【クルリウタ】とは一体何だったのか 考察【誰ソ彼ノ淵】
この記事の目的は【クルリウタ】という狂気じみた作品をより深く理解することです。
『【クルリウタ】とは一体何なのか?どのような意味が込められているのか?』という疑問を深掘りしていきます。
【誰ソ彼ノ淵】と【クルリウタ】に関連するすべてのコンテンツは密接に関連しあっています。
なので、イベント含む各種コミュ、SSR衣装、SSRイラスト、MV、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】などの情報を適宜絡めながら濃密なネタバレと共に考察していきたいと思います。ネタバレ注意です!
~おしながき~
【クルリウタ】とは何か
①物語
・クルリウタという物語
まず最初に「物語」としての【クルリウタ】を読み解いていきます。
「物語って…ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】のことでしょ?【クルリウタ】は音楽だよ?」
たしかに物語なのはボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】です。でも【誰ソ彼ノ淵】だけが物語だというわけではありません。楽曲である【クルリウタ】でも『物語』が語られているのです。
端的に言うと、【クルリウタ】という長大な物語の最新作が【誰ソ彼ノ淵】みたいな位置づけになっています。歌詞考察「前編」と「後編」に詳細を記載しています。
おさらいの意味を込めてもう一度【クルリウタ】の物語を覗いてみましょう。
1番歌詞考察 まとめ
・『クルリウタ』1番は千鶴視点の歌
【クルリウタ】の1番では、館の女主人・二階堂千鶴の物語が語られています。
千鶴の視点から、彼女がいかにして狂気に呑まれていったかが分かる歌詞となっています。
・千鶴が狂っていった過程が語られている
【誰ソ彼ノ淵】で千鶴が「体が弱い娘の療養の為に無人島だったこの島にやってきた」と語っています。
娘の療養の為にこの島を買い上げて館まで建てさせ、自らも一緒に移り住んだというのですから、その愛情の深さは推して知るべきでしょう。あと財力もね。
しかし1番の歌詞を読み解いていくと、「千鶴が最愛の実の娘を殺め、その亡骸を食べてしまった」と解釈出来ます。最も愛しているはずの実の娘をです。
・食人行為には文字通り狂おしいほどの快楽と衝動が伴う
食人文化民俗学に詳しいオルPに依頼してまとめてもらった、食人行為への民俗学的アプローチによって、このおぞましい行為に一体どのような意味が込められ、どのような解釈を見出すことが出来るのかが判明しました。
歌詞の中に描かれる千鶴の姿にも、激しい食人衝動とそれに抗おうとする理性の対立が表れています。
・狂ってしまった千鶴は、「人間を喰らう人間ならざるもの」になってしまった
千鶴と実の娘との間に起こってしまった悲劇が、後に延々と繰り返される狂気と嘆きの始まりだったのだ…と考えられます。
蝶を模ったSSR衣装は、彼女が人間ならざるものへと変貌してしまったことを象徴するシンボルだったのです。
全ての始まりは千鶴と彼女の娘から。この悲劇の全ての発端が1番の歌詞に描かれているのです。
2番歌詞考察 まとめ
・【クルリウタ】の2番は志保視点の歌
【クルリウタ】2番の歌詞は、千鶴に仕えるメイド・北沢志保の物語です。
今まさに狂気の”淵”に立たされている彼女の視点から絶望的な物語が語られています。
千鶴のSSR衣装と同様に、歌詞の内容から志保のSSR衣装にどのような意味が込められているのかも判明します。
・狂気に呑まれまいと必死に抗う志保の姿が描かれる
2番の歌詞は、彼女がいかにして狂気に呑まれてしまわぬよう抗っているのかが分かる内容になっています。
志保はなにも自ら望んで殺人や食人に手を染めている訳ではありません。主人である千鶴の元で生き延びる為には、そうせざるを得なかったのです。歌詞とボイスドラマからは、そんな志保の苦境をありありと読み取ることができます。
・完全に狂ってしまうのはもはや時間の問題
生き延びる為とはいえ、その行為を繰り返せば繰り返すほどに、志保の心は狂気に呑まれてしまいます。
