惚に染まり、「肌の裏で蠢く痛み」に悦び、うち震えているから

 

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 千鶴さんの表情、すごく妖艶で色っぽいですよね。恍惚って感じ

 

 「肌の裏」で「蠢く痛み」だなんてそうそう表現するものではありませんし、悦楽を感じるかのような表情に似合う歌詞でもありません。徐々に造り変えられていく己自身に恐怖しながらも、その変容を歓迎し、受け入れているように思えます。

 

③千鶴のSSR衣装『館の女主人』が蝶をモチーフにしているから

 

Q.蝶?

 

A.蝶!

 

 

それじゃなくて昆虫の蝶。

 

 千鶴のSSR衣装に目を向けてみましょう。

 イベントに合わせて実装された千鶴のSSR衣装は、がモチーフになっています。
 右腕、左目の装飾や翅デザインのスカートなどによく表れていますね。頭上の冠も蝶がモチーフになっていますので、衣装全体に蝶の装飾が施されてあります。

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綺麗ですね。 

 

蝶は、幼虫からさなぎ、成虫へと完全変態(全く違う姿形に成長すること)を遂げる生物です。これを1番の歌詞と重ねて考えてみましょう。

 

 『肌の裏で蠢く痛み』とは、さなぎが蝶へと完全変態を遂げようとしている最中の表現です。芋虫がさなぎとなった表皮の下では、体組織がドロドロに溶けて成虫の形に造り変えられています。

 自分が自分じゃない存在に変貌してしまう様子を蝶の完全変態になぞらえ、傍から見れば「狂っている」と表現してあるのはピッタリな表現といえます。

 

 肌の裏(さなぎの皮の内側)で蠢く(変態を遂げようとする)痛み(実感)に、狂おう心(恐怖と悦楽)

 

 自分の中で、自分自身が造り変えられていく恐怖、そして変貌への恐怖を塗りつぶすほどの歓喜が感じられますね。

 狂気に呑まれつつある千鶴自身が、人間ではないものへ変わり果てていくこと、それを積極的に受け入れている様子であることと完全に符合します。

 

 衣装のモチーフとなった蝶はモルフォ蝶。世界一美しいといわれる蝶と考えられます。

 

 蝶は可愛らしさや美しさの象徴として、人々に愛されている生物です。しかし平安時代以前には忌み嫌われる存在でした。

 万葉集に、蝶を詠った歌がたったの一つも収録されていないほどにです。何故なのか。

 

 それは蝶が腐乱した屍肉(死んだ動物の肉、もちろん人間の死体も含む)などに群がって養分を吸っている様が、当時の人々の目に恐ろしく映ったからだろうと言われています。
 蝶には花の蜜を吸うだけでなく、死んだ動物の血や屍肉を好んで食べる種類も数多く存在しているのです。

 故に、人や動物の死体に群がる蝶を死霊や霊魂に例えたり、黄泉と現世を行き来する存在として語られる話は結構多いんですね。
 そんな中でもモルフォ蝶は特に「花の蜜よりも動物の屍肉等を好む」傾向が強いといわれています。

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 へぇー…動物の屍肉をね…。

 

 千鶴のSSR衣装を見るに、すっかり変態を済ませてになってしまっているので、

完全に狂ってしまった=人ならざる存在になり果ててしまった、といえます。

 

 というわけで、

『肌の裏で蠢く痛みに 狂おう心』という歌詞は、

「千鶴が人間ではない存在に変貌を遂げていく歓び」を表現していることが分かりました。

 

 ちなみにアナザー衣装はまだ人間の状態を表しています。スカートも翅模様じゃないですし。

 

 後になって追加実装されたSR 孤島サスペンスホラー[娘]の水瀬伊織ちゃんの衣装も千鶴さんのアナザー衣装が基になっています。

 

 ノーマル衣装じゃないンですよ。だって伊織ちゃんは人間のままなんだから。

 

 

 改めて1番の歌詞全体の考察を行っていきます。

 

 【クルリウタ】1番の歌詞は、館の女主人・二階堂千鶴と、彼女の「娘」とを軸として展開されてきました。

 志保「この島はもともと無人島。主人が買い取ってお嬢様と二人で暮らしている。使用人は私だけ(要約)」

千鶴「この子(娘役の伊織)は体が弱くって学校にも殆ど通ったことがない。娘の静養の為にこの島に来た。だいぶ良くなったのだけれど内気な子に育ってしまった(要約)」

 

 …という話も、千鶴と志保らの口から直接語られています。上記の作中のセリフを素直に受け取れば、我が娘を心配し気遣う母の愛をとても強く感じ取ることができます。なんと麗しい親子愛でしょうか。

 

 ですが、千鶴はその愛しい我が娘を、殺して食べてしまいました。

 

 

ここで一つの疑問が浮かびます。そもそもどうして「食べる」必要があったのでしょうか?