2番の歌詞を読み解いていくと、志保はまさに狂気に堕ちる瀬戸際まで追い詰められていることが分かります。志保のSSR衣装にもよく表れていますよね。完全な狂気に染まってしまい、人間ではない存在に”羽化”しはじめているのです。
そう、館の女主人・二階堂千鶴と同じように。
ラスト歌詞 まとめ
・改めて描かれる千鶴の狂気
千鶴の内面描写が非常に丁寧に描かれています。理性と欲望の間で葛藤しながらも、最後には甘美な狂気に侵されてソレを口にしてしまう…。
狂気の最中に垣間見える、千鶴の深い愛情。それをこれほどまでにも生々しく艶やかで恐ろしく表現された歌詞と歌声は、恐ろしくも悲しく美しい響きとなって木霊します。
・【クルリウタ】は時間の流れに忠実に作られた楽曲
1番の歌詞が最も昔の出来事を。2番、そしてラストへと楽曲が進んでいくほどに時系列も現在へと進んでいます。
1番の歌詞は千鶴の過去。狂気に呑まれて最初の食人を犯した、全ての事の発端が描かれています。時系列でもっとも過去の出来事。
2番の歌詞は志保の過去。千鶴に従い殺人と食人を繰り返す中で狂気に呑まれつつある様を描いています。時系列で1番よりも後、【誰ソ彼ノ淵】本編よりも前。
・ラスト部分になり、遂に【誰ソ彼ノ淵】が描かれる
ラストパートの歌詞こそが【誰ソ彼ノ淵】の本編。作中の時系列で現在の出来事の描写になっています。
・救い願う二つの瞳とは茜ちゃんと志保のこと だが救いはない
【クルリウタ】のラスト部分の歌詞『救い願う二つの瞳』は茜ちゃんと志保の2人だと言えるでしょう。
このように【クルリウタ】という楽曲そのものが、長大な一つの物語として成立しているのです。
正体不明の恐怖と謎ばかりかと思いきや、実は読み解く手掛かりもその答えも最初から眼前に提示されていたんですね。
・【誰ソ彼ノ淵】という名の物語
ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は、謎と恐怖をふんだんに含んだ非常に素晴らしい作品でした。
設定上は765プロのアイドルたちが出演するホラー映画ということになっています。実際にはご存じの通り、非常に凄惨で救いの無い狂気に満ちたボイスドラマとなっています。アイドルたちの迫真の演技に度肝を抜かれトラウマを抱えてしまった方も多いのではないでしょうか。私もそうだよ。
上記の通り【誰ソ彼ノ淵】は【クルリウタ】の歌詞のラストパートが該当しています。
ラストパートの歌詞『響く声は 嘆きのはじまり…』が、【誰ソ彼ノ淵】のどの辺りになるか…聴いた方には理解出来るはずです。
【クルリウタ】の歌詞と【誰ソ彼ノ淵】というドラマに込められた意味を照らし合わせると、物語の全体像が見えてくる仕組みになっています。
歌詞考察も是非読んでみてね (´◡`)
②子守唄
次に読み解いていくのは『子守唄』としての【クルリウタ】です。
【クルリウタ】には「子守唄」としての意味と役割も含まれています。
というかこれが【クルリウタ】です。
【クルリウタ】は「子守唄」を元にして作られたと言っても過言ではありません。
「子守唄とは、子供を寝かしつけたり、あやしたりするために歌われる歌の一種。
日本の子守唄には、親が歌うのでなく、幼くして故郷を離れた子守り娘が歌ったもの(子守唄というより守子唄というべきである)も多い」
「子守唄」は大きく3つに分類されます。
「眠らせ唄」、「遊ばせ唄」、そして「守子唄」です。
【クルリウタ】は、これらの子守唄の要素を兼ね備えています。
・ねんねんころりよ「眠らせ唄」
「♩ねんねんころりよ おころりよ」 「延々 繰るり 怨 狂り 狂りよ」
「眠らせ唄」とは文字通り、赤子を眠らせる際に唄われる子守唄です。
「ねんねんころりよ おころりよ」で有名な「江戸子守唄」ですね。
「延々 繰るり 怨 狂り 狂りよ」
特徴的なフレーズによく表れているように、【クルリウタ】は「子守唄」をそっくりそのまま色濃く映し出しています。
江戸時代から流行したこの唄は日本各地に広まり、現代でも最も有名な子守唄になっています。「江戸子守唄」の歌詞は、実の母親が実の子に対して優しく唄い聴かせる「眠らせ唄」とされています。
ねんねんころりよ おころりよ。
ぼうやはよい子だ ねんねしな。
ぼうやのお守りは どこへ行った。
あの山こえて 里へ行った。
里のみやげに 何もろうた。
でんでん太鼓に 笙の笛。
これが「江戸子守唄」の歌詞です。(あの山こえて 里へ行った…?)
「ぼうやのお守りは どこへ行った。」という歌詞からも分かるように、この唄は子守奉公人(赤子の子守をする奉公人のこと)が帰郷して不在の間、誰も赤子の面倒を見る人が居ないために、母親が自ら子守をしている際の唄です。
奉公人は年2回、盆と正月に帰郷することが許されていました。子守奉公人の詳しい説明は「守子唄」の項で行います。
「母親が子供に向けて唄う子守唄」が「眠らせ唄」。これがクルリウタの一側面を形作るものであり、歌詞考察前編で書いたように二階堂千鶴の歌であるという事が出来ると思います。
・笑って!「遊ばせ唄」
二つ目は「遊ばせ唄」です。
「遊ばせ唄」は、起きている子供の機嫌を良く保とうとする際に歌う、身振り手振りを交えた遊びの要素を含む唄です。この「遊ばせ唄」も子守唄の一つとして扱われます。詳細は後ほど解説します。
・恨みと嘆きの「守子唄」
「守子唄」は、守子奉公人の悲哀を歌った唄です。
「守子(もりこ)唄」は日本特有の子守唄と言われており、【クルリウタ】と最も強烈な関連性を持つ唄です。
守子(もりこ)とは、幼い子の子守を担っていた奉公人のことです。江戸時代中期から大正時代にかけて広まった年季奉公制度によって、寺子屋で読み書きを覚えた子供達は商人や地主など裕福な家へ奉公に出されるのが主流でした。貧しい農村の子どもの場合、7~8歳という幼い頃から親元を離れて奉公に出されることも珍しくなかったようです。
奉公人は「期限付きの身売り」とも言われるように、借金のカタとして奉公に出される場合も多かったようです。そのため、たとえどんなに奉公が辛くても逃げられるようなものではなかったと言われています。
NHK連続テレビ小説で有名なドラマ「おしん」でも、主人公おしんが子守奉公人として過酷な奉公生活を送る様子が描かれています。
そんな子守奉公人たちが歌う子守唄の「守子唄」は、暗い曲調で歌詞も陰鬱で、雇い主への恨みや過酷な現状を嘆くものが殆どとなっています。
年端もいかぬ子供が奉公人として辛い仕事に従事させられる。その悲哀を唄ったものこそが、「守子唄」です。現代を生きる私達の価値観では信じがたい話ですね。
【クルリウタ】と「子守唄」は、基本設定の根底から繋がっています。まずはそこから詳しく掘り下げていきましょう。
「子守唄」と【クルリウタ】
【クルリウタ】の基本的な設定を読み解く際に、「孤島のお屋敷組」は非常に重要な手がかりになります。
館の女主人・二階堂千鶴とメイド・北沢志保。この二人に加えて娘役の水瀬伊織(とオレンジのガーベラ)という構成は、「守子唄」が唄われた時代から色濃く影響を受けていると考えられます。
守子奉公が盛んに行われた江戸時代中期~大正時代は、現代よりも家制度が非常に強い時代でした(特に家制度が法制化された明治31年以降)。
「家」という構成単位の中で家長(戸主)が絶大な統制権を持っていた時代です。年端も行かぬ幼い奉公人たちは、厳格な指導と厳しい生活の中で恨みや嘆きを唄にして、辛い現実を耐え忍んでいたのです。
【誰ソ彼ノ淵】では、家長として二階堂千鶴が絶大な統制権を持っている様子が描かれています。
千鶴のカードの名前も「館の女主人」と書かれており、「主人」であることを強調するタイトルになっています。「婦人」とか「マダム」とかではないのです。「主人」なのです。
「家族」の長として二階堂千鶴が存在するということは、支配を受ける「家族」の構成員も存在します。
「子守唄」に関係する「家族」は、「子供」…つまり「娘」ですね。水瀬伊織(とオレンジのガーベラ)がその役割を担っています。
そして母親に代わって「子供」の面倒を見る存在、逃げたくても逃げられない、恨みと嘆きの「守子唄」を唄う守子奉公人も存在しています。メイド・北沢志保ですね。
奉公人役は「メイド」である志保がピッタリと役割にハマっていることが分かると思います。
母親、奉公人、子供。
【誰ソ彼ノ淵】のキャスト配役と「守子唄」の背景がしっかり繋がっていることがお分かり頂けると思います。
【誰ソ彼ノ淵】と「子守唄」の関係性を示す材料はこれだけではありません。
遭難してお屋敷を訪れた茜ちゃん一行のキャスト配役も【誰ソ彼ノ淵】と「守子唄」の繋がりを裏付けています。
まとめるとこのようになります。
この関係性を踏まえた上でボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】を聴き返してみると、千鶴や志保の台詞など、理解がより深まる点が出てきます。
「この島の全てが、わたくしの持ち物…」
「ちゃんとしないと、私がご主人様に叱られてしまうんです…ちゃんとしないと…」
「私が…守らなきゃなの…!」
強烈に恨みと嘆きを唄う「守子唄」は、【クルリウタ】と非常に強い関連性があると理解いただけると思います。
「守子唄」は上でも書いた通り、辛くて過酷な奉公から逃げたくても逃げられない、子守奉公人たちが唄った「恨みと嘆きの子守唄」です。これもまた、
「延々 繰るり 怨 狂り」
というフレーズに強烈に凝縮して表現されています。
「守子奉公人が自らの境遇を恨み、嘆く子守唄」、これが「守子唄」。【クルリウタ】の最も強烈な負の側面を映し出すものであり、歌詞考察後編で書いたように、北沢志保の歌であるといえます。
決して逃げられず、奉公人として主人に絶対服従しなければならない辛く過酷な身の上を嘆く唄…。まさにメイド・北沢志保の悲哀を歌った守子唄なのです。
③【誰ソ彼ノ淵】の時代設定