 

 ここで、私の同僚にして先輩Pであり食人文化民俗学に精通しているオルPに食人について解説をお願いしたいと思います。


【オルPの食人民俗学講座】

 オルです。なんか任されました。



 さて、食人行為(カニバリズム)についてですが現在の日本では明らかに残虐で猟奇的な行為と認識されているかと思います。

 ですが、人類史の中で食人行為はそれほど特異な行為ではありません。

 

 民俗学、あるいは人類学研究における食人行為を大別すると、

 

①文化的食人行為

②美食的食人行為

③薬効効果を求めての食人行為

④性的行為としての食人行為

⑤破壊行為の一環としての食人行為

⑥極限状態における生命維持活動としての食人行為

 

に分類できます。

 

今回、この中から④性的行為としての食人行為について取り上げます。



・性的行為としての食人の意味合い

 

 今回の考察に深く関わるのは「性的行為としての食人行為」です。

 「食人」としてしまうと非人道的行為に見えてしまいますが、性的行為の延長線上における食人行為としてとらえると比較的理解しやすくなるかと思います。

 

 そもそも性的行為には必然的に支配・被支配関係が生まれます。誤解のないよう付け加えますが、これは男女やその役割とは別の話です。あまり詳しい話をしてしまうとアレなので省略しますが、ある種の”力関係”が存在することは多くの方が納得できるかと思います。

 その一方で性的行為の目的として「同一化」があります。つまり”相手と一つになりたい”ということですね。

 この一見対極にある「支配関係」と「同一化」は性行為において両立します。これを念頭に置きます。

 

 食人行為を行うためには必然的に一定以上の「破壊」を被食者の体に行わなければなりません。そこにある関係性は単純化すれば「支配者」と「被支配者」です。

 一方で両者はある種の「依存関係」にあります。「支配されるもの」が存在しなければ「支配するもの」は支配を行えず、逆もまたしかりです。

 つまり「支配関係」は一種の「依存」です。そして「依存」は「快楽」と結びつきます。

 

 一見理解しがたい状況ではありますが、これと類似した状況に「ストックホルムシンドローム」があります。

 これは本来「被害者が生存戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くこと」を言いますが、その結果対象に好意を抱く場合も見られます。

 特殊な状況を共有することにより「同一化」が起こるような場合です。(吊り橋効果との関連で語られる場合もあるかもしれません。)

 

 そして「支配関係」「依存」「同一化」、これらの要素は性的関係性においても肯定されます。

 その延長として考えた場合、「食人行為」はこれらの要素の究極の体現といえるかもしれません。

 

 また、言語学領域から考えることもできます。

 ここでは日本語に限定して考えます。

 

 日本語において性的関係を持つことを「食べる」と表現します。(魅力的な異性に対して「食べちゃいたい」などと表現する、など)

 また、身体の部位を食べ物にたとえることも多くあります。(「たわわな乳房」「桃尻」など)

 

 このような言語用法に対して、「性的表現は食欲と結びついており、食人欲求は人間の根本的な欲求である」との指摘もあります。

 

上記のことを併せて考えると、「性的食人行為は人間の原始的欲求に基づいた自然な行為である」ということが言えるかもしれません。



というところでオルによる食人の説明を終わります。

意見、クレーム等お待ちしております。(シャドーボクシングをしながら)


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「性的食人行為は人間の原始的欲求に基づいた自然な行為である」じゃないが?

字面が強過ぎる。

 

 軽い気持ちかんたんな解説をお願いしたら2000文字以上の文章がぶっ飛んできました。全文を掲載するわけにはいかないので重要な部分を抜粋して掲載しています、全文はまた別の機会に!

 

 とにかく、食人という理解しがたい行為が多少理解しやすくなったと思います。なったと思ってください。

 それと共に、食人という行為に強力な生理的欲求が絡みついている解釈が取れるようになりました。

 「愛するもの」や「かわいらしいもの」への加虐性は人間が普遍的に持ち合わせていることが研究の結果分かっています。「食べてしまいたいほどかわいい」という比喩表現もありますしね。

 それを抑えるものこそ理性であり人間性、「この世の道理」と言うものです。

 

 

しかし、その衝動的欲求を「違う」と否定しきれない程、それが真心(しんじつ)だと認識させられてしまった時…。

 千鶴は、遂にその一線を越えてしまったのだろうと。狂り狂りと狂気に呑まれてしまったのだろうと思います。

 同時に、文字通りの千鶴の真心…娘に対する真摯な愛情である、とも解釈できます。その愛情は、深ければ深いほど底の見えない深淵となってしまいますが。

 