少しだけ時代設定の話もしておきましょう。「江戸子守唄」が流行しはじめ、守子奉公が盛んにおこなわれた時代は江戸時代中期から大正時代だと書きました。
これがボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】の時代設定と関連している可能性があります。
【誰ソ彼ノ淵】の時代は恐らく現代ではありません。もっと過去の時代が舞台となっていると予想できます。
船が遭難して一刻も早く救助を求める必要がある状況において、あなたならまず何をしますか?真っ先にスマートフォンなどの携帯通信端末を使い、救助を求めようとするのではないでしょうか。
しかし、現代では当然のように普及しているスマホやケータイを作中では誰一人として使わず、それについて言及すらしていません。
加えてあの立派なお屋敷に住んでいる住人の誰も携帯通信端末を持っていないばかりか、屋敷の中に島外との通信手段すら存在していませんでした。現代ではまず使われないであろう無線機が現役で使われているらしい点でも、たいへん違和感があります(しかも電波のよく通る山小屋にしかない)。
仮に時代設定が現代であったならば、スマホで連絡を取ろうとするはずです。それが一切話題にも出されないとなると、そもそもスマートフォンのような携帯電話端末そのものが存在していない時代の話ではないか?と考えられます。
もう一点。
ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は、「境界を越える」という概念が非常に重要な役割を果たしていると、【誰ソ彼ノ淵】深掘り考察と舞台設定考察で書きました。
簡単に要約すると、
館の女主人・二階堂千鶴と、メイド・北沢志保の2人のSSRアナザー衣装は、
「2人の過去の姿」であり、
「境界を越えて、国外文化の日本への大流入がモチーフとなっている」
…のではないか?ということです。千鶴は飛鳥時代の中国文化の流入をモチーフとして、志保は明治時代の文明開化における欧州文化の流入をモチーフとしています。
これらはボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】を考察する上で大変重要な要素「常世の国」と「まれびと」という、民俗学的な二つの概念と非常に重要な結びつきを見出すことが出来ます。
詳細は是非【誰ソ彼ノ淵】深掘り考察と舞台設定考察をご覧になってください。
話を戻します。
【誰ソ彼ノ淵】作中で孤島に漂着した茜ちゃん一行も、千鶴や志保と同じく国外文化の大流入がモチーフとして重ねてあると考えられます。
どの時期かというと、第二次大戦後の欧米文化の大流入期と考えられます。日本の生活環境の欧米化が格段に進んだ時代です。
そう考えると【誰ソ彼ノ淵】時の時代設定は、第二次世界大戦終結後の1950年代以降であり、尚且つ本格的な携帯電話端末が普及し始める1990年代より以前であると考えることが出来ます。
プロローグのラジオで語られた「40年前の沈没事故」をここに当てはめて考えてみます。
1950~1990年代から最低でも40年以上前となると、1900~1940年代になります。大正時代から昭和時代初期です。第二次世界大戦と重なる部分を省くとしても、上に書いた「守子唄」と守子奉公が盛んに行われた時期と重なるんですよ。不思議ですね~。
※ただし、プロローグと誰ソ彼ノ淵・島編の間に作中設定でどれだけの時間差があるのかは明らかになってはいません。「どんなに短くても40年以上は昔の話である」と幅を持たせて考えるべきでしょう。その場合でも、「子守唄」と守子奉公の時代範囲に重なるわけですが。一応ね。
ここまで簡単にまとめると、【誰ソ彼ノ淵】の時代設定は現代よりも数十年単位で過去であり、奉公人や子守唄の時代と同時代の可能性がある、といえるわけです。
…あれ?「眠らせ唄」と「守子唄」については語られたけど、「遊ばせ唄」についてはまだ何も触れられていなくない?
たしかに考察ではまだ触れていません。
しかし皆さんは既に【クルリウタ】の中で狂気の笑い声を聴いているはずです。
「眠らせ唄」が赤子を眠らせる為に母親が唄う「子守唄」で千鶴が当てはまり、
「守子唄」が自身の境遇を嘆く「子守唄」で志保が当てはまるならば、
「遊ばせ唄」は誰が笑う為の「子守唄」でしょうか。
アハハ…アハハハハッ…キャハハハハ…!!
④「呪い」の唄
次に読み解く【クルリウタ】。それは呪いの唄です。
「呪い(のろい)とは、人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為をいう。」
「延々 繰るり 怨 狂り」
【クルリウタ】の代名詞ともいえるこのフレーズは「呪詛」の言葉だと捉えることが出来ます。相手に呪いをかけ、災厄や不幸をもたらせしめようとする呪いの唄です。
この呪いの唄を掘り下げていくことで、
千鶴は何故狂ってしまったのか
千鶴は何故呪われたのか
何が千鶴を狂わせたのか
ラストパートの歌詞「繰り返される運命(さだめ)は愚かに 夜に堕ちてく」という歌詞は誰の視点から「愚か」だと歌っているのか
これらの謎も全て一つの線でつなげられるようになります。
・千鶴は何故狂ってしまったのか
これまでの考察で【クルリウタ】1番の歌詞は二階堂千鶴の過去エピソードであり、千鶴が狂っていく様を描いていると書きました。
ならばその発端は一体何なのでしょう?何がきっかけとなってこの悲劇の幕が開けられたのでしょう?
それは「呪いをかけられたから」だと考えられます。
二階堂千鶴が狂ってしまったのは、狂気の呪いをかけられたからです。
【クルリウタ】の曲中に度々使用されている「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズ。
これらは全て、対象となる人物に対して呪いをかけ、狂わせる場面で挿入されていると考えられます。歌詞を見ながら読み解いていきましょう。
【クルリウタ】の冒頭、いちばん最初に唄われるのは「延々 繰るり 怨 狂り」という呪いの唄になっています。
冒頭の「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズは、千鶴に対して呪いがかけられた場面と捉えることが出来ます。時系列で最もはじまりの場面であり、全ての悲劇の発端です。
MVを見ても、冒頭部分は非常に謎が多い不可解な演出となっていますね。
周囲を回るアイドルたちと、中央に立つ茜ちゃんが「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズに合わせて謎の振付を踊っています。私はこの場面の茜ちゃんは、茜ちゃんではないと考えています。
九時切りのような手の形を作りこめかみに当て、手の動きと連動させて頭が動いています。この手を正面に向き合った千鶴に向けていますね。
この振付は千鶴に呪いをかける儀式のようなものであり、この場面こそ千鶴に呪いがかけられた瞬間ではないかと考えています。
こめかみに合わせた手の動きに連動して頭が動いているのが「相手の思考や行動に影響を与え、狂わせる動きではないか」という推測です。
『狂りよ』で両手を九時切りの形を作ったまま千鶴に向けて、【クルリウタ】が始まる流れになります。「思考や行動を狂わせる呪い」を千鶴へかけたのではないか?と考えられるのです。
「理性」と「欲望」の狭間で苦悩する姿は【クルリウタ】1番、2番、両方の歌詞に描かれていると考察してきました。具体的にどういうことかと言うと
「愛着、愛情など個人の欲望に作用し、常軌を逸した異常な行動をとらせる(=狂わせる)原因になる」ということだろうと考えられます。
「千鶴の娘に対する深い愛情に作用し、狂わせ、実の娘を食べてしまうという凶行に走らせた」といえます。食べてしまいたいほど可愛いという慣用表現もありますしね。
【クルリウタ】1番の歌詞『白い細い 首に手を かけて』の部分でも、背後に「延々 繰るり 怨 狂り」というフレーズが流れています。この場面は千鶴が自らの娘をその手にかけ、最初の食人を行った場面であると捉えることができます。
愛する娘をその手にかけ、亡骸を食べてしまったと思われるシーンで人を狂わす『延々 繰るり 怨 狂り』という呪詛の唄が流れているのです。
次の画像はMVサビの終わり部分です。『狂おう心』の歌詞に重ねて、千鶴が両手の人差し指を頭に当て、まるで何かに苛まれるかのように頭を振っています。このシーンも、「呪いによって千鶴が狂わされている」ことを示す根拠になり得ます。
次に「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズが流れる場面は2番の冒頭です。2番は志保について歌われている志保の歌ですね。
志保が殺人を犯している場面と考えられる歌詞『また人間(ひと)が人間(ひと)を 奪う』の背後でも、「延々 繰るり 怨 狂り」とのフレーズが流れています。志保もまた呪われてしまっていると考えられます。
1番でも2番でも、人間(ひと)を殺めてしまう場面で「延々 繰るり 怨 狂り」のフレーズが背後に流れているのです。正規の歌詞カードにはこのコーラスの「延々 繰るり 怨 狂り」は、1番にも2番にも記載されていません。
ちなみに歌詞考察の「後編」では
千鶴の場合、自ら「本音(こえ)を消し」ていますが、志保は自分の意志とは裏腹に「本音(こえ)は消え」ています。
そこから「自らの意思に反して殺人を続け、いつしか何も感じなくなってしまった」というニュアンスを読み取ることが出来ます。
(引用ここまで)
…と記載していました。しかし「千鶴や志保を狂わせた何らかの元凶」がいるとするならば、志保の本音(こえ)は「消えた」のではなく、「消された」のだと解釈できるようになります。
『惑う本音(こえ)は』と『消えた』の間に、何かを吹き消すかのような『ハッ』という謎の声が挿入されているからです。
「延々 繰るり 怨 狂り」から始まったこの曲は、「延々 繰るり 怨 狂り」で終わりを迎えます。(クルリウタのアウトロってなんだか変な感じがしませんか?何かが収束していくような…例えば時間とか。何度もループしているかのような。ねぇ…?)
・何が千鶴を狂わせたのか
結論から言うと分かりません。分かりませんし正体を暴くつもりもありませんしできません。
ただ、「あの島に存在する超常的な何かが、千鶴を呪い狂わせた」
…と仮説を立てることはできます。
存在ともいえるし、あの孤島そのものとも捉えられるかもしれません。
唐突な話だと思われますか?