 狂ってしまった千鶴にとって「食欲」と「愛情」は同じものであると考えられます。上の方で記した通り、「食べること」=「愛すること」の等号が成立するのです。認識が狂っちゃったんだね

 

 ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】からも分かるように、千鶴は「娘」という存在に対して殊更に強い執着を持っていることが伺えます。

 恐らく、千鶴が最初に犯した食人の相手が実の娘であったことが強く関係していそうですね。

 千鶴のSSRカードのテキストで、「さあ、お召し上がりください。きっと、生涯忘れられない味になるでしょう……。」とあります。

 カードに描かれる客人らはこの時に初めて人肉料理を口にし、千鶴が言うように「生涯忘れられない味」を経験することになるのでしょう。

 千鶴のこの言葉は彼女自身の経験から出た言葉ではないかなと考えられます。千鶴にとっての「生涯忘れられない味」は実の娘の味だった、ということが出来そうですね。

 

 歌詞で描き出される千鶴の心境は、常人にはなかなか理解できることではありません。無論です、当然です!狂気です! 現代を普通に生きる私たちの多くにとって、食人からして滅茶苦茶な狂気の沙汰です!ありえない…!

 それだけじゃありません!かつて味わった「生涯忘れられない味」を延々 繰るりと繰り返し味わう為に、娘役の少女を飼い育てていただなんて…。

 

 つまり、千鶴は「愛すること」「食べること」、その両方の対象として「娘」を見ていることになります。狂気に侵された千鶴は、「娘」を人間として認識しながら、実際には食用の家畜のように扱っています。

 プロローグやエピローグで娘役の二人に"得体の知れない"食事を強要しようとしていたのも、しっかり食べて栄養をつけて、元気になってもらいたいからです。心の底から。本心で。こわいですね。

 

 当然、遭難してお屋敷に辿り着いた茜ちゃん一行も全員生きて返すつもりは最初からありませんでした。貴重な食糧ですから。

 そういえばあの島には家畜小屋も存在していましたよね。うん。なんでかな。なんでやろね。

 

 ちなみに余談なんですけど、食肉…牛肉とか豚肉とかの食肉って、若い雌の処女の肉がいちばん美味しいとされてるんですよ(元肉屋並感)

 

  1番歌詞考察 まとめ

 

 ・『クルリウタ』の1番は千鶴視点の歌

 ・千鶴が狂っていった過程が語られている

 ・食人行為には文字通り狂おしいほどの快楽と衝動が伴う

 ・狂ってしまった千鶴は人間を喰らう人間ならざるものになってしまった

 

 1番の歌詞で千鶴の過去が明らかになりました。



 怖いですね!まさに狂気です!

 

 …とは思いつつも、千鶴がやっていることって、例えば人間が家畜動物に対してやってることと殆ど同じなんですよね。

 食用の家畜を育てている方々は、当然愛情をもって家畜動物たちを育てているでしょう。愛情をもって育てる目的は、当然家畜農家さんたちが生きていく為だし、私たちが家畜の肉を美味しく食べる為です。

 

 その間にあるものは「この世の道理」なんていう薄皮1枚だけでした。いやまぁソレが大事なんですけど。

 ソレを隔てるだけでこんなにも見え方が違ってくるものなんだと。そういう別の恐ろしさをも味わいました。

 狂気に呑まれて「この世の道理」が消え去った千鶴にとっては、それが同じもの、つまり「人間(ひと)の正しさ」だと映ってしまったのではないかと。そう思います。

 

 

 狂う前の千鶴は、娘が元気で健康に育つよう願い、愛していました。

 

 狂った後の千鶴も、娘が元気で健康に育つよう願い、愛していました。

 

意味が全然違うー!

 

 愛するのは食べるため、育むのは愛するため、己の欲望(くうふく)のままに。

延々 繰るり 怨 狂り。

 

 

  【クルリウタ】1番考察は以上となります。

 

 

 ここまで読んでいただきありがとうございました。コメントなどで感想を頂けると嬉しいです。Twitterアカウントにご連絡を頂いても反応しますので、そちらにもドウゾ。

 うたたねP:@uttn3P

今回の歌詞考察とは別に、オルPが執筆したストーリー考察、舞台設定考察もありますので、そちらも是非読んでください。

uttn3.hatenablog.com

 

uttn3.hatenablog.com

 

そして【クルリウタ】歌詞考察は後編に続きます。

uttn3.hatenablog.com

 

 

 

 こちらは深掘り考察になります。ストーリー考察や歌詞考察の記事を先に読まれることをオススメします。 

uttn3.hatenablog.com

 

※2023年5月16日 大幅に改訂しました