【誰ソ彼ノ淵】はサスペンスホラーと銘打たれた傑作ホラーです。「ホラー」というジャンルには、超常的な存在や人智を越えた怪物や、この世のものではない存在など様々な要素が含まれています。有り得るか有り得ないかで言えば可能性は十分過ぎるほど有ります。
そして【クルリウタ】に関連するコンテンツの各所に、元凶である「何らかの超常的な存在」の痕跡が残されていて、その影が見え隠れしているのです。
仮に、オバケや怨霊のような「何らかの超常的な存在」が作中に存在するとして、その正体全てを詳らかにしてしまうと、作品の魅力そのものを削いでしまいかねません。なので、この記事ではそこまで掘り下げていくつもりはありません。
…ただ、全くもって謎が謎のままとなると作品への理解が深まらないままになってしまいます。
「千鶴さんはどうしてひどいことするの…?志保はどうしてあんなに強そうなのに千鶴さんの言いなりなの…?どうしてカニバリズムなの…?何も分かんない…」「もぅマジ無理。。。デミグラスソースのシチュー食べよ。。」
なので、
「何らかの超常的な何かがあの島にはあって、その何かが千鶴を呪い狂わせた」
…という程度の理解までは持っていけたらいいなぁと思っているわけです。
「超常的な存在」は、これまでに書いてきたブログ記事を読んでいただけると多少思い当たる節が見つけてもらえると思います。「常世の国」やら「黄泉比良坂の伝説」とか。「人間ならざるものに変貌を遂げる」とか…色々ね。
いくつか事例を見ていきましょう。
・イベントコミュから
【クルリウタ】のイベントコミュと映画【誰ソ彼ノ淵】は内容がリンクしています。たとえば「即席アイドル料理」とか。
【クルリウタ】のイベントコミュでは【誰ソ彼ノ淵】撮影最中のアイドルたちの様子が描かれていました。
この撮影の最中に様子がおかしくなってしまったアイドルが2人いました。
そうです、茜ちゃんと志保です。
・北沢志保の場合…ホームシック
志保はイベントコミュ内でホームシックになってしまいました。泊りがけのロケも経験済みで、仕事に対してストイックである志保がホームシックになるというのはちょっと珍しく感じます。
ホームシックになってしまい仕事に集中できなくなって苦悩する志保の姿がイベントコミュにて描かれています。
「家に残してきた家族が恋しい」「綺麗な景色を、母にも見せたい」「弟にも、おいしいごはん、食べさせてあげたい」
…等、志保の個人的な欲望が発露している点に注目です。
・茜ちゃんの場合…帰りたくない
映画の主人公という大役を掴んだ茜ちゃんは、この時間を終わらせたくないと島から出ることを拒否します。
「自らが主役であるこの映画撮影を終わらせたくない」という欲望が発露してしまっているのです。
「島から出て家に帰りたい」と「島に残りたい」という、全く真逆の欲求が発露していることは注目に値します。だって、【誰ソ彼ノ淵】でも同様のやり取りが千鶴との間で交わされましたから。
志保と茜ちゃんの異常は、両方とも孤島という場所に由来して発生しています。
「島から出て家に帰りたい」という欲求も「島に残りたい」という欲求も、孤島という隔絶された空間に長時間滞在したことにより発症したと考えられるのです。
【誰ソ彼ノ淵】本編における超常の存在、或いは孤島という『場』の持つ超常の力‥‥‥つまり、『訪れた人間を狂わせる呪いの力』を根拠づけるものになり得ます。
志保の場合、長期間家族の元を離れて孤島で長期の撮影を行った結果として家族への深い愛情故にホームシックとなり、仕事に集中出来ない状態になってしまった。
作中の「メイド・北沢志保」とその背景である「守子奉公人」の考察を踏まえてイベントコミュを観ると、一層ストーリーに深みが生まれサスペンスホラーとしての枠を超えた恐ろしさが一層際立つのです。
茜ちゃんの場合、映画の主演に大抜擢され孤島での素敵な撮影の時間を終わらせたくない、帰りたくないというワガママという形で周囲を巻き込んで騒動を起こしてしまった。
作中で帰りたくても帰れない絶望の淵に突き落とされてしまった茜ちゃんの立場から観ると、笑えないほど皮肉なストーリーとなっていて、新たな子供役として島で暮らし続けることになることである意味願望が成就してしまっているのは…むしろ、そっちに現実の茜ちゃんが引っ張られたのかもしれません。怖いですね。
友人役:エレナの場合…友達を守る
【クルリウタ】のイベントコミュと【誰ソ彼ノ淵】の内容がリンクしていると言いましたね。しかし1か所だけ全くかみ合わないエピソードがありました。
それがメインコミュ第3話『頑張れ!レザーマスク』です。
悲鳴をあげるシーンの収録がうまくいかなエレナに茜ちゃんが一計を案じ、変装したPをけしかけて怖がらせようとします。しかしエレナは、突然茜ちゃんが居なくなってしまったのがレザーマスク(P)のせいだと見るや果敢に立ち向かい、レザーマスク(P)を返り討ちにしてしまいます。
物陰から様子を見ていた茜ちゃんも予想外の展開に驚いて、慌ててエレナに事の顛末を説明し事なきを得ました。
友達を助けるために身を挺して悪漢に立ち向かうエレナの純真で友達想いな面にフォーカスを当てた、とても良いコミュでした…。
しかし【誰ソ彼ノ淵】の作中では、エレナは茜ちゃんを守ることも志保に立ち向かうこともできず、一方的に殺されてしまっています。メインコミュの内容とリンクしているとは言い難いですよね。
実はTC03クルリウタのリリースイベントの場で撮影の裏話が披露されており、その場で『元の案ではエレナは志保と戦うことになっていた』と明らかにされたのです。
リリイベに参加した同僚さんからこの話を聞き心から納得がいきました。イベントコミュは元の案の状態で収録されていたから、作中でエレナが志保に立ち向かう展開をなぞったコミュの内容になっていたんですね。
主人公である茜ちゃんと、謎を解き明かす手がかりになるメイド・志保の2人は、【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】において特に際立って重要なキャラクターなんですよ。それはコンテンツの随所に表れています。
イベントコミュで核心となるエピソードを担っているのもそうですし~…
【クルリウタ】のMVの中で、色の反転が無いのも茜ちゃんと志保の2人だけですし~…
【クルリウタ】の歌詞『救い願う二つの瞳』が茜ちゃんと志保のことだったり~…
…などなど。色々なコンテンツが、茜ちゃんと志保の特異性を強調していますね。あかしほは正義
何故茜ちゃんと志保の2人が殊更に強調されるのかって?
誰ソ彼ノ淵のトゥルーエンドに至る為のキーキャラクターだからだと思いますよ。
・SSR衣装コミュから
館の女主人役・二階堂千鶴も、撮影中におかしくなっていく様子がSSR覚醒コミュで明らかになります。
プロデューサーはそんなことは絶対にない、女主人なんかにはさせないと千鶴さんに言って事なきを得たのですが…考察していく上で意味深長なコミュであることは確かですね。ガチのホラーじゃん
・千鶴は何故呪われたのか
考察によって得られた結論から言うと、二階堂千鶴が呪われた理由は「禁足地(孤島)に足を踏み入れたから」だと考えられます。
【誰ソ彼ノ淵】作中において、
・舞台となっている孤島は元々は無人島だった事。
・千鶴が娘の療養の為にこの島を買い取り、移り住んだ事。
が、志保の口から語られています。
もし、千鶴が超常的な存在に呪われて狂わされたのだとすれば、時期的にも理由的にもあの孤島を訪れたことそのものが原因であると考えられます。
「禁足地」とは、例えば霊峰であったり、森であったり、寺社の境界内であったり。そのような「神が住まうとされる領域」とされています。人間が足を踏み入れてはいけない場所です。詳細は他の記事を是非ご覧ください。
たとえば、自然にできた特異な地形(そびえ立つ大岩や人を寄せ付けない大森林、絶海の孤島など)は神が宿る場所、神が下る場所として神聖な土地と考えられてきました。
つまり「超常的な何かが存在している、人間が立ち入ってはいけない場所=孤島」に足を踏み入れたのみならず、そこにお屋敷を建てて住み始めてしまったがために、「罰が当たった」とか「祟られた」と言われる災いが降りかかったのだと言えるでしょう。
つまり「呪い」です。
類似する昔ばなしや逸話は枚挙に暇がありません。
ホラー作品でもよくあるらしいですよね?(普段ホラー作品など一切見ない人間)
「絶対に入ってはいけない場所に入って呪われる」とか~…
「絶対やってはいけない事をやって、良からぬ存在を招き入れてしまう」とか~…
【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】が「孤島サスペンスホラー」である所以ですね。
先ほど言及したイベントコミュにおいて、茜ちゃんと志保が精神に異常を来した理由とも関連しています。孤島という場所に足を踏み入れたからですね。
・『繰り返される宿命(さだめ)』を【誰が】愚かだと見ているのか
一言で言うと、先ほども書いた通り「何らかの超常的な存在」だろうと思います。詳細までは分かりませんが、その輪郭を探り当てるヒントは作中に存在しています。
「遊ばせ唄」の詳しい話がまだでしたね。
「遊ばせ唄」は、歌に合わせて身体を動かしたり歌を歌ったりして、笑わせ楽しませるための「子守唄」です。
【クルリウタ】が「子守唄」であるならば、この「遊ばせ唄」の要素も曲の中に存在しているはずです。
存在していますね?
【クルリウタ】の中で謎の笑い声が聴こえる場所が存在していますよね?
歌詞画像内に示した部分で「謎の誰か」の笑い声が聞こえます。
「謎の誰か」はたくさんの笑い声が反響しているようにも聞こえるし、同時に複数の笑い声が起こっているようにも聞こえ、非常に不気味な演出になっています。
問題は千鶴のについて歌っている1番のラスト『狂おう心』の後に笑い声が入っている点です。
何故ここで笑い声が入るのでしょうか。
それはこのパートが千鶴が狂気に呑まれてしまったシーンだからです。ここで聴こえる笑い声は、狂気に呑まれてしまった千鶴を嘲笑しています。
どういうことか?
「千鶴に呪いをかけた元凶が、千鶴が次第に狂気に呑まれていき、遂に狂ってしまった様子を見て嘲り笑っている」
ということです。こわいですね。
では志保の物語である2番のラストはどうでしょうか。
ここには千鶴の場合のような笑い声は入っていません。何故なら志保は2番のラスト時点ではまだ狂っていないからです。
まだ狂っていないので、嘲笑する笑い声も2番のラストでは聴こえません。
志保が完全に狂気に呑まれるのは、ラストパートの最後です。つまりボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】のクライマックス部分に該当する部分です。
歌詞考察後編で書いたように、ボイスドラマ【誰ソ彼ノ淵】は【クルリウタ】のラストパートにあたります。
狂気に呑まれてしまわぬよう、必死で抗っていた志保も遂に狂気に呑まれきってしまいます。『夜に堕ちてく』の歌詞の後に笑い声が入るのは、ここで志保が狂気に呑まれてしまうからです。【誰ソ彼ノ淵】とは『夜に堕ちてく』ことそのものなので、伏線であるタイトル回収も行われています。詳細は歌詞考察後編ほかの考察記事をご覧ください。
このように【クルリウタ】の重要な個所である千鶴が狂気に呑まれたシーンと、志保が狂気に呑まれるシーンの2か所で、彼女らを嘲り笑う狂気の笑い声が挿入されています。
これらを偶然だと片付けるのはちょっと不可能です。
千鶴と志保に狂気の呪いをかけ、次第に狂っていく様子を観察しながら、遂に狂気に呑まれ夜に堕ちていく二人の様子を嘲り笑う元凶の存在が、物語の中や楽曲の端々に浮かび上がってくるのです。
別々に読み解いてきた考察に関連性が生まれて紐づき、ひとつに繋がっていることがご理解いただけたのではないでしょうか。
以上、【クルリウタ】が呪いの唄であるとお分かり頂けたことと思います。
まとめ
【クルリウタ】とは【?????】
ここまで、【クルリウタ】の持つ様々な側面を順番に説明してきました。
それらを全部全部まとめて、【クルリウタ】の正体が明らかになります。
【クルリウタ】
とは
【くるいうた】
です。
お分かりいただけましたか?
ジャケットで【クルリウタ】の「リ」だけが赤字で強調されて反転していたのは、ひらがなの「い」と読ませる思惑があると考えられます。
すると【クルリウタ】という曲のタイトルから、本質を映し出す【くるいうた】という言葉が露わになります。
「子守唄」こそが【クルリウタ】だ、と書きましたね。
それを表現しているものこそ「ねんねんころりよ」のフレーズを元にした、
『延々 繰るり 怨 狂り』
という1フレーズです。これこそ、
本当の意味での【クルリウタ】の正体である
と言うことができます。
今まで考察してきた歌詞の内容。ストーリー。舞台設定。【誰ソ彼ノ淵】とは何か…。
そして今回の考察でまとめてきた「物語」「子守唄」「呪いの唄」…。
これら全てが【クルイウタ】というキーワードに集束します。
全ての謎を解き明かすキーワード。実はいちばん最初から私たちの眼前に置かれていたんです。
では、締めくくりましょう。
【クルリウタ】とは
「子守唄」を元にした
悲劇の「物語」であり
呪い狂わせる「呪いの唄」
【狂い唄】である
以上で【クルリウタ】と【誰ソ彼ノ淵】の考察を終了します。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
※当考察はあくまで、いちプロデューサー(2人だが)の個人的な見解に過ぎません。
これが正解でもないし、言ってしまえば単なる想像、妄想です。
「こういう考え方もあるのか~」程度に留めておきましょうね。
2023/10/17
ミリオンキャスティングの『現代伝奇ホラー』が間近に迫っていますね!
運営のおヤバいほどの気合の入り方にワクワクしています。特に民俗学要素がてんこもりっぽい感じになってるのがすごくワクワクします!
私と共著者オルPはかねてからクルリウタ(誰ソ彼ノ淵)と民俗学要素の繋がりに注目し考察を重ねてきました。
↓クルリウタは千と千尋の神隠しだった説から引用↓
筆者うたたねPと共著者オルPは、過去の考察で取り上げた「黄泉比良坂」の伝説や「常世の国」も含めて、「民俗学的な要素」がこの作品の随所に含まれていると考えていました。ただ、それらの要素と【誰ソ彼ノ淵】とが、うまく線で結びつけられないもどかしさを感じていました。説明をしようにも、どうしても唐突な感じが否めないのです。
そのミッシングリンクを【千と千尋の神隠し】が埋めてくれるかもしれないのです。つまり、過去の考察で書いていたような
『民俗学的な要素』が【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている
のではなく、
《『民俗学的な要素』が多く含まれている作品【千と千尋の神隠し】》が【誰ソ彼ノ淵】のモチーフになっている
だから【誰ソ彼ノ淵】の中に民俗学的な要素を多く見出せたのではないか。と考えたのです。
今回のホラーイベントもたくさん楽しみたいなーって思います!
関連する他の考察も是非ご覧ください。
次回
【誰ソ彼ノ淵】=『千と千尋の神隠し』仮説
を、投稿予定です。
